第23話 留守番(勇)

 勇者にして騎士のアイリスは自覚していた、自分が恐いという事を。

 しかし、それを自覚したのはつい最近。

 それまでは自分の性格や生き方というものは、極当たり前のものと思っていた。

 切っ掛けは皆の雑談――アイリスが恐くて近寄りがたいという言葉――を偶然耳にした事だった。

 陰で言われてショックだった。

 自分が恐いと知ってショックだった。

 それ以上にショックだったのは、アイリスが聞いていたと気付いた時の皆が見せた気まずそうな、ばつの悪い顔もショックだった。

 それからどうにも、生き方がギクシャクしている。

 剣の稽古も騎士としての教練も、自分が恐すぎる原因ではないかと常に悩んでしまうようになった。悩みは判断の遅滞を招き、反応の遅れに繋がる。

 おかげで騎士長との稽古でも散々だった。

「ここ最近のお前は、一体どうした? 前は三本に一本は勝てたものが、今は全くではないか」

「申し訳ありません、どうにも動きが優れず」

「何か悩みがあるのであれば……いやまて、男である俺には言いづらいな」

「は? それはどういう?」

「皆まで言うな、お前も年頃の女だという事を忘れていた。うむ、こういう話は女性同士でするべきだ。それにしても目出度い!」

「はぁ……?」

 何か分からないが、騎士長に妙な気遣いをされた事だけは分かった。

 勝手に納得した騎士長が呼んでくれたのが宮廷魔術師ルシアン殿で、そのルシアン殿が助言してくれたのだ――可愛いものを買えと。


 翌日――。

 アイリスは休みをとって外出した。

 休暇は騎士長が快く与えてくれたが、訳知り顔だったので、ちょっと腹立たしい。

 大通りに人の姿は多く賑わっている。

 この平和を守ることこそが、騎士であるアイリスの使命。

 志を新たに背筋を伸ばし規律正しく進んでいけば、自然と皆が避けていく。やはり鎧を着てきたのが良くなかったかもしれない。しかし、他に出かける用の服がないのも事実だ。

「しかしルシアン殿はどうにも……」

 少しだけ眉を寄せ、教えられた路地を曲がって裏通りへ入る。

 同じ歳にして宮廷魔術師ルシアン。数々の業績を持ち、最近では聖堂で行われていた横領事件も解決している。そんな凄い人物だが、どうにも人をからかい楽しんでいるような素振りがあった。

 今回の件で紹介してくれた勇者用品店。

 そこに行けば何か掴めると言いつつ、アイリスが喜んで頷けば、行っても何も掴めないかもしれないとも言う。そして人の悪い顔で笑うのだ。

 ちょっと腹立たしい。

「ああ、あれだな」

 考えている内に、言われたとおりの店を見つけた。

 こぢんまりとした建物で、屋根は赤で壁は白。近づいていくと、樫の木で出来た扉に『勇者用品店イスルギ』という看板が下げられている。


 カランコロン――小気味よいドアベルの音が響く。


「いらっしゃいませー」

 笑顔で迎えてくれたのは、白い綺麗な髪の女性だった。

「貴女が店主のイスルギ殿か?」

「いえいえ、それは違います。私は従業員で、ヤサカと言います」

「むっ、そうだったか。これは失礼した」

「そんなに畏まらず、中へどうぞ」

 促されるまま店内に足を進め、中央の大テーブルへと促されるまま座る。

 辺りを見回すと剣や武器もあるが、それ以外のものも多い。可愛らしい縫いぐるみや小物、指輪や首飾りといった装身具、綺麗な小瓶や小箱などだ。

 思わず目を奪われていると、湯気立つカップがテーブルに置かれた。

「どうぞ、特製の蜂蜜茶です」

「うっ、ああ頂こう」

 実を言えば甘いものは好きだが、騎士として己を律するために控えていたのだ。しかし出された以上は飲むしかないではないか。

 嬉しい気分で口にすれば、サッパリとして後味の良い甘さだった。

「これは美味しい」

「はい、ちょっと特別な蜂の巣から集めた蜂蜜ですから」

 優しげなヤサカの笑顔は、堅物というものとは程遠いものだった。

「私はアイリス、ここにはルシアン殿の紹介できた」

「ああルシアンさんの」

 ヤサカはちょっと身構えた感じだ。

 たぶんアイリスと同じ気持ちなのだろう。良い友達になれそうな気がした。


「ここに私に必要なものがあるという事だそうだ」

「必要なものですか?」

「うむ、あーつまりだ。かわ……変わった武器などないかと思って」

「変わった武器です?」

「そうだ」

 可愛いと言う勇気がなかった。

 ――言えなかった、私のバカ!

 激しい自己嫌悪が込み上げてくる。

 言えなかったこともだが、変わった武器は武器はないだろう。変わった武器は。店員のヤサカも困った顔で首を傾げているではないか。

「いや、なければ構わないのだが」

「大丈夫です、あります」

 むしろ無いと言ってくれたら、どれだけ良かったか。

 実際、変わった武器は沢山あった。

 使い勝手が悪そうとか、それ以前に武器かどうかさえ分からないものが幾つも出される。例えば大鎌だの大鋏だの如雨露などと。見ている分には面白いしが、しかし買う気にはなれない。

 そんな気持ちを察したのか、ヤサカが見つめてくる。

「本当に欲しいものはなんですか? これらではありませんよね」

「うっ……」

「いいでしょう、私が当てて見せます。アイリス様が欲しいのは――こういったものですね」

 ヤサカは手に取った縫いぐるみを突きだしてみせた。

 全ては見透かされていたのだ。かかる羞恥にアイリスは両手で顔を覆い、膝からくずおれるしかなかった。


「すまなかった……」

 大テーブルを囲んで、またあの美味しい蜂蜜茶を貰っている。

 変わった武器は店の奥に片付けられて、アイリスが本当に欲しかったものと、それを必要とした理由を洗い浚い白状したところだ。

「いえ、私こそすいません。まさか泣かれるとは思わずに」

「それは言わないでくれ、むしろ忘れてくれ」

「分かりました忘れましょう。ですが、泣くまで悩んでるアイリス様の為。私は全力で応援しますよ」

 ヤサカは、両手を握って勢い込んでいる。とてもありがたいが、泣いたことは忘れてくれなさそうだ。早いところ忘れて欲しい。

「しかし、なぜ分かった? つまり私が、その……」

「可愛いものを探している事ですか?」

「そうだ、それを探している事だ」

「店に入られた時に、真っ先に目を向けてられましたから」

 どうやら、最初の時点でバレていたらしい。

 これが戦いであれば、もう完全に敗北。戦う前から負けていた状態だ。

「ルシアン様の言う事は正しいと思いますよ。でも、その前に。アイリス様はアイリス様のままでいいのではないです?」

「しかし……」

「なぜ恐いとだめなのです? 恐いという事は心に芯があるということ。そんな人は素敵と思いますよ」

 その青い澄んだ瞳で見つめられると、なぜだか子供の頃に祖父母に諭された事を思い出す。

「あとは好きな人に対する優しい気持ち、それを心に宿せばいいのです」

「そんな相手がいないのだが」

 騎士になって訓練の日々。自分より強い奴がいれば好きにもなるが、アイリスに勝てるのは騎士長ぐらい。そして騎士長は既婚者。他の連中は剣で叩き伏せるだけの関係。好きとかといった気分とは程遠い。

 かなり難しい。


「それなら……このクマの縫いぐるみをどうぞ」

「縫いぐるみ」

「寝る前に頭を撫でてあげて、その気分を持って周りの人に接する。それでいいのですよ」

「クマの頭を撫でる気分か」

 縫いぐるみを手にして見つめる。

 クマと言うには可愛い縫いぐるみの頭を撫でてみた。

 屋外訓練で仕留めたクマは、もっと恐ろしく獰猛そうで、爪の一撃は盾で受ければ弾き飛ばされそうになったぐらいだ。

 あれの頭に剣を叩き付けた時の気分は――いや、その気分は駄目だろう。

「うーん、なんだか先行き不安な感じですね」

 ヤサカは自分の頬を指先で軽く叩いて思案顔だ。そして何か思いついたらしく、綺麗な笑顔になる。

「分かりました! それでは私と一緒にケーキを食べに行きましょう」

「なに? ケーキだと!?」

「そうですよ、美味しいものを食べれば気分も和らぎます。その気持ちで周りに接すれば大丈夫です」

「む、むう」

 クリームと果物をたっぷりと使った美味しいケーキ。想像するだけで、もう心が弾んでくる。昔はよく食べたが、騎士となってからは自制してきた。ひょっとすると、それが駄目だったのだろうか。

「丁度いいです、今日はもう閉店です」

「それはいいのか……?」

「問題ありません。店主が散歩に行くと言って、ちっとも戻って来ないのですから。私も勝手にお出かけします」

「そ、そうか。まあ別に私は構わないのだが」

「では行きましょう」

 ヤサカが良い笑顔で返事をする。

 そこには断固とした決意が見られるので、これはもう行くしかあるまい。


 これによってアイリスは、すっかりケーキに嵌まって週に一度は楽しむようになった。楽しみが出来たおかげで、その表情はどこか柔らかくなり笑顔も増えた。

 しかも縫いぐるみを集めているという噂も広まり、それによってアイリスが恐いという噂も自然に消えてしまったのであった。

 ただしアイリスが騎士長の妙な勘違いに気付くのは、もう少し後になる。

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