第3話 面倒事がやって来た(勇)

 やや大股のゆっくりとした歩みで大通りを進み、賑わいを横目に気にもせず、ルシアンは長杖を突きつつ迷うことなく小路へと入った。

 ――ああ、歩くのが面倒。

 そこから裏通りへ出ると、大通りの賑わいが一気に遠のいて静かになる。

 これがもっと街外れの辺りになれば、雑然として薄汚くなるのだが、ここらは小綺麗で掃除も行き届いている。尾長小鼠も出なければ、黒羽鳥の姿もない。

 つまり治安も良くて、ローブ姿の女性が一人で歩いても平気な場所だ。

 ルシアンの足取りには迷いもない。

 慣れた様子で進んで、一軒の店の前に到着した。

 こぢんまりとした建物で、屋根は赤で壁は白。樫の木で出来た扉には小さな看板が下げられて、そこに『勇者用品店イスルギ』とだけ記されている。

 全く躊躇せずドアを押し開けた。


 カランコロン――小気味よいドアベルの音が響く。


「邪魔するわね、イスルギ」

 まるで知人の家に入るような声であるし、実際に勝手知ったる様子で中に入っていく。ただ先客がいた。真新しいショートソードを帯びた少女だ。

 彼女は恐縮しきった様子で、店主に何度も頭を下げている。

 ――なるほど、これは新しい常連ね。

 ルシアンは綻びそうになった口元を抑えつつ、手にしていた長杖を大テーブルに立て掛け、勝手に椅子を引いて腰掛ける。

 相変わらず店の中にはいろいろな品がある。魔法の品も、貴重な書物も素材もだ。

 テーブルの上に置かれた鉱石を見て、思わず顔を引きつらせてしまう。それは、辺境でしか採取されない極めて希少な素材。こんな無造作に扱って良い品ではないし、まして文鎮代わりにして良い品でもない。

 ただ、こうして放り出されていれば逆に誰も気付きもしないだろう。

 ルシアンのように魔術に通じているものでもなければ。

「それでは、またのお越しを」

 店主のイスルギは少女を見送ると、くるりとルシアンに向き直った。

「勝手に座って寛ぐんじゃない」

「まあ、さっきの子と態度が随分と違うわ。悲しいわね」

「当たり前だ。君のおかげで彼女が遠慮してしまった」

「ああ、それは悪い事をしたわ。私のような美少女賢者が来ては、確かに遠慮してしまうわね。ふふふっ」

 楽しそうに笑って、ルシアンは手にしていた鉱石をテーブルの上に置く。


 イスルギがテーブルの向かいに座ると、どこからともなく店員のヤサカが現れ、飲み物を置いていく。そのまま姿を消すのは転移の呪文を使ったからだろう。

 しかしよく見れば店の奥にヤサカの姿が現れている。

 たったそれだけの距離に転移の魔法を使うとは、本当に魔力の無駄遣いだ。

 それを見てもルシアンは少しも驚かない。

「相変わらず、良い香りのお茶ね」

「お茶を飲みに来たのか? 客としてなら歓迎するのだがな……そうだ、その鉱石を買ったらどうだ」

「そうね幾らで頂けるのかしら」

「特別に金貨一枚、いや金貨十枚で構わないのだが」

「ちょっとイスルギ、酷いわよ。そこは美少女の為に安くすべきところでしょ」

 ルシアンは軽く怒るように口を尖らせカップを手に取った。

 東方国でよく飲まれる葉と茎から作られる、ルシアンの好きな飲み物である。少し青くさいような香りと味が心地よい。

「さっきの子は見込みあるのかしら?」

「とてもね。どこかの誰かと違って、素晴らしく素直だ。おまけに勇者は魔王は倒すものだと、疑うこともなく信じている」

「それはまた、貴方好みね――魔王さん」

 このイスルギが魔王で、そして同時に魔王を倒す勇者を愛して止まないことを、ルシアンはよく知っていた。

「全くその通りだよ」

 イスルギは平然と頷いた。

「勇者のくせに、宮廷魔術師に収まった君より遙かに魅力的だ」

 このルシアンは賢者であり勇者であり、優れた魔術の使い手である。ところがある日、宮廷魔術師になってしまって魔王討伐に出なくなってしまったのだ。

 それを今もってイスルギは不満に思っているのだった。

「お言葉ね、私ほど魔王討伐に貢献している者はいないのですけど」

「ほお、そうかい」

「いいかしら、良く聞きなさい。この私が宮廷魔術師として王国を支えているからこそ、勇者たちは安心して活動できるの。さらに、私は勇者たちが使いやすい攻撃魔法を幾つも開発しているの。どう? 魔王退治に素晴らしく貢献してるでしょ?」

「ふむ、ものは言い様だな」

 イスルギは肩を竦め、優雅な仕草でお茶を口にした。


「で? 態々歩いて来たのはどうしてだ? 別に店の中に直接転移して構わんと言ってあったはずだが」

 そんな言葉にルシアンは苦笑する。

 空間転移は迂闊に使えない魔法であるが、それはそれとして、イスルギの言葉は別の意味がある。即ち、転移されて来ても普通に察知できるという事だ。

 魔術を極めたと自負するルシアンでも、そんな事はできないというのに。

 あまりにも実力が違いすぎる。

 ――拙い魔法で、ここに転移してくる度胸はないわよ。

 この魔王との隔絶した実力差を痛感し、だからこそルシアンは宮廷魔術師になったのだ。

 そして誓った、必ずや勇者たちの実力の底上げをしてやろうと。

 もちろんルシアン一代では無理だろう。だが一歩ずつでも進まねば、この魔王には到底及ばない。

 そして魔王を討伐する事こそが、この魔王の望みなのだ。

 貧しく明日をも知れぬ生活をしていたルシアンを救ってくれた魔王への、精一杯の恩返しでもある。

「最近は運動不足なのよ、こうして動かないと美少女体型を維持できないの」

 実際には、甘いものの食べ過ぎもある。

 宮廷魔術師はなにかと苦労が多いので、やけ食いが多いのは事実だ。

「何を情けないことを」

「私のような美少女は薄幸と決まっているものよ、きっとあと十年かそこらの命に違いないわね。と言うわけで、その命短い美少女からイスルギに頼みがあるのよね」

「まて、それ以上は聞きたくない」

 勘の鋭いイスルギは、面倒事を察知して顔を顰めている。

 本当に勘が鋭い。流石は魔王だ。

「まあ、そこは聞くべきだと思うわ」

「どうせ面倒事を持ち込む気だろう。いいか、ここは勇者用品店だ。商品を買う以外の用事で来るんじゃない」

 イスルギの態度は素っ気ないが、しかし席を立つ様子もない。口ではどうこう言いつつも、常に心配してくれている事は、昔から少しも変わらない。

 その事に苦笑する。


「そう言わないでよ」

 お茶を飲み干すと、ごく当たり前のようにヤサカが現れお代わりを注いでくれる。やはり空間転移の気配は少しも感じられなかった。

 それはそれとして店の奥にいるのだから、ごく普通に運んで来くればいいのにとルシアンは思ってしまう。ちらりと見ると、つんっとそっぽを向かれてしまった。

 どうやら焼き餅を焼いているらしい。

「実を言うとね、ここ最近城下で面倒が起きているのよ」

「面倒ね、なるほど。面倒事を持ち込むな、自分たちで解決するといい」

「これが勇者の活動に関わることでも?」

 とたんにイスルギの目が鋭く細められる。

 自分を倒してくれるかもしれない勇者を愛して止まない姿は、本当に昔から変わっていない。

「ここ最近、勇者ばかりが次々と襲われてるの。言わば、勇者狩りね」

「なんだと?」

「何人も命を落としているわ。まあ、勇者ですから全員生き返っているけど」

 勇者の加護を得た者は、身体強化や魔力増強など、それぞれ様々な特典がある。

 そして一番の有名かつ最も有益な特権が――復活である。どこかで命を落とした途端に、その肉体が消滅し聖堂にて復活するのだ。

 ただし、その死が運命であり寿命の場合は復活しないので絶対ではないのだが。

「とは言え……いくら生き返ると言っても、殺された記憶が消えるわけでないでしょ。だから、勇者を廃業という人もいるわ」

 ルシアンが深刻そうに呟くと、イスルギも同じような顔で頷く。

 死の記憶に耐えきれず心が折れて挫折してしまい、加護を返上して勇者を止めてしまう者が出てしまうのだ。イスルギにとっては大問題である。

「どうかしら? 放ってはおけないでしょ」

 言ってルシアンは微笑した。

 もちろん国も問題解決に動くのだが、この魔王イスルギが動いた方がさっさと解決するのだ。ただし、そうやって動くように仕向けるのでヤサカに素っ気ない態度をとられ、イスルギに敬遠されているのだが。

 やる気になった馴染みの店主の様子に、ルシアンはにんまり笑う。

「さてと、今日はこの鉱石は頂いていくわ。お金は後で届けさせるわね。だって美少女は大金を持ち歩かないものだから」

 無造作に貴重な鉱石を掴んで懐にしまい込む。これを触媒にして、どんな魔術の実験をしようかと心躍らせていた。

 いつか必ず魔王に届く魔法を生み出してやる、そう改めて誓うルシアンであった。

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