第51話 出会い(勇)

 聖堂を出ると、柔らかな午後の日射しがユミナシューベルに降り注ぐ。入る時には気にもしなかったが、とても良い天気である。

 振り仰いで確かめれば、真っ青な空に白い雲があって太陽が眩しく輝いていた。

 ほんの少し前までは、まだ寒さが強かった。だが、もう既に暖かな気候になっている。どうやら春はもう来ているようだ。

 だからだろうか、空を過ぎる千鳥たちの陰も楽しげにも見え、木々の梢を揺らす風ものどかに葉を散らしている。道行く人々も知ってか知らずか春を感じた様子で活き活きとして見えた。

 ただし、そこにはユミナの心情も多分に影響しているに違いない。

 何故なら念願の勇者になったばかりなのだ。

 ――ここに来るまで長かったから。

 故郷の村を出て聖堂のある王都に来るまでを思い出せば、苦笑気味の笑いしか浮かばない。道を間違えて見当違いの方向に行き、お腹を空かせて倒れたところを親切な人に助けて貰って何とか辿り着いたのだ。

 本当に無鉄砲で考えなしで、そして何より幸運だった。

 そうして勇者になったが、これからが本番。

 頑張らねばならない。

 しかしそう思いながら、気持ちが上ずってくるのを感じていた。むしろ落ちつかないぐらいで、苦労して押さえている心から喜びが弾けて出て来そうな感じでもある。

「えっと。まずは装備だね、うん。確か勇者用品店という場所に行かないとね」

 助けてくれた人が、とても良い店だと教えてくれたので是非行かねばならない。親子連れみたいな二人組だったが師匠と弟子だそうで、弟子の女の子が詳しく場所を教えてくれたのだ。

「まずは行ってみなきゃ!」

 ユミナは気合いを入れた。

 落ち着かない気持ちは思ったより大きくなっていて、今はもう駆けだしたいような気持ちになっていた。それも春めいた暖かな天気のせいなのかもしれない。


「はて、ここはどこだろう?」

 さっそくユミナは途方にくれていた。言われた通りに来たつもりだが、よくよく考えてみると聖堂からの出発ではなかった。

「うーん。こんな時は来た道を戻るべきね」

 迷い慣れているユミナは自信たっぷりに頷いた。もちろん、全く自慢できるような事ではないのだが。

 不意に人が争うような声を聞いて、ユミナは眉を潜めた。

 直ぐに前方から少女が走ってくる様子が見えた。その後ろに男がいて抜き放った剣を手にしている。それに気付いてユミナは即座に自分の剣に手をかけた。

「こっちに!」

 声に反応し走って来た少女を背後に庇うと、ユミナは追って来た男に立ちはだかった。相手は型崩れした革鎧を身に着けている。

 そのまま斬りかかってくる相手にユミナは剣を抜き放って、その攻撃を跳ね返した。これでも村では一番の使い手であるし、村を襲った盗賊を撃退した事だってある。それも何度もだ。

 男は数歩後退って、しかし怒りの声をあげ再び斬りかかってきた。今度は全身の力を込めての攻撃だ。

 背後には少女がいる。

 このままでは回避も出来ず、庇いながらの戦いも困難。そう判断すると、ユミナは剣を構え直して前に出て男に斬りつけた。

 手加減はしない。

 こういった場合に下手に手加減すれば、やられるのは自分の方だ。斬れる時に容赦なく斬らねばならない。

 重く鈍い手応え。

 相手の男は剣を取り落とし、身をよじらせながら倒れ込んだ。


 そこでようやく、人を斬ってしまった事態に気付いた。

 もちろん、これまでそうした経験がなかったわけではない。故郷の村を守るため、そして自分の身を守るため剣を振るってきた。その全ては明確に相手が悪人と分かっていた。

 しかし今は本当にそうだったのか分からない。

 よくよく考えれば、逃げて来た少女こそ悪人という可能性だって――。

「なかなかの腕だな!」

 そんな事を考えている時に声をかけられ、ユミナは心底驚いた。

 たったいま助けた少女が嬉しそうにしている。目の前で人が死んだというのに平然としていた。やっぱり悪人はこの少女かもしれない。

「えっと、あの……」

「どうした。我を助けたのだぞ、もっと誇ってもいいのだぞ」

「この方はどういった方なんでしょう?」

「うん? こいつか。こいつは暗殺者というやつだ」

「暗殺者!?」

 今まで遭遇したことのない相手だ。いや、それは本当なのか。本当だとして、暗殺者に狙われるという少女は一体何者なのだろうか。

 疑問が渦巻く。

「我の名はクーリン、この国の……者だ。とりあえず今は素性は内緒だぞ」

「そうですか。あ、私はユミナです」

「久しぶりに父上と出かけたらな、いきなり襲われてしまってな。我は足手まといになるのでな、とりあえず我だけ逃げることになったのだ」

「え? じゃあお父さんが危ないのでは?」

「問題ない。父上は凄く強いのでな、相手が十人だろうと二十人だろうと――」

「駄目です!」

 ユミナは力強く言って遮った。

 脳裏を過ぎるのは父親の最期。モンスターの襲撃から村や村人を守るため必死に戦い、その命と引き替えに守り通してみせた。どれだけ皆に讃えられようと、ユミナにとっては生きていた欲しかっただけだ。

「直ぐ応援に行きませんと」

「あー、いやその心配はないぞ。つまり、もう来た」

「え?」

 振り向くと大柄な初老の男が剣を手に駆けて来る姿があった。あちこちに血の跡があるが、平然と動く姿からみれば全て返り血のようだ。


 クーリンの父親はハーニヤスと名乗った。

 佇まいも動きも全てが練達の剣士そのもので、堂々とした態度からして一角の人物といった風情だ。そんな相手が心からといった様子で感謝してくる。

「いや気が気でなかった。俺は大丈夫だったが、クーリンを追っていく奴の姿があったのでな。本当に心配していた。感謝する」

「はあ、いえ、そんな」

 ハーニヤスがクーリンを見て涙ぐみ、それにクーリンも顔を赤くして言葉を詰まらせる様子を見たので、どっちが悪人かという疑問は完全に消え失せていた。

 近くの警備隊詰め所に行って、つい先程あった事のあらましを話した。

 最初は疑惑の眼差しを向けていた警備隊も、ハーニヤスが懐から取り出した何かを見せると態度を豹変させ、すぐに解放してくれた。

 どうやらハーニヤスは何か伝手があるらしい。

「父上、このユミナは素晴らしい剣の使い手だぞ」

「その通りだな、さっきの斬り口は実に見事であった」

 二人は笑いながら通りを歩いている。

 つい先程襲われたばかりというのに、全く平然としているのは凄いと思う。ただクーリンによれば、襲われ慣れしているという事だが。

 それはそれでどうかと思う。

「というわけでな、我の友人で勇者仲間で護衛という役に任命したい!」

「うむ、素晴らしい。それは良い考えだ」

 何か勝手に決められている。

 ユミナは何となく文句を言いたい気分だったが、しかし友人が出来たと喜ぶクーリンの様子を見てしまうと言いづらい。


「ところでユミナ殿に何か礼をせねばと思うが……何か望みはあるかな?」

「ええっと望みですか」

「構わん何でも言ってくれ。無理なものは無理という、まずは言ってくれ」

「はぁ」

 なんだか妙なことになってしまったと思う。

 王都に来て、勇者になって、道に迷って、クーリンを助けて、そして望みを聞かれている。ちょっと一度に物事が起きすぎだ。

「それならですね、勇者用品店という場所を知りたいです」

「ほう、勇者用品店の」

「とても良い店だと教えられたので、一度行って見たいです。と言いますか、そこを探して道に迷っていたので。もし御存知でしたら案内して貰えれば」

「なるほど、あれは確かによい店だ。店主は時々気難しくなるのだがな」

「御存知でしたか、よかった」

「うむ。しかしだが、その望みは聞けんな」

「えぇっ、そんなぁ……」

 ユミナが肩を落とすと、ハーニヤスもクーリンも同じ顔をして笑った。ちょっとニンマリとした顔だ。

「なぜなら、もう目の前にあるのでな」

 こぢんまりとした屋根が赤で壁は白の建物を指し示される。確かに、その樫の木で出来た扉には『勇者用品店イスルギ』という小さな看板が下げられていた。


 カランコロン――小気味よいドアベルの音が響く。


 その音はユミナに何かの始まりを告げているような気がした。

 またも気持ちが上ずってくる感じがする。心の中には喜びが満ちているが、あの落ちつかなさは消えて、自分が何か収まるべき場所に収まったような感じがしていた。

 ただし後でクーリンの住処に案内され驚愕する事になる。

 なぜならそこは、王都で一番立派な場所だったので。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る