第21話 思い違い(勇)

 底冷えのする闇を浮遊する感覚が魂の底まで凍てつかせる。

 そこから急転直下で光に突入すれば、今度は全身が激しく軋み身体中の肌が引っ繰り返ったような感覚に襲われる。泣き叫びたくなるそれを乗り越えれば、肉の感覚が戻ってくる。

 ただし、その全ての記憶は直ぐに曖昧となってしまう。


 勇者クリスタが目を開けると、金色に飾られた荘厳な天井が見えた。それを見て、どうやら自分が死んで復活し聖堂に戻ったのだと理解した。

 死して復活までの間の事は覚えておらず、思い出せない夢のように酷くもどかしい。だが時折、夢の残滓が心に閃き奇妙な薄ら寒さと苦痛を運んでくる。

 この感覚に耐えきれず、勇者を止めてしまう者もいる程の辛さ。

 自然と呼吸が激しくなる。

「っ……」

 身を捻って俯き喘げば、そこで自分の胸が大きく上下する様子が目に入った。

 ばたばたと人の動く音が聞こえ、それが大きくなる。前にも復活を経験しているクリスタには、それが聖堂のシスターの足音だと分かっていた。

「もう大丈夫ですよ」

 言葉と共に優しく抱き起こされる。

 相手が見習いシスターと分かってクリスタは苦労して微笑んでみせた。

「大、丈夫……」

「無理しなくていいです、自分のペースでゆっくりで構いません」

「感謝する」

 言われるままシスターに身体を預け、ゆっくりと呼吸を繰り返す。徐々に心が落ち着き、心の中から薄ら寒さと苦痛が消えていく。

 クリスタは目を閉じ、記憶が途切れる前の事を思い出す。

 道に迷って気付けば魔王領に踏み込み、そうとは知らずに歩く内に魔王城近くにまで入り込んでしまった。勇者だと露見した途端、魔族の皆から拍手され魔王城にまで連れて行かれ、親切そうな魔族の案内で謁見の間に案内されたのだ。

 何やらそれが魔王の方針なのだと言う。

 案内された謁見の間には小柄なリッチがいて、しばし待てと言われた。クリスタが怯えながら待っていたところ魔王が現れ、そして――。

「くっ……」

「大丈夫ですか、まだ辛いですか?」

「いや、問題ない。少し思い出して悔しくなっただけだ」

 魔王は妙に嬉々とした様子で互いに全力を尽くそうと言い放ち、そしてクリスタは死んだのだ。魔王が最初に放った雷光の一撃によって。

「なんだったのだろう……」

「えっ、どうかされましたか?」

「ううん、何でも無い。思い出しただけ、死ぬ寸前のことを」

「あまり無理に思い出さない方がいいですよ」

 気の毒そうなシスターの言葉にクリスタは軽く頷いた。

 しかし死を経験してわかった事がある。それは、魔王という存在が本当に強大だという事だ。あんな存在がいるのなら、勇者はもっと強くならねばいけない。

 ――とりあえず目標が見えたのは良いこと。

 クリスタは決意し、動けるようになると直ぐに行動を開始することにした。


 街の中心を貫く幅広な大通り。

 両脇には幾つもの店が並び、様々な品が売られている。行き交う人々の会話や足音などがうねるように響き、そこに店員の張りあげる呼び込みの声が跳ねて響く。どこかの店の鳴らすベルや、太鼓を叩く音。犬の吠え声、鳥の鳴き声。これに皮を打ちたたく響きや鉄を打つ音。

 種々様々な音や動きが通りには満ちていた。

「ここから三つ目の通り……だったか?」

 クリスタは辺りを見回しながら呟いた。

 大通りの真ん中で立ち止まるため、周囲からは迷惑そうな目を向けられるが、しかし慎重に確認せねばいけない。なぜならクリスタは方向音痴なので。

 しかし、そのお陰で迷いに迷って魔王城に辿り着いたのではあったが。

「間違いない、ここから三つ目だ」

 目指しているのは聖堂の見習いシスターに教えて貰った店だ。アヴリルという少女が言うには、そこは勇者用品店で素晴らしい品が揃っているだけでなく、店主がたいそう素晴らしい人なのだと言う。

 そういった話は基本信じないが、相手は見習いとは言えシスターである。

 しかもシスターアヴリルには何か他とは違う信念のようなものも感じた。

 だから信じて従って見る事にしたのだ。

「あれか」

 クリスタは呟くが、裏通りに入って一度反対方向に進みかけ、どうにも様子がおかしいので引き返してきたところである。

 赤い屋根に白い壁、手前に小さな花壇があって綺麗だ。樫の木のドアには『勇者用品店イスルギ』との看板が下がっているのみ。大通りの店々のような呼び込みもなければ、目立つオブジェもない。

 だが、それが逆にクリスタには好感が持てた。


 カランコロン――小気味よいドアベルの音が響く。


「お邪魔させて貰う」

 クリスタは断りをいれながら店内に足を踏み入れた。

 そこは良い匂いがした。どう例えればよいのか、何とも心の落ち着く匂いだ。妥当な表現かは分からないが、田舎の祖父母の家に感じる匂いのようにも思えた。

「いらっしゃ……」

 男の店員は声をあげかけ眉を寄せ、まじまじとクリスタを見つめてくる。何かとても奇妙なものを目にしたような顔だ。

 同時にクリスタも、その男が妙に気になっていた。店内には様々な品があるというのに、少しも目に入ってこない。

「すまない、店に入ったのはマズかっただろうか」

「ああ、いや問題はない。少し見覚え……知っている者に似ていただけだ」

「世の中には似た者が三人はいると聞く、そういう事だな」

「その通りだな。で、用件は何かな」

「聖堂の勇者アヴリルに教えられてここにきた。これが勇者の証――」

 アヴリルに言われた事を思い出し勇者の証を取り出そうとするが、イスルギと名乗った店主に必要ないと言われてしまった。

「君が勇者という事は知っている。ここに来たのは何か捜し物かな」

「うん。私は魔王と戦えるようになりたいんだ」

「……素晴らしい」

 途端にイスルギは感動の面もちになった。変な人だ。

「その死しても折れない心、前向きにすすもうとする気持ち。まさに勇者だ」

「何故私が復活したと知ってるの?」

 クリスタが首を傾げると、イスルギは咳払いをした。

「聖堂から来たと言ったからだ。他意は無い、他意は」

 なるほどと思う。

 勇者が聖堂に関わるのは最初の加護を貰うときか、あとは復活するときだけ。つまるところイスルギはクリスタをベテラン勇者と見てくれたのだ。

 子供にすら間違えられる童顔のクリスタとしては嬉しい評価だった。

「そして魔王に挑む気持ちも素晴らしい。だから君には、魔王の攻撃すら防げるマントと、魔王に傷を与えられる剣を進呈しようではないか」

 真面目な顔で冗談を言うイスルギが、なかなか面白い奴に感じられる。しかも魔王を冗談に使うとは、なかなか肝が太い。

 そんな店主のいるこの店は間違いなく良い店なのだろう。


「いや、私はそんなものは必要ない。仮に店主の言う事が本当だったとしてもだ」

「ほう?」

「実を言えば、私は少しだけだが魔王と相対した。卑怯な不意打ちで、直ぐに殺されてしまったとしてもだ」

「いや、それは魔王も一撃で死ぬとは思わなかったのでは……」

「どうだろうか。どちらにせよだ、私はその時に魔王との実力差を痛感したのだ」

 死の寸前、一瞬とは言えど感じた魔王の力を思い出す。

 つい先程までは完全に忘れていたが、ここに来た途端に何故か思い出したのだ。途方もなく、そして桁外れに強い魔王の力を。

 あの力に対し道具で底上げして挑んだとしても無意味。

 否、それどころか失礼でさえある。

「だから私は自分の力で、あの力に挑むつもりだ。たとえ死ぬまで無理だったとしても、自分自身を鍛えて少しでも近づいてみたくもある。だから申し訳ないが、その装備はいらないんだ。たとえ本物だったとしてもだ」

 手を叩く音がするのは、イスルギが拍手していたからだ。それは冷やかしでない事は、その穏やかだが真剣な顔を見れば分かった。

「素晴らしい覚悟だ。どうやら無粋な提案をしてしまったな、謝罪しよう」

「うん、気にしないで欲しい。それより装備自体は欲しい。今の私に相応しい普通の装備を見繕ってくれないだろうか」

 クリスタの頼みにイスルギは直ぐに応えてくれた。

 まずは店に入って直ぐの場所にある変哲もない剣を一振り、それから簡単な防具を購入。それで資金が尽きた。勇者になって数ヶ月のクリスタには、あまり大した資金はないのだ。

 だが、これで十分。

 方向音痴であるが故に迷い迷って魔王領に辿り着き、魔王に会って死んでしまったが。それも今では良かったとさえ思える。

 クリスタにとって魔王に挑む事は至上の命題として心に刻まれたのだから。

 これは憧れなのかもしれないし、もしかしたら恋なのかもしれない。

 なぜならクリスタは魔王を思うたび、心がドキドキして弾むのを感じるのだから。あとどうしてだろうか、店主イスルギの顔を見ても同じ気分になる。

 また来よう、そう誓いながら店を後にした。

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