第17話 始まり(勇)

 自分が何をしたいのか、何をすべきなのか。

 何も分からないまま時が過ぎゆき、それが酷くもどかしい。

 ――それであれば、まだ身体を動かしている方がマシってもんだ。

 ゾイナーは顔をしかめ、母に言われるまま家の片付けをしていた。家は古着屋を営んでいるので、そこそこ裕福。生活に困らないのは、とてもありがたく幸運なのだろう。このままいけば自分も冴えない古着屋の主になるということ以外は。

 だが、今は物置の片付けに集中せねばいけない。

 母は怒ると恐いのだから。 

「終わったよ、もう休んでいいよね」

「どれどれ、ちょっと確認するわ」

 エプロンを外しながら母がやってくる。

 ちょっと適当に押し込んだだけの場所が気づかれないか、少し心配だ。そもそも捨ててしまえばいいような物でも母が後生大事に仕舞い込むので、こんなに片付けも大変になるのだ。ちょっと不満だ。

 しかも力仕事をすべき父は家の中で売り物になる古着の手直し、まだ幼い弟はその手伝い。だからこうして自分ばかり力仕事をせねばならない。凄く不満だ。

「ちょっとゾイナーね、こういう入れ方は駄目でしょう。お母さん怒りますよ」

「いやぁでもさ。その足元の木箱が邪魔くさくってさ」

「木箱……」

 ゾイナーの言い訳を聞いて、母はようやく木箱に気付いたようだ。それは長方形をした、やや大きめの木箱だ。

 すると急に目を輝かせ手を打ち合わせている。

「あららっ、これ懐かしいわね。これ昔使っていた装備が入ってる箱よ」

「装備って?」

 しかし母は問いにも答えず、嬉しそうに木箱を開けている。

 中を確認していなかったゾイナーも横から覗き込んだ。そして眉を寄せた。

「なにこれ?」


 中には古びた布で巻いた細長いものが二つあった。

 その布を母が嬉しそうに解いていけば、驚くことに鞘に収まった剣が現れた。持ち手の部分を見れば、随分と使い込まれたものだと分かる。

 もちろん、もう一つも剣だった。

 こんな剣が二振りも古着屋の家にあるとは、ゾイナーには少しも思ってなかった。

「あれ? これ昔使ってたって言った?」

「そうなのよ。お母さんも、昔はこうやってね……えいっ!」

 母が腰元に構えた剣を驚くほど慣れた手つきで抜き放つ。

 鈍色をした鋼が現れ出ると、僅かに差し込んでいた日射しに輝き、まるで凄い名剣のようだ。

 そう思ったのも少しの間。

 よく見れば、その剣はところどころに薄錆が浮いていた。

「やっぱり長いこと放かっておいたから仕方ないわ」

「なんでこんなのが、うちに?」

「それはねー、ふふふっ」

 母は含み笑いを浮かべる。

 抜き放たれた剣を手にしているので、ちょっと恐いかもしれない。

「お父さんとお母さんはね。昔、勇者をやっていたの」

「勇者って、あの勇者!?」

「そうなのよー、かれこれ五年ぐらいは勇者をやってたのよ」

 驚いたゾイナーは母を思わず見つめて瞬きし、それから古着屋の店主をしている父の姿を思い出してみた。

 どう考えても勇者とは縁遠い普通の夫婦にしか思えなかった。


 木箱にあった剣を父の元へ持って行けば、驚いたような恥ずかしいような、そして最後は照れたような反応をされた。

「あー、それかー。忘れたわけではないが、気がついたら置きっ放しだったな」

 それを忘れたと言うのではないだろうか。

 指摘してやれば、父は頭をかきかき苦笑いのような顔をしている。

 剣に興奮して触りたがる弟を危ないからと遠ざけつつ、しかし結局根負けして触らせてやる様子からは、勇者の片鱗も感じなかった。

「あのさ勇者ってことは戦ってたの? つまりモンスターと」

「ん? そりゃ勇者なんだ。モンスターと戦ってたに決まってる」

「ああそうなんだ」

 古着屋でお客を相手にして、母さんに逆らえなくて、夕食にお酒が出ると手を合わせ喜ぶ姿を考えると、どうしても勇者をやっていたとは思えなかった。

 自分の剣を肩に担ぎ母がやって来た。

 そっちのほうが、よっぽど勇者っぽいかもしれない。

「ちなみに、お父さんとお母さんは勇者仲間だったのよね。あの時のお父さんときたら、いつも私の後を必死で追いかけていたのよねー」

「ま、まあな……」

 気まずそうに目を逸らす父の様子、そして普段の生活から察するに。きっと突っ走る母の後を追いかけ、時に尻を蹴飛ばされながら勇者をやっていたのだろう。

 絶対そうに違いない。


「モンスターは恐いし、戦闘はもっと恐くて痛くて死にそうにもなるし。それどころか、街を出て目的地まで歩き続けるのは辛いし退屈だったなぁ」

「あら、私と一緒だったのに退屈だったとでも?」

「それはない。いつもドキドキハラハラさせられたよ、とってもな」

 きっぱりと頷いている。

「でも、勇者なんてやるもんじゃないな。もう一度人生やり直して、もう一回やれと言われたら俺は絶対にやらないな」

「私もそうね」

「ああ、でも君と出会うためならやるけど」

「その点は私も同じ気分と言ってあげよっかなー、どうしよっかなー」

 二人して見つめ合って頬を染めてさえいる。

 幾つになっても仲が良い。夫婦円満は良いが、子供たちの前という事を忘れないで欲しかった。

「じゃあさ、なんで五年もやってたわけ?」

「そりゃな」

 父は目を閉じ顎を摩って微笑んだ。

「助け合う仲間がいた。依頼をこなして感謝された時の気分は最高だった。勇者として魔王を倒そうと頑張ってる実感があった」

 徐々に笑顔が深まっていく。いつもとは違う、穏やかだが力強い笑顔だ。

「辛くて苦しかったが、沢山の事を経験した」

「そうよね。ほんっとに、いろいろな事を経験して学んだわよね」

「ああ、そうだな。いまは勇者を引退して、俺は単なる古着屋の主人かもしれないが。もし人に何者かと聞かれたのなら、おれは胸を張ってこう言うだろう」

 目を開けた父は笑顔で言った。

「俺は人々の為に戦った古着屋の主人だと」


 その時の父と母の姿は素晴らしいもので、ゾイナーには心から羨ましく思えた。

 だから、ゾイナーも勇者になったのだ。

 家を出てかつて父と母がしたように、聖堂で勇者の加護を貰って、同じように勇者としての活動を始めた。もちろん父の使っていた剣を受け継いで。

 一人で出た街の外は恐くて腰が引けた。だだっ広い平原の中に初めて立つと、それだけで不安な気持ちになった。見上げた空が広過ぎて、押し潰されそうな気分になり震えた。

 初めて戦ったモンスターは手強かった。初めて命を奪った後は正直吐いた。初めて怪我をした時は痛さのあまり泣いてしまって、死なないと分かっても恐怖した。

 どうして自分は勇者になってしまったのかと後悔もした。

 でも。

 それでも。

 世界の広さを知った。街の外の空気も知った。人に感謝される喜びも知った。達成感もあった。魔王を倒すのだという気分に心が燃える。

 勇者は楽なものではないけれど、楽しくはあった。


 カランコロン――小気味よいドアベルの音が響く。


「あっ……」

 その音でゾイナーは我に返った。

 どうやら店の関係者の少女が入ってきたらしい。金色の髪の可愛らしい子だ、ちらりとだけ視線を向けて軽く会釈だけして通り過ぎていく。

 喋れないわけではないが、殆ど喋らない子だ。

 ――それに対して、喋りすぎだったかな。

 頭をかきかき苦笑いのような顔をする。

 ゾイナーは勇者用品店で、どうして勇者になったのか問われるまま語っていたのだ。ついつい熱が入ってしまったので店主に謝っておく。

「すみません、つまらない話を喋りすぎました」

「いや素晴らしい話だった。実に感慨深いものがあった」

 店主イスルギは本心で言っているらしく何度も頷いている。小さく手を叩きさえしている。本当に変わった人だ。

「勇者の気持ちがよく分かったよ、とてもありがたい」

「うーん……でも、いま話したように。僕は特別な理由とか目的があって勇者になったわけではありませんよ」

「いいではないかな」

 この店主は何故か勇者に強い思い入れを持っているので、こんな話ではがっかりされると思っていた。

 だが、そうではないらしい。

「私も以前は勇者を特別視していた。でも最近はそうでもない。悪い意味ではないが君の話を聞いて、またそう思うところができたよ」

 よく分からないがイスルギは穏やかに笑っている。

 どこに満足されたかは分からず、それを問いかけて見たい気持ちになる。だが、それをする前に店の奥から声がかかった。

「ゾイナー君、お待たせしました」

 それは最近コンビを組んだ勇者のシセリーだ。

 彼女と知り合って新米同士協力するうち、すっかり仲良くなった。

 この店に来たのもシセリーの装備を新調するためだ。遠慮気味だった彼女は、店員のヤサカに促され奥で試着をして、その間にゾイナーは大テーブルでイスルギと雑談をしていたのだった。

 店主お勧めの真新しい装備に身を包んだシセリーは、ちょっと照れくさそうで恥ずかしそうで。それが素敵で、いつもより可愛く見える。

 それはもう目が離せないほどに。


 ふとゾイナーは思った。

 いつか古着屋の主になった自分は我が子に語るだろう、この勇者だった日々のことを。そしてその時その隣にはシセリーがあるに違いないだろうと。

 それは確信めいていた。

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