第55話 一つ思い(勇)
「ふむ」
勇者用品店の主イスルギは考え込み、指先で頬を叩きながら黙り込んでいる。
ソラセオは固唾をのんで、その様子を見つめた。
まだ二十を超えたばかりの歳で、あまり知り合いもおらず他に頼る相手もいない。あちこちに頼んで断られ、もう頼む相手が居ないと思った時に閃いて、ここに慌てて駆けて来たのだ。
ここの店主であれば、あちこちに伝手があるはず。
きっとその中には、ソラセオが必要としている人もいるに違いない。つまり、早急に自分を鍛えて強くしてくれるかもしれない人が。
イスルギが黙り込んでいる間に、落ち着かない気分で辺りを見回す。
身を守るに良さそうな鎧や盾もあり、力を秘めた護符や首飾りが幾つもある。その中のどれか一つでもあれば安心のような気もするが、世の中はそう簡単でもない。
「あいつが、いるか……」
その声に慌てて視線を戻してみると、イスルギは微笑を湛えていた。
「いいだろう、一人紹介しよう」
「本当ですか!? あ、いや疑うわけではないのですが」
ソラセオは喜び勇んで言った後に、今のは失礼だったかもしれないと思って、慌てて言葉を付け加えておいた。
勇者用品店の主イスルギは軽く笑って気を悪くした様子もない。
「ちょうど、この街に滞在しているはずだ。勇者スラストが」
「勇者スラスト! あのソードマスターと名高い方ですか」
「本人にソードマスターとは言わない方が良いだろう、気を悪くする。あいつは、自分はその域ではないと思っているのだからな」
「そうなんですか」
「ひょっとしたら断られるかもしれん。だが、駄目でもともとだろう。行って、俺からの紹介だと言ってみるといい」
そんな言葉でも微かな望みを持って、ソラセオは店を出た。
カランコロン――小気味よいドアベルの音が響く。
ソラセオは大急ぎでスラストの滞在する宿を目指した。
空から降り注ぐ日射しは真上からで、街の中には昼時に用意される料理の香りが漂って、どの店も客でいっぱいだった。
ただソラセオは空腹も感じない程だ。
目的の宿は街の端の辺りにあって、特に旅人が多く利用する場所である。それだけに宿の数も多数あって、場所は聞いていたものの、探し当てるまでに何度か訪ねばならなかった。
スラストは鋭利な目付きをした凄味のある男だった。
流石にデスナイトという恐ろしいモンスターを倒しただけあって、身のこなしに隙はなく油断もない。
意外な事に弟子もいて、フウカという可愛らしい少女だった。
ソラセオがイスルギの紹介で来たと告げ、急ぎ強くなりたいと言っても、スラストは眉を寄せ黙っているだけで何も言わず反応すらしなかった。
代わりにフウカが何度も頷いて聞いてくれている。
「ふむふむ、なるほどそうなのね。イスルギさんの言う通りよね。強くなりたいなら師匠に教えて貰うのが一番だって、あたしも思うわ」
一方で肝心のスラストは腕組みしたまま軽く目を閉じ何も言わない。
「あのっ、どうでしょうか……」
スラストがゆっくりと目を開けた。
「話は分かった。だが、どうしてお前が強くなりたいのか。俺はそれを聞きたい」
「それは……決闘をするからです」
「決闘か」
とたんにスラストは、ふんっと不満そうに鼻を鳴らす。
「イスルギの紹介ならば正当な理由はあるのだろう。だが俺は決闘というものは好かん。特に最近の連中ときたら、どうにも気軽に決闘をしすぎる」
「でも、これしかないんです! 姉さんの名誉の為にも!」
「ほう」
ようやくスラストは興味を見せる。そして、続けろと言った。姉という言葉に反応したような気がしないでもないが、さすがにそれは勘違いだろう。
「姉さんは婚約してました。でも、あいつは! ドルドは! 皆の前で婚約破棄だと宣言して、さらに姉さんを貶めたんです」
広場の真ん中で糾弾するような口調で事実無根の文句を言い募り、さらには取り巻きに声をあげさせ、嘘を本当のようにしてしまったのだ。
捨てられて裏切られた姉は、酷いショックを受けた。
数日ほど飲み物も食べ物も喉を通らなくなり、寝こんでしまったぐらいだ。最近ようやく部屋から出られるようになったが、しかし人前に出ることは当分出来ないだろう。そして笑顔に寂しさが宿るようになってしまった。
だからこそソラセオは決闘を決めた。
姉の名誉を回復するためには、もはや他に方法がない。決闘に賭けて、姉に対する言葉が事実無根であると認めさせるのだ。
「しかし、何故相手の男はそんな事を言いだしたのだ?」
「それですが、僕も最初は理由が判りませんでした。でも最近、ドルドが貴族のご令嬢に見初められたという話があって……」
「なるほど、そういう事か。見え見えすぎる理由ではないか」
「はい」
その婚約が正式に決定されると、ドルドは貴族の後ろ盾を得てしまう。そうなれば、もう迂闊には手が出せなくなる。
決闘が申し込める時間は限られていた。
狭くはないが広くもない宿の部屋で、ソードマスターとして名高いスラストは佇んでいる。ただ座っているだけだが、堂々として落ち着きのある姿だった。
窓の外からは、賑やかしい声も響いてくる。
しかし、今のソラセオにはそんな事も気にならない。
一縷の望みをかけてスラストを見つめていた。
「お前の姉は、それを望んでいるのか?」
「いいえ、姉さんは優しいから。もう済んだことであるし、どうしようもない事だから関わらないでおこうと言ってます」
「出来た姉だな」
「ええ、父さんと母さんが早くに亡くなったので。ずっと親代わりに僕を育ててくれました。優しくて自慢の姉なんです」
「ふむ」
スラストの目が細まる。横で何か言いたげにそわそわするフウカを一瞥して黙らせると、その目が再びソラセオに向けられた。
「本音を言え」
「え?」
「お前の目は、決闘する理由が姉の為ではないと言っておるぞ」
「…………」
言われてソラセオは黙り込み、改めて自分の心を見つめてみる。
それで気付く。確かにその通りだ。姉の名誉回復と言いつつも、実際には心の中にもっとドス黒く熱いものが存在している。
「憎い」
そのドス黒さを否定すべきだったかもしれないが、しかし言葉が止まらない。
「僕は憎い。姉さんの名誉回復とか言いながら、僕がドルドを許せない! 僕の大切な姉さんを悲しませ傷つけた。それが許せない! 僕は僕の為に決闘しようとしてます、姉さんを理由にして……そうです自分の恨みです」
「男と女の関係を口出すのは野暮である。確かに腹は立つだろうが、所詮はお前の鬱憤晴らしでしかない」
「……その通りですね」
「しかし、あえて言うならば――そんな事はどうだっていい」
スラストは傍らの水差しを手に取るとコップに注いだ。
それを一息に飲んでしまう。
「腹が立つものは腹が立つ。お前がやりたければ、やればいいのだ。そのクソ野郎をぶちのめしてやれ」
言ってスラストはコップを叩き付けるようにして立ちあがった。傍らの剣を手に取ると、来いと短く言った。
宿の裏手の狭い空き地。
足元には土と小石と少しの雑草で、軽く身体を動かせる。実際そこで剣を振るっている勇者がいたが、スラストの姿を見ると会釈をして場所を譲ってくれた。
「まず言おう、お前に剣才はない」
「えっと……そうなんです?」
いきなりの宣言にソラセオは驚くより戸惑った。
「そんな事は見れば分かる。凄い奴は凄い、凄くない奴は凄くない。お前は精々が並程度。だから余計な事は教えん。剣を抜いて構えろ」
言われっぱなしだが、不思議と嫌な感じや不快感は無い。
ソラセオは素直に言われる通りに剣を抜き構えた。
言われるまま、一歩踏み出しながら振り下ろし、また元の位置に戻る。ただそれだけの動作。本当に基本の基本で、誰もが一番最初に教わるものだ。
しかし何度も何度も何度も繰り返すと息が乱れ汗が出て来た。
「その剣を終わりと言うまで振れ」
振る、振る、ひたすら振る。
途中で何度か細かな指導が入って姿勢や握りを直される。
振る、振る、ひたすら振る。
ソラセオの息は激しく乱れ、口を大きく開け喘ぐように呼吸をする。全身に汗をかき、額を伝い落ちた汗が目に入って痛い。踏み出す足も、戻りの足ももつれだす。
だが、まだ振る。
「言ったように、お前は凄くない。だから余計な事は考えるな。ただ剣を振れ」
手の平の皮が破れ激しく傷み、流れた血が両腕を伝い落ちていく。さらに汗が染みて酷く傷む。
だが、まだ振る。
「剣を構えて振り下ろす、それだけをやれ。他の誰にも真似できない一撃だけを身に付けろ。極めた一撃に勝る攻撃はなく、それに勝る防御もない」
ソラセオは、ただひたすらに剣を振り続ける。
途中から頭が朦朧として、自分が何をやっているのかさえ分からなくなる。
それでも振る。
何故こんな苦しく痛いことをやっているのが疑問が込み上げる。
それでも振る。
足がもつれて倒れて、涙が零れても立ちあがる。
それでも振る。
振って振って振り続け、ぶっ倒れて意識を失うまで続ける。何日も何日も繰り返し同じ動作で剣を振り続けた。ただ一撃を極めるためだけに。
ソードマスタースラストには、幾人かの弟子がいる。いずれも伝承に残るような偉業を達成した者たちだが、その中の一人は二撃要らずと呼ばれる恐ろしく鋭い斬撃を放つ剣技を後々まで伝えている。
伝承によれば、その者の一撃は音すら置き去りにするほどの速さだったと言う。
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