第14話 聖女(魔)

「ただいま戻りました」

 声が先か転移が先か、店の中に姿を現すと同時にヤサカは言った。スカートの裾を摘まみ頭を下げると、白い髪がさらさらと流れ動く。

 続けて転移をしてくる気配。

 金色の髪に赤いリボンを付けた姿が現れ、手を挙げてみせた。

「戻った」

「クシナ、その挨拶はイスルギ様に失礼ですよ」

「ん」

 言われてクシナはスカートの裾を摘まみ、ちょこんと頭を下げてみせる。一応従ったという事で挨拶は終わり。駆けて来て、手に持っていた書簡を差し出した。

 封蝋の印を見てイスルギは呟いた。

「爺やからの書簡か」

 開封して中を読み、軽く呪を唱えて燃やしてしまう。

 あまり芳しくない内容に軽く眉を寄せていたが、心配そうに見つめてくるクシナの眼差しに気付き軽く微笑んでみせる。

「ああ、ありがとう。よく運んでくれた」

「ん」

 役目を成し遂げ褒めても貰い、クシナは上機嫌で店の奥に走って行った。そちらに自分の部屋があって、錬金を好きにやれるようになっている。恐らく、それをやりに行ったのだろう。

「イスルギ様、どなたか来客でしたか?」

「ああ、見込みのある勇者がな。それで茶葉を勝手に使わせて貰ったが……自分で煎れて改めて思ったぞ。ヤサカの煎れる茶が美味いという事を」

「でしたら直ぐ煎れましょうか?」

「いや……後にしよう。これから少し出かけてくる」

 イスルギの言葉にヤサカは悲しげに目を伏せた。

 ただし、それはお茶が理由ではない。もっと別の理由だ。

「それでは、まさか」

「ああ、そうだ。爺やによれば、聖女の命は明日の夜明けに潰えるそうだ」

「そうですか」

 ヤサカから他に言葉は出なかった。

 興味がないわけではないのは、その沈鬱な泣きそうな顔を見れば分かる。

 人との別れは辛いものだが、殊に古馴染みとの別れはなお辛いものだ。こればかりは、何度体験しようと少しも慣れやしない。

「では行ってこよう。聖女となった勇者アーシェラの元に」

 そう告げて、イスルギは店から姿を消した。


 勇者信仰の教義を説き広める組織の敷地の中。聖女の回復を願い、多くの者が集まり一心不乱に祈る聖堂から奥へと進んだ場所。

 木々に囲まれた小さな建物がある。

 それは庶民が暮らす家の如き簡素さで、派手やかさの一つもない。玄関を入って短い通路があり、簡単な台所と物置、あとは部屋が一つあるだけの建物だった。

 建物の廊下に魔法で転移したイスルギは軽く身だしなみを整えた。

 僅かな緊張を持って樫の木のドアの前に立ち、そっと優しくノックする。

「どうぞ」

 まるで予期されていたように、澄んだ声が聞こえた。

 イスルギは苦労して気持ちを整え息を吸い、微笑を浮かべながらドアを開ける。

 暖かな明るい部屋だ。

 ここで過ごす者が快適であるようにと、最大限の配慮がされていると判る。それだけ彼女が皆から愛され慕われているのだと感じられた。

「やあ、お邪魔するよ。アーシェラ」

 聖女アーシェラは年老いた身体を大振りなベッドに横たえ、白く柔らかなリネンの寝具に包まれていた。長い年月を重ね髪の色は少し褪せたかもしれないが、相変わらず綺麗な青色をしていた。

 しかし優しく穏やかな笑顔は昔と少しも変わっていない。

「他に誰も居なくて良かった、お陰で面倒が減った」

「明日の朝まで、誰も来ないようにしておきましたわ。きっと、貴方が来てくれると思ってましたもの」

「相変わらず気が利くな」

 イスルギはベッドに近づき、アーシェラが苦労して上体を起こそうとするのを手伝った。大きな枕を立て腰に当ててやる仕草も含め、それはとても気安いものだ。

 アーシェラと出会ったのは、イスルギが勇者用品店を始めた直後。

 人の街の勝手が分からぬイスルギ、開店と同時に飛び込んできた好奇心旺盛なお転婆シスターのアーシェラ。それから少しして、見かねてやって来たヤサカ。

 この三人でばたばたしながら過ごした輝かしい日々。

 全ては何十年も前の出来事だ。

「「…………」」

 沈黙の間に、そのかけがえのない日々の思い出が流れゆく。

 衣擦れの音が微かに響いた。

「イスルギ、お願い。手を握って」

 昔のようにお転婆な口調でアーシェラが言った。

 歳老いて痩せた手を言われるままに握ると、驚くほどに熱い。温かいのではなく熱いのだ。まるで燃えつきる炎が、寸前で強く燃え上がっているようだった。


「貴方の手、懐かしいわね」

「そうか」

「ええ、懐かしいわ。いつだって笑って、泣いて、怒って、楽しんで。全てが輝いて見えた日々だったもの。忘れる事なんてないわよ」

「いろいろあったな。あちこち仕入れで旅もしたな」

「覚えてる? ドラゴンに遭遇した時のこと」

「もちろんだ。あの時、アーシェラは驚いて悲鳴をあげて商品の袋を放り出してしまった。かなり高かったのにな」

「それで貴方はドラゴンをひと睨みしたわね」

「ああ、そうだな。それでドラゴンが引っ繰り返って、アーシェラは」

「もう一個の袋も放り出した」

 くすくすと笑うアーシェラ。

 その姿に澄んだ青髪の青い瞳をした少女が思い出される。確かに年月こそ過ぎたが、そこには昔の面影が残っている。綺麗に歳を重ねた彼女はとても素敵だ。

 アーシェラという本質は何も変わっていない。

 だが、全ての事に終わりはある。アーシェラが聖女になると決め、三人で過ごした日々が終わったように。

 懐かしい話を幾つもしていく。

 その間にアーシェラの持つ命が急速に減っていくとイスルギには分かった。

 勇者は死んでも復活するが、それが運命の時は復活しない。だから爺やに命じて調べさせたのだ。

 アーシェラの運命を。


「ヤサカも心配していたからな、一緒に来ても良かったかもしれんな」

「大丈夫、実は時々会ってたから」

「そうだったのか!?」

「いろいろ聞いているわよ」

 くすくすと笑うアーシェラだったが、直ぐに咳き込んでしまう。

 心配するイスルギだったが、それは手の合図で抑えられた。

「大丈夫。こんなに満ち足りた気持ちになれるなんて。とても幸せ」

「…………」

「ねえ、勇者より聖女を選んだこと。まだ怒ってる?」

「怒ってはいないさ。実は最近、勇者より賢者を選んだ者から言われた言葉がある」

「ああ、それ賢者ルシアンのことね」

 どうやら知っていたらしい。

 考えてみれば当然だろう。ルシアンは宮廷魔術師として王国の重鎮。聖女アーシェラと顔を合わせる機会もあっただろう。

「そのルシアンに言われて気付いた。勇者をやるだけが、勇者の活動ではないのだとな。アーシェラも、それで聖女になったのだな」

「ええ、私の力では貴方を魔王から解放してあげられないと分かったから。だから貴方を倒せる勇者が現れるようにと、勇者を援助したかったの」

 その活動が実を結び、王国からの援助も得られるようになり、数多くの勇者が誕生するようになった。

 しかし当時のイスルギは、そんな事に少しも思い至ってなかったのだが。

「でも、これから先は大丈夫かしら……」

 つい最近は勇者支援で不正があったばかりだ。

 関係者は処断されたとはいえ、これからも起きないとは限らない。

「大丈夫だ、見込みのある子がいたよ。見習いシスターのくせに店に突撃してきて、いずれ聖女になると決意していた」

「あら、まるで昔の私ね」

「どうだろうな。アーシェラほど無謀でもないし、お転婆でもなかったぞ」

「まあ酷い」

 アーシェラという存在に憧れ、それぞれの道を辿りながら聖女を目指す者は、これから先も現れるだろう。だから何も心配はないのだ。


「そうそう、貴方にこれを返さないと」

 アーシェラが首元に手をやり、銀糸を編んだ紐を手繰ってネックレスを引っ張りだす。その先にあるのは、輝くように白い石だった。

 イスルギは我が目を疑う。

「これはまさか!?」

「貴方から貰った月天石よ」

「白い……」

 その石は見事に白く輝いている。

 だが、その白さにイスルギは隠せなかった。

「馬鹿な」

 月天石というのはイスルギが悪戯心で思いついた名前だ。

 良さそうな形をした石を見つけてネックレスに仕立てあげ、いずれ白く輝くという話をつけて売ろうとした。店の売り上げが余りにも思わしくなく、そんな馬鹿をやろうとした時の話だ。

 もちろん石は、ただの石ころで間違っても白く輝くものではない。

「どんな石ころでも、ありえない事であっても。ずっと願い続ければいつか奇跡は起きるのよ。だから、貴方も自分の夢を諦めないでね」

「…………」

「ひと足先に逝かせて貰うわ。でも、できればゆっくりしてから来てね。いろいろな話を聞かせて欲しいもの」

「どうかな、魔王と聖女が同じ場所に行けるとは思えないが」

「大丈夫、そんなの関係ないもの」

 アーシェラの微笑みに、まさしく彼女は聖女だとイスルギは思った。彼女のために来たというのに、今はこうして彼女に励まされて穏やかな気持ちになれている。

「ねえ、この幸せな気分のまま私を眠らせてくれるかしら」

「…………」

「私は聖女ではなくて、見習いシスターの気分のまま逝きたいの」

「そうか」

「あと最後の我が儘、最期まで手を握っていてくれる?」

「アーシェラは本当に我が儘だな、本当に……」

 魔王は見習いシスターの手を握り、そこに居た。

「お休み、アーシェラ」

 日が昇る少し前の頃、魔王は歯を噛みしめ上を見を向く。固く閉ざした目から涙を一粒零した後に、その姿を消した。


 翌朝、居室を訪れた者たちは室内の静謐にして清らかな空気に驚き、さらに聖女アーシェラの様子を見て感に打たれた。ベッドに横たわる聖女はとても穏やかな笑みを湛え、幸せそうな顔で永遠の眠りについていたのだ。

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