第24話 留守番(魔)

 勇者用品店イスルギがあるのは大陸に数ある国の一つ。

 幾つかの魔王領に程近い国の王都であった。人口も多く経済は安定し各種店も揃って、何より勇者が多い。

 そんな店の片隅で、店の看板娘の一人のクシナは、ボンヤリとしている。

 クシナのボンヤリというものは、本当のボンヤリだ。

 つまり何を考えるでもなく、思考を希薄にさせ春の日射しのようにぽわぽわさせているだけ。それ以上でもそれ以下でもない。

 見る者が思わず微笑むような様子でボンヤリしている。

 服も髪も綺麗に整っているが、全てヤサカに整えて貰ったものだ。しかし、折角襟元に結んで貰ったリボンはいつの間にか斜めに傾いていた。

 服装に無頓着なクシナはわざわざ鏡を見ないのでリボンは傾いたままだ。もっとも仮に見たとしても気にしなかっただろうが。気付いた小妖精がちょいちょいと触って直そうとするが、されるがままだ。

 ボンヤリするクシナは、店の中に広がる音の響きに浸っていた。

 その音とは接客するイスルギと客が発する声だ。それを言葉として聞くのではなく音の響きとして感じながらクシナは浸っている。

 ドアベルの音が響いて余計な音が一つ減り、好きな音だけが残った。

「クシナ、眠いのか?」

 音の響きがあまりに心地よいので、それを声として認識し言葉に変換するまで、少し時間がかかった。

「ん、違う」

 ややあって理解して首を横に振る。

 短くだけ答えたのは好きな響きの余韻を消したくないからでもあるし、元から喋る事が好きでないからでもある。

 イスルギが軽く笑った。

「そうか眠くはないのだな。ではどうだ、今日は天気が良い。少しばかり散歩にでも行ってみるか」

 クシナは今度こそ返事をしなかった。

 その代わりに、さっと動いてお出かけ準備に取りかかる。出かけるなら着るようにとヤサカが言っていた服を探し、衣装箪笥に頭を突っ込んでいた。

 転げ落ちた小妖精が手を振り上げ文句を言っていた。


 少しばかりの散歩。

 町内一周とか近場の公園に行くとか、それが普通の散歩だろう。だがイスルギとクシナの散歩は少し違った。二人が行くのは、もっと遠くて近い場所になる。

 深い森の中に、空間を裂いて二人の姿が出現した。

 そこは店のある都市から遙か離れた――幾つもの川や山や砂漠を越えた――辺境と呼ばれる地域の樹海。

 物理的な距離としてはとんでもなく遠いが、転移の魔法を使えば凄く一瞬。だから遠くて近い場所というわけである。

「さて何か面白いものがあればいいが」

 辺りには強い緑の匂いが立ち込め、息をするだけで身体の中に染みてきそうな濃さ。ここまで来られる人間は数少ないため、貴重な素材が沢山ある。

 散歩ついでに集めた素材が勇者用品店の貴重な収入源だ。

 ただし、あまり数は扱えないのが難点でもある。やり過ぎると悪目立ちをして、入手先を追求されると面倒な事になってしまう。あと勇者用品店なので、素材ばかり売るのは経営方針に反してしまう。

「とりあえず歩くか」

「歩く」

 周りの風景はさておき、歩きだしたイスルギとクシナの様子は散歩そのもの。

 頭上は巨木の枝葉に覆われ空は殆ど見えず、木漏れ日が光線のようになって差し込んでいる。葉の間に潜んだ尾長蜥蜴は闖入者を不思議そうに観察し、大きな目玉をぐるぐると動かしていた。

「んー、あれ」

 クシナは巨木の幹にいる昆虫を指差した。立派な角があって甲殻が玉虫色に輝いて綺麗だ。ただし大きさはクシナの頭ほどもあるのだが。

「虫か。いかんな、虫は止めておこう」

「だめ?」

「前に虫素材を持って帰った時はヤサカがな……。虫を持って帰るのなら、しばらく夕食が期待できなくなるだろう」

 イスルギの言葉に、クシナは即座に虫を諦めることにした。

 綺麗な虫に興味はひかれるものの、それよりも食事の方が大切なのである。

 道などないため木々の間を分け入り枝葉を押しのけていく。足元の土は軟らかく、ところどころに下草もあって歩きにくい。

 倒木に花のような茸を見つけたり、素早い動きの小動物を見かけたり。何より近くにイスルギの足音や言葉の響きが感じられ、クシナにとっては楽しい時間だ。


 程よい素材が幾つか手に入った。

 渓流の側で綺麗な縞の入った石、極彩色をした鳥の落とした美しい羽根。木の実や果実。綺麗な蝶は……やはり虫なので止めておいた。

「いかん、素材ばかり集めては素材屋になってしまう」

「錬金するから」

「そうかクシナの錬金があった。助かるな」

「んーふふ」

 頭を撫でられ、クシナは御機嫌になった。

 それで機嫌の良いイスルギが積極的に素材を集めだし、いつもより奥の方にまで森の中へとすすんでいく。それに伴って危険なモンスターも出現するのだが、魔王とアークデーモンの散歩を邪魔できるはずもなかった。

 すんすん、とクシナが匂いを確認しながら辺りを見回した。

「んー?」

「この香りは……珍しいな、偽世界樹の木だな」

 どこからか甘く爽やかな香りを感じたイスルギは、その原因を直ぐに見つけた。

 偽世界樹、それは神秘の力を宿した木だ。偽という名が冠せられているように、本物に比べれば遙かに神秘の力は薄いのだが、それでも希少な存在である。

 もちろん錬金術を嗜む者にとって嬉しい素材だ。

「少し頂いていくとするか」

「うい」

 高い位置に枝葉があるため、イスルギが手を伸ばし丁寧な手つきで葉を採取する。それを受け取って籠に入れるのがクシナの役目だ。

 偽世界樹の葉はとても良い香りがした。

 これで何が出来るだろうかと、クシナはわくわくした。

「なかなか大量だな。もう籠いっぱいか」

「いっぱい」

「そろそろ戻るか。少し採取に集中しすぎたからな、心配しているだろう」

「ヤサカ?」

「店番させっぱなしだからな……」

 直ぐ戻ると言って散歩に出て来たが、思った以上に時間が経っている。

「あー、ご飯」

「そうだな、今日の夕食がどうなる事か」

 以前ヤサカに留守番を頼んで出かけた時の事。

 すっかり予定を超過してから戻ると、ヤサカは何やらいじけていたのだ。あげく七日間通しで全く同じ料理が出されて辟易としたのである。

 思い出したクシナも身震いをした。


 偽世界樹の葉をしまって転移の魔法を発動――する前に、イスルギとクシナは辺りの変化に気付いた。

 向こうで鳥たちが一斉に飛びたっている。

 巨木の幹がへし折られ、枝葉が激しく辺りを打ち、地面に叩き付けられる激しい音。それも一度だけでなく次々と続いている。

「何事だ?」

「力、感じる」 

 クシナが呟く。

 魔王イスルギは自身の魔力が強すぎるため、実はそうした感知は得手ではない。だから気配程度しか分からないが、クシナが言うのであれば、それなりの力ある存在が何かしているのだろう。

「ここらを荒らされては困るのだがな」

 知らぬ間に荒らされたのであれば諦めもするが、目の前で起きているのであれば見過ごせはしない。ここは、勇者用品店の資金確保に大切な場所なのだから。

 軽く跳び上がって、そのまま飛翔する。

 頭上を覆う枝葉を一気に突き抜け、樹海の上へと出る。そこから音のした方向を見れば、直ぐに問題が判明した。

「あれは老山熊猫だな」

 木々の梢の向こうに、ひょっこり見えるのは獰猛そうな顔をした獣だ。ただし実際にはのんびりで穏やかな性格をしている。だが、その巨大さ故に動くだけで辺りに被害を出してしまう。

 ちょうど今の様に。

「ん?」

「いや、話の分からぬ相手でもない。余計な争いはせず少し頼んでおくか」

「うん」

「さて獣の言葉は久しぶりだ」

 高速で飛翔して老山熊猫に近づく。

 既に膨大な魔力の接近を察知し警戒と怯えを見せているが、イスルギが力ある言葉で話しかければ安堵した様子となった。

 そして老山熊猫は対話に応じ、この先に近づかないことを約束してくれた――のだが問題もあった。暇をしている上に歳を重ねている老山熊猫は、年寄りにありがちな感じで話が長く、久しぶりの話し相手を直ぐには放してくれなかったのである。

 斯くしてイスルギの帰還は遅くなるばかり。

 一方、クシナは木の枝に腰掛けたまま魔王と巨獣の交わす響きを楽しみボンヤリする事にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る