第25話 とんでもない相手(勇)
辺りは濃い緑の森の中。
どさり、と音をたて倒れたボアバードの様子をラキは大岩の上から見つめた。
隣にいるルーエも固唾をのんでいる。
二人の視線の先でボアバードの濃い茶をした絨毛は少しも動かない。胴に突き立っている短槍はラキのもので、最初の不意打ちが成功した時のものだ。
しかし、その後がまずかった。
ボアバードは怒りのまま激しく暴れ、耐えかねて逃げたラキとルーエを執拗に追い続けた。
それから必死に逃げつつ、運良く見つけた大岩の上へと避難したのだ。さすがにボアバードは四つ足なので、そこには上がってこれなかった。
代わりにボアバードは大岩に体当たりをして激しく揺らしてきた。
それも何度もだ。
お陰で二人は大岩にしがみつきながら悲鳴をあげ、タイミングを見計らっては魔法などで攻撃するしかなかった。魔力が尽きてからは手持ちの武器を投げ、さらには荷物も投げつけ――ついにボアバードは力尽きて倒れたのだ。
最期まで大岩に攻撃を加え、恐ろしい執念であった。
「どうかな、確実に死んでると思うけど」
「そうだねー。確認したいけど、もう投げるものもないし」
靴すら投げているので、後は服を丸めて投げる程度だろう。
そんなものは意味ないし、流石にラキはルーエの前で下着姿になる気はなかった。もちろんルーエも同じだろう。
いかに生まれた時からの幼馴染みとは言えど、そろそろ二人はお年頃。ラキが男で、ルーエが女という事実を認識しだしているのだから。
「よし、まず俺が先に降りる」
「待って、それなら私も。うん、一二の三で一緒に降りよ」
「了解。なら、一」
そう言ってラキが飛び降りたので、ルーエは驚きながら後を追うしかなかった。
ラキが近くに散乱した道具の一つを広いあげ、ボアバードに投げつける。
「やった、倒したぞ」
「わー、やったねー」
二人は互いの両手を何度か打ち合わせて喜んだ。
ボアバードの全身は毛皮に覆われ、その背中に短い羽根があるのが特徴だ。もちろん飛べない。聞いた話では疾走中のバランスを羽根で取っているのだという。
「うわっ、凄い牙」
ボアバード最大の武器が口元の牙。
突進による牙の一撃は騎士の鎧さえ貫通するそうだ。しかも近距離でも、頭をしゃくりあげて攻撃してくるので油断がならない。
これを倒せれば勇者としては、駆け出しを卒業と言われる。
もちろん二人がかりでも、卒業は卒業だ。
「しかも、かなりの大物だ。こいつは良い値がつくぞ。何を買おうか」
「ねー、命の値段だよ、必要なものだけ買おうよ」
「分かってるって。こいつの命の値段であるし、戦った俺たちの値段でもある。馬鹿みたいに調子にのらないさ」
しかし街には、そうした事が分からない奴もいる。
先日街では酷く調子にのった勇者の姿をみた。本人が気付けば良いが、気付かねば手痛い目に遭うだろう。ただしラキとルーエは互いに互いを見ているので、そんな事にはならない。
遠く故郷を離れ二人っきり、寂しくもあるがお互い手を取り合い頑張っている。
「俺が血抜きと解体をする」
「なら私は荷物を集めるねー」
阿吽の呼吸でそれぞれ、やるべき事を開始。先に荷物の回収を終えたルーエが解体の手伝いに入る。
そして剥ぎ取った肉と骨の一部と毛皮と牙を持ち帰る。
肉も骨も解体するのに時間がかかるため全部は無理。それに命は大地に住まう者たちで分け合うもので、独り占めにしてはいけない。
それがラキとルーエが育った里での掟だ。
勇者となっても、遠く離れていても、その掟はしっかりと身についている。
苦労して運んだボアバードの素材は街で良い値がついた。
しかし、それ以上に嬉しかった事がある。依頼所にボアバード討伐を報告すると、その場に居た顔見知りも含めた皆が立ちあがって拍手。口笛を吹いたり称賛をあげられたり。二人の駆け出し卒業を祝ってくれたのだ。
「良い気分だ」
「調子にのらないでねー」
「分かってるって」
「でも記念は記念なんだ。何か買おう」
「それ賛成ー」
二人並んで歩いて行く。
今夜はボアバードの肉を焼いて食べるので、夕食を迷う必要はない。
だから記念品を探すことに集中し、何を買おうか大通りの店を覗いては歩く。だが、直ぐに諦め裏通りに移動した。
なぜならラキとルーエの着ているのは故郷の衣装で、玉石や翠石をふんだんに飾りつけている。だから、それを売ってくれと店から言われるのだ。それを断りながら欲しいものを探すのに疲れてしまったのだ。
「どうするかな」
「どうしよねー」
「いっそ服を買い換えてしまうとか?」
「それは駄目だよー。精霊様の加護がなくなるから」
「分かってる、冗談だって」
精霊様の加護も大事だが、遠く離れた故郷との繋がりでもある。
「何か買うのは諦めて、食糧でも買って帰るか」
「うーん、でもねー」
珍しくルーエが渋る。
いつもなら直ぐ頷くのだが、今回は記念の品という事で何か買いたいらしい。
「あっ……凄い……」
不意にルーエが呟いた。
その視線の先を辿る度、赤い屋根に白壁のこぢんまりとした建物がある。樫の木の扉には『勇者用品店イスルギ』と記された看板が下がっていた。
何が凄いのかは分からない。
しかしルーエは手を胸の前で合わせ祈っている。精霊様の加護を強く持つルーエは普通の者には見えない何かが見えたり聞こえたりする。
きっと、この店に何かを感じているのだろう。
「入ってみるか」
「うん!」
「よし行こう」
カランコロン――小気味よいドアベルの音が響く。
その音だけでラキは、この店が大好きになってしまった。
「いらっしゃい」
声をかけてくれた店の男は理知的で穏やかで、他の店の連中とは全く違う。間違いなく、この店は当たりだ。
そう思っていると――。
「ふわっ!!」
いきなり、ルーエが変な声をあげた。
目だけでなく口も思いっきり開け、その店の男を見つめている。しかも、我に返った途端に弾かれたような仕草で床に膝をつき平伏してしまった。
そんな姿のルーエは見たこともない。
「せっせせせ……」
「おいおいおい、どしたん?」
「精霊様!!」
「えっ、精霊様って。なんで?」
戸惑うラキだったが、それ以上に戸惑い困惑しているのが店の男だ。
「あー、すまないが。店でそのような真似をされると困るのだが」
「精霊様ですね!」
「いいや違う。俺は君の言う精霊様ではなく、この店の店主だが」
「そうなんですね。分かりました、別の精霊様でしたか」
「だから……」
困った様子の店主から視線を向けられるが、ラキは愛想笑いを浮かべるしかなかった。せっかくの良い店なので、あまり迷惑をかけたくはない。
そのままでは営業妨害になるとかで、何とかルーエを宥めて店の中央にある大テーブルの席に座らせる。
ラキも隣に腰掛けた。
「はい、蜂蜜茶をどうぞ」
「どうもすいません」
綺麗な女性に貰った飲み物は、甘く落ち着く香りがして味も同じくだ。
この店は故郷の社に似た雰囲気が漂って、凄く落ち着く。
そうして改めて店の中を見回すと少し驚かされる。あちこちに神聖な品や清らかな品が幾つも無造作に置かれていた。
ちらりとルーエを見るが、まだ半分硬直して復活していない。ただ蜂蜜茶を飲んで、空になると注がれた蜂蜜茶を飲んで、また注がれて……延々とそれだ。
「ここは勇者用品店だが、二人は?」
「あ、勇者です」
この辺りでは知る者がいない故郷の衣装を身に着けているため、あまり勇者と思われない。だから即座に勇者の証を取り出す癖がついている。
いつもならここで、故郷がどこかを聞かれたりするところだ。
しかし店主のイスルギは感心したように頷いた。
「それはそれは、遙か東のヒズル国からよく来たものだ」
「知ってましたか?」
「ああ、向こうに知り合いがいる。招かれて行った事も何度かある」
「そうですか」
もうそれだけで嬉しくなってしまう。懐かしい故郷を思い出し、いろいろと話をしてしまう。
その間も、ルーエは殆ど呆然としているばかり。
途中で一度、イスルギと話している様子を信じられないといった様子で見つめてきた程度であった。
「すんません、話し込んでしまって」
「構わんさ。また是非来てくれると嬉しい」
「喜んで!」
イスルギに見送られ、ラキはルーエの手を引き店を後にした。
外に出てようやくルーエは正気に戻ったようだ。恥ずかしそうに俯いている。
「ごめんね」
「なに、気にすんなって」
「記念品を買うつもりだったのに」
「んー、んふふふっ。実は良いものを買ったから大丈夫だ」
「え?」
戸惑うルーエに含み笑いをしてみせる。
今日は宿の調理場を借り、ボアバードの肉を使った料理をする予定だ。だが、それこそが記念日にふさわしいものとなる。
なぜなら勇者用品店で買ったのだ。遠く離れた故郷の、もう何年も口にしていない調味料ショーユを。
たぶん最高の記念日になるだろうと、ラキは確信していた。
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