第13話 聖女(勇)

 街全体に陰鬱な雰囲気が漂っていた。

 店の売り子は声をあげず、酒場も陰々滅々、子供たちですら笑い声をあげない。笑い声をあげたり、楽しそうな素振りすら憚られる雰囲気だ。

 その理由は、大陸一の聖女にある。

 癒しの魔法にて多くの命を救い、時には死を与え苦しみを救い。貴族とも農民とも国王とも、荒くれ者ともスラムの住人とも罪人とでも、誰とでも対等に会話の出来る聖女。

 長年尊敬され崇拝されていた彼女の命が尽きようとしていたのだ。


 カランコロン――小気味よいドアベルの音が響く。


 アヴリルは、その音が華やかに感じられ、思わず身を縮めてしまった。

 店の中は外から見ていた感じよりも広く感じられた。幾つもの棚があって、そこには様々な品が並ぶ。清らかなものや、綺麗なもの。神聖なもの、何か分からないものまで様々だ。

 しばらく立ち尽くして見回してたので、声をかけられ時は驚いてしまう。

「ようこそ、勇者用品店イスルギに」

「えっ、あっ、はい。お邪魔します」

 両手を揃えて頭を下げたのは反射的なものだ。

 アヴリルは身に付けている法衣を見れば分かるように、聖堂に所属しているシスターだ。ただし、その色は紺。修行を積み清らかな心と認められるほど、その色は白になっていく。

 つまり見習いという事であった。

「シスターがどんな用かな」

 声をかけてきたのは上品そうな男性だ。

 聖堂の中でも、これだけ品があって堂々としている人はいないと思う。着ているものは普通の服なのに、まるで王侯貴族のような印象だった。

「ごめんなさい。ここに不思議なものがあると聞き、お邪魔しました」

「すまないが、この店は勇者を対象に商売をしている」

「それなら問題ありません。私も勇者ですから」

 アヴリルは懐に隠しておいた勇者の証を取り出してみせた。


 店の真ん中の大きなテーブルの席に腰掛ける。

 そうすると周りを様々な品に囲まれて、とても不思議な気分だ。興奮するのとは少し違うが、好奇心が刺激されて心が浮き立ってくる。

「すみませんね。今日は他の者が不在なので、こんなお茶しか出せずに」

「いえ、十分に美味しいです」

 実際に美味しかった。

 その不在という人が居たら、どれだけ美味しいお茶が出てくるのだろうか期待してしまうぐらいに美味しい。

 自己紹介を交わした店主イスルギは穏やかに微笑んだ。

「それで、アヴリルさんはどのような用です? 不思議なものといっても、何とも言えませんが」

「ごめんなさい。それが私にも分からないのです。だって不思議なものですから」

「なるほど、確かにその通りだ」

 イスルギは決して馬鹿にした様子もなく、楽しそうに笑う。

「でも、それでは貴女に相応しい品が見つからない。だから、少し話をしよう。話をしながら一緒に考えられたらと思う」

「そうですね」

「ではさっそく、どうして不思議なものが欲しいと思ったのかな」

「私はいてもたってもいられなくなったんです。何かをしなきゃ、今のままではダメだと思って」

 アヴリルの中に、その気持ちがまた込み上げてくる。

 焦りに似た気持ちに突き動かされて、聖堂を飛び出し、ここまで一気に走って来た。聖堂に来る勇者から、以前ちらりと聞いたのだ。この店には不思議な品が沢山あって勇者を助けてくれるのだと。

「あっ、ごめんなさい」

 落ち着くように言われ、アヴリルはまた謝った。


 聖堂では失敗ばかり。

 いつも謝ってばかりなので、ごめんなさいが口癖になっている。

「構わないよ。では、いてもたってもいられなくなったのは何故かな」

「それは、その……つまり……」

「言ってくれて構わないよ」

「でも……」

「私は聖堂の者でもないし、普段の君の生活とは関わらない者だ。だから、道端の犬や猫に話すつもりで思う事を話せばいい」

 犬や猫と言うには素敵すぎるイスルギに微笑まれる。

 でも確かにその通りだ。ここで恥ずかしい思いをしても、普段の聖堂での生活には少しも影響しないのだから。

 そう思っても、理由を言うのは少しばかり勇気がいった。

「はい、それは……聖女様がもうすぐお亡くなりになります」

「そのようだな」

「聖女様のような方が居なくなるのは悲しくて、だから私が……私が聖女様のようになろうと思って。でも、私はこんなだから無理だと思うから。それなら、何か不思議なものがあれば私だって変われるかも」

 ひと息に言って、ようやくアヴリルは自分が不思議なものを欲した理由を理解した。気持ちが焦っていたせいで、そんな事にも気付かなかったのである。

 分かってみると凄く恥ずかしい。

 消えてしまいたい気分だ。

「ごめんなさい。大それた事を考えていました」

 空になったコップを両手で抱え、下を向いてしまう。


「別に大それた事ではない」

 少しばかりの沈黙の後にイスルギが言った。

 その声には僅かに親しみと優しさが秘められている気がする。ただし同時に、それが自分に向けられたものではないとアヴリルは感じてもいた。

「今の聖女様とて昔は、つまり……君ぐらいの歳の時にはもっとお転婆だった、かもしれない。もっと直情的で突っ走っていた、かもしれない」

「はあ……」

「つまり何が言いたいかというと、君は君らしい聖女になればいい。アーシェラのように、いや失礼。今の聖女と同じになる必要はない。自分の信じた道を信念を持ち進めばいい」

「でも道が分かりません」

 自分に何ができるのか、何をすればいいのか全く分からない。焦燥感ばかりが込み上げて、時には苛々さえしてしまう。

「それは当然だろう。なぜなら君が道をつくるのだからな」

「私が道を」

「目標を見据え、それに向け進めばいい。どれだけ遠回りしようと引き返そうと、君の進みこそが道となる」

「…………」

「だが大事な事は、焦らず着実に進むことだ」

 山の頂を目指すとき、一歩ずつ踏み締めねば辿り着かない。そして足元を踏み締める為には、その足元をしっかり見て確認しなければいけない。

「結局は日々の生活を誠実に過ごすことだ」

「よく分かりませんが、でも何だか分かるような気もします」

「そんな簡単に分かられては困ってしまうな」

 イスルギが楽しげに笑うので、アヴリルも微笑んだ。


 何か気持ちの落ち着いたアヴリルは立ち上がり、暇を告げようとした。

 だが、それをイスルギに制される。

「少し待つといい。ここに来た勇者を手ぶらで帰しては、私の信条に反してしまう。さて、あれはどこに仕舞い込んだか……」

 店の奥に行ったイスルギは、何かゴソゴソと捜し物をしている。

 かなり奥の方まで探しているらしく、大きな物音もした。自分の為にそんな事をしてもらって、何だか申し訳ない気分だ。

「待たせてすまない」

 戻って来たイスルギの手には、小さなネックレスがあった。灰色の石が一つ嵌め込まれた簡素なものだ。道端の露天でも、もっと綺麗なものを売っているだろう。

「これは月天石と呼ばれる石を嵌め込んだネックレスだ」

「月天石? 聞いた事ありません」

「この石は不思議なものだ。今は灰色をした石でしかない。しかし心清き者が毎日これに触れ、祈りを捧げればいずれ白く美しく輝くだろう」

「へえ……」

「ただし、何年何十年もかかるかもしれない。もしかすると最後まで輝かないかもしれない。だが、いつか輝くと信じる心が大事だ。今の君にはな」

 月天石が差し出される。

 どう見ても単なる石だ。そこらの道端に転がっていそうな石でしかない。月天石などという大層な名前など相応しくない石だ。

 けれどアヴリルの心は不思議と決まっていた。

 この日この時この瞬間、聖女を目指して歩み続けるのだ。単なる石ころのような自分に、これほど相応しいものはないだろう。これほど不思議な出会いは他にあるまい。

「ありがとうございます! 私、頑張ります!」

 アヴリルは笑顔と共に月天石のネックレスを受け取った。


 聖堂に帰りながら、アヴリルはふと気になった。

 イスルギが話の中で呟いたアーシェラという名前、それは確か聖女様の名前ではなかっただろうかと。けれど、そんな疑問も直ぐ忘れて気合いを入れる。聖女を目指すために。

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