第54話 少女の力(魔)
向こうからドアベルの音がした。それでお客が来たと分かったが、ヤサカは書き物をする手を止めなかった。
イスルギが客の相手をしてくれるので、今は行く必要はない。
そしてヤサカは魔王城に報告する書類の作成で忙しかった。
勇者用品店を営む事と引き換えに毎週提出する約束になっている報告書である。
人の動きや品の値動き、街で流行っている事や珍しい出来事、花の咲き具合や天気の具合など思うまま書き記しており……殆ど日記のようなものだ。
ただし魔王城では貴重な情報源として扱われているらしい。
イスルギ領を頭脳で支える内政担当たちが、報告書を熱心に読み解いているそうなので、少し気恥ずかしい気がする。
「でも、昨日食べたスイーツは美味しかったから紹介しておきましょう」
木材の中に黒鉛を封入した筆記具で、植物を溶かし薄く平にした紙というものに書いていく。これも人の街で最近流通しだしたもので報告書を書くのに最適だ。
魔王城でも喜ばれ、サンプルを幾つか送ったところ同様のものを開発中らしい。
「ふうっ、こんなところですね」
ヤサカは軽く伸びをした。
ここ数日は良い天気が続き、窓からの日射しが部屋を明るくし、優しい風が花の香り運んでくる。
報告書を折りたたんで封筒に入れ、そして蝋で封をする。
そのまま手元の空間を歪め魔王城と繋げ、報告書を送り届けた。
「よし、完了です」
それは転移魔法を応用したもので、これだけ気軽に使えるのは、ヤサカが魔王級の実力を持つからこそだ。
お店に続くドアから笑い声が聞こえた。
馴染みの勇者の一人の声で、それが誰だか分かる程に分かっている。きっとイスルギ様も楽しんでいるに違いないと思って、ヤサカは軽くテーブルの上を片付けながら微笑んだ。
魔王であるイスルギ様に見いだされ側近として城勤めになったのも、こんな季節のこんな陽気の頃だった。
それを思い出したのは、きっと風の運ぶ花の香りのせいに違いない。
ヤサカはテーブルに頬杖をつき軽く目を閉じる。
懐かしい気持ちに浸っていた。
魔王イスルギ。
先代魔王を一瞬にして撃破し、以降数百年に渡って魔王として君臨している。その間に数えきれぬ程受けた挑戦の全てを軽々と退け、最強の呼び名も高い。
統治する土地は慣例に従い、その名を冠しイスルギ領と呼称される。安定した生活と平穏と適度な闘争を常に提供するため、領民である魔族からは名君として崇められ忠誠を誓われていた。
ただしイスルギ自身は常に退屈を持てあましていた。
最近その無聊を慰めているのが――。
「イスルギ様、イスルギ様」
幼さの残る少女が、見た目に相応しい仕草でぱたぱたと玉座の間に駆け込んだ。
新しく側近として仕えるようになったヤサカであった。
「イスルギ様、面白い物を見つけました。どうですか、綺麗な石です」
「石だな」
「はい、でも白くて丸くてスベスベしてます。どうぞ差し上げます」
「そうか」
イスルギは手にした石を暫く眺め、それを懐にしまい込んだ。それをヤサカは嬉しそうに見つめていた。
ヤサカにとってイスルギは憧れだ。
途轍もない強さを持って、いつも優しくて穏やかでどっしりと構えている。側に居るだけで心がポカポカして嬉しくて、ずっと側に居たくなる。物憂げな表情も素敵だが、時折笑ってくれる顔はもっと素敵だ。
だからヤサカは珍しい物や面白そうな物を見つけては、イスルギに見せに行く。喜んで貰えることを期待して。
どうやら今回の贈り物は、あんまり喜んで貰えなかった。
周りの護衛の中から小柄なローブ姿が歩み出てくる。側近中の側近であるエルダーリッチの爺やだ。死にそうな顔色をしているが、実際死んでいる。
「これヤサカ様、少々騒がしいですぞ」
「爺や様、私に様なんてつけないでください。何だか、恥ずかしいです!」
「お黙りなさい。ヤサカ様はヴァンパイア領を代表する立場でありますし、さらには真祖という存在でもあらせられるわけです。それに対し
爺やが長時間説教モードに入ったと察するや、ヤサカは逃走を決めた。
「とうっ!」
「これ、どこへ行かれますか!」
「姿を消します! またお会いしましょう、概ね夕飯のお時間にでも」
「ヤサカ様、お待ちなされ」
「嫌でーす」
爺やの声を後ろにヤサカは走りだした。しかし、そのせいでイスルギが楽しげに笑っている顔を見られなかったのであるが。
少女ヤサカが決めている事は、とりあえず毎日イスルギ様に珍しいものや面白いものを持って行く事であった。
受け取って貰えるときもあれば、受け取って貰えないときもある。
その日は後者であった。
「イスルギ様、面白いゴーストです」
玉座の間にやって来たヤサカは手に青白い存在を掴んでいた。
それを見た護衛の魔族たちは目を見張っている。ゴーストに物理干渉を殆んど受けないため魔力で拘束するしかない。しかし、酷く脆弱なため下手に魔力で触れれば簡単に消滅する。
つまりヤサカは絶妙な魔力操作によってゴーストを掴んでいるのだ。
「見て下さい。猫です、猫のゴーストです。可愛い顔をしてますよ」
「逃がしてやれ」
「えーっ……」
ヤサカは渋々と猫のゴーストを放してやった。
しかしイスルギは猫が飼い主を心配して地上に留まっていると聞き出し、その心残りを魔王として引き受け天上へと送っている。そんな優しい姿が見られて、とても満足だった。
「えへへー」
そこらにある椅子を持って来ると、ヤサカはイスルギの隣に座り込む。
玉座の間に並んで座る二人の姿に爺やが眉をあげるが、他の側近が合図し身振り手振りを交えヒソヒソ話すと、納得して肯き何も言わなかった。つまり遠い将来に正式に並んで座る関係になって欲しいという結論に達したのである。
そんな様子に当の二人は少しも気付かない。
「イスルギ様、この前ですね村を襲っている勇者をやっつけたんです」
「そうか」
「あの勇者たち、偶に来て村を荒らすんですよ」
「らしいな。だが、そういう習性の生き物なのだろう。そこらに湧く害虫のようなものだな」
少し興味を示して貰えたのでヤサカは嬉しくなった。
そういえば、と思い出したのは初めて城に来た頃にもイスルギが勇者に軽く興味を示していた事だった。
「でも、いつか勇者も強くなってしまうかもしれませんよ」
「勇者が強くか? あれが強くなったところで、大した事はなかろう」
「いいえ! どんなに弱くても、友情勝利努力で強くなってしまうそうなんです。書物にそう書いてありました」
ヤサカはイスルギが興味を示してくれたので、とても嬉しくなっている。
「ですから、いつか魔王様とかを倒してしまうかもしれません。もちろんイスルギ様は大丈夫だって思いますけど。油断しては駄目なんです」
「ほう。それはどんな書物にあったのだ」
「人の国から取り寄せた書物なんですけど、魔王様が主人公という物語なんです。これが面白いんです」
イスルギが興味を示してくれた事が嬉しくて、ヤサカは両腕をパタパタ上下させ一生懸命説明する。
「魔王ヨッシームが身分を隠して街に出てですね、勇者に困る魔族たちを助けるんです。時には勇者を見逃してやったり、育ててやったりもするんですよ。それで余の魔力を忘れたかとか言って勇者を一掃するのが、お約束です」
本来は魔族と戦う勇者の物語だが、読者人気で魔王が主人公になったという異色作ではあった。
こっそりと魔王領に持ち込まれ、魔族の間で人気とは作者も思うまい。
「なぜ勇者が魔王の魔力を覚えているのだ?」
「それは勇者ですから何度も復活しますし」
「ああ、なるほど」
「でも悪徳勇者も復活する度に少しずつ強くなったり、装備を調えてくるので魔王ヨッシームも時には苦戦するわけです」
片方が圧倒的に強くては面白くないため物語上の演出ではあったが、しかし一定のリアリティを持たせているため読者受けはよい。
「ふむ、少しずつ強くなり苦戦するのか……そして装備か……」
イスルギの興味がひけた事が嬉しくて、少女ヤサカは一生懸命に自分の知る魔王ヨッシームの物語を次々と語ってみせたのだった。
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