第2話 始まりのものたち(魔)
イスルギは古びて傷んだ剣を見つめた。
それは、元気よく店を出て行った少女から買い取った剣だ。長年使い込まれ、その役目を終えようとしている剣だ。
「よく耐えたな。もう構わんよ」
その言葉と同時に剣は根元から折れた。
物には心が宿ると言うが、この剣はあの優しい少女の為に最後の力を振り絞り、折れまいと頑張っていたのだ。もちろん誰も剣に心などあるとは思うまい。
しかしイスルギの場合は――。
「イスルギ様」
不意に室内に声が響き、部屋の中に一人の美しい女性が姿を現した。
やや小柄で長く白い髪を後ろで編んでまとめ、瞳は澄んだ青。身に付けた衣類は髪色に合わせ白が多め、生地は店員にしては上質だ。
そして何より、いま彼女は魔法によって空間転移をしてきた。
恐ろしく高度な術式によるもので、この街でも使える者はごく僅かだろう。
「どうしたヤサカ?」
「また、勇者に武器を渡したのですか」
「もちろんだ。ああ、しかし残念だ。魔王の攻撃も防げるマントは断られてしまったよ。そちらを最初に渡すべきだったか」
イスルギが苦笑すると、ヤサカは美しい顔を困った様子にしてみせた。そこには呆れが多分に含まれている。
「あのですね。どうしてそんな防具を勇者に渡そうとするのですか――魔王であるイスルギ様が」
魔王、この世界に何柱か存在する強い魔の力を持つ存在。
魔物の頂点に立ち世界を苦しめ破壊しようと企む邪悪――少なくとも、勇者を擁立する光の聖堂ではそう説いている。
「全ては私の夢の為だ、勇者に倒されるという夢の」
平然と答えるイスルギに、困ったヤサカは何度目かになる溜息を吐く。
勇者用品店イスルギ。
魔王にして店主であるイスルギは、店の経営には魔王城の資金は使わない。独立採算制だ。しかし気に入った者に採算度外視の品を渡すため、お店の経営はいつも赤字に近い。
「今月の地代と家賃を考えますと、もっと売り上げを伸ばさないとだめです」
「むっ、そうか?」
それでも何とか店が維持できるのは、ヤサカのお陰。
ヤサカは魔王イスルギの副官で、側近の中でも剣にも魔法にも秀で忠誠心も高い。さらに資金のやりくりは得意。
そんな彼女をしても、勇者用品店の経営は厳しい。
「そうか、ではありません。さっきのショートソードだって、持ち出しが殆どじゃありませんか」
「三日前に普通の盾が売れたと思うが」
「ええそうですとも。その売り上げも、次の日にイスルギ様は回復薬を仕入れて使ってしまわれましたね。錬金術をやってる勇者の支援という事で」
「品質が良いのは確認したぞ」
「ですけど宣伝と言って、ご近所に配ったじゃありませんか」
「近所づきあいは大切だ」
「魔王が近所付き合いを気にしないで下さいよ……それに、さっきもクエストと言って渡したじゃないですか。これでは商売あがったりです」
ヤサカの忠誠心は極めて高いが、それはそれ。お店の経営に関しては、なかなか譲れない部分がある。
この勇者用品店イスルギで売られる商品は、大きくわけて二つある。
一つは普通に仕入れた品々。
店に来た勇者から買い取ったり、近くの工房などから仕入れたり、または問屋などから買い付けてきたような品。所謂ところの、そこらの店でも売られているような普通の品々である。
そして、もう一つは――。
「もう少し、こういうものが売れると良いのだがな」
イスルギはテーブルに無造作に置かれた鱗を手に取った。
綺麗な赤い色をしており、指で弾くと小気味よい音を響かせる――が、しかし赤皇龍と呼ばれるドラゴンの鱗である。
そうした伝説級品々が店の所々に置かれ、そこから醸し出される厳かな雰囲気こそが、この勇者用品店イスルギの不思議な雰囲気をつくりだしていた。
「ですから、そういうの売れませんよ」
「そうか?」
「分かる者しか価値を見いだせませんし、逆に分かる者は凄すぎて引いてしまいますので。他にも誰にも扱えないほど強力な武器とか鎧とか……不良在庫が多すぎです」
ヤサカに叱られ、イスルギは肩を竦める。
勇者用品店で売られる、もう一つの品々。
そちらは秘境に趣き採取した貴重な素材、遙か高位の魔物の素材。高難易度ダンジョンの産出する秘宝。そしてイスルギ自信が手がけた品。
どれも魔王としての力を振るって用意した品々である。
あまりにも凄すぎて売れないという問題がある。
殆ど趣味のような店でなければ、とっくに店をたたんでいたかも知れないような経営状況だ。
「仕方がない。辺境の山にでも行って、適当な素材を集めてこよう」
「あまり貴重な品はだめですよ。この前の山の主の素材なんて仕入れ先を誤魔化すのに、どれだけ苦労した事か……」
「分かった分かった」
イスルギは苦笑するしかない。
「それはそれとして、いま買い取ったばかりの剣も商品としよう」
シセリーという新米勇者の剣だ。
質の悪い鉄が使われ、さしたる功績も武勲もないまま終わった一振りの剣。歴代の所有者たちは、この剣を使って成長していき、やがて巣立っていった。そして今は役目を終え、二つに折れてしまっている。
だがそれでも、この剣はまだ死んでいない。
「…………」
イスルギの掲げた両手の間に、折れた剣が浮遊する。
唱えられるのは強い魔力を帯びた真の言葉。それを自由に操れるのは魔王の中で数少ない。言葉と共に収束する光の中に、折れた剣は呑み込まれ、新たな一つの世界を持って生まれ変わろうとしている。
錬金術の一種ではあるが、その中でも魔王の力を使った特殊なものだ。
「さあ、汝の想うがままに生まれ変わるといい」
イスルギは優しさを含んだ声で、折れた剣に呼びかける。
そして光の中で、その剣は姿を変えていき――光が収まると、そこに一振りの剣が浮かんでいた。
素朴な形をした、何の変哲もない剣だ。
特別鋭くもなければ斬れるわけでもなく、格好良くもなければ美しくもない。そこらの店で普通に売られていそうな剣である。
「なるほど、これがお前の望みか」
イスルギは感心した。
この剣は誰にとっても使いやすく。使う者の力を引き出し、やがて物足りなくなるまで成長させるだろう。そして持ち主は、この剣を卒業して次の新たな剣へとステップアップしていくに違いない。
まさしく、始まりの剣だ。
「どうだ、新しい商品ができたぞ」
「ええそうでしょうとも。ですけど」
ヤサカは口をへの字にして眉を寄せた。凄く不満そうだ。
「どう見ても、その剣は初心者向けです」
「そうだろうな」
「売り上げには、あまり貢献しませんね」
「これだと無理か?」
「無理でーす」
やや投げ槍なヤサカの言葉に、イスルギは軽く肩を竦めるしかなかった。
それはそれとして、新たに商品として加わった剣をどこに置こうか考え込む。きっと店から入って直ぐが良いだろう。先程のシセリーのような店に入ろうか迷う姿がよく見えるような、窓の近くの日射しが当たる場所が一番に違いない。
イスルギは頷いて剣を棚に並べ、一歩下がって具合を確認した。
「うむ、良いな」
「イスルギ様、お昼ご飯は如何なされますか」
「そうだな。少し素材を集めに行くので、戻ってからでもいいか?」
「畏まりました。それでは店番をしながら、お待ちしております」
ヤサカは機嫌良く歌を口ずさんでいる。
それではと、イスルギは転移の魔術を使い秘境の森へと向かう。売り物になりそうな商品を集めるために。
始まりの剣は勇者用品店イスルギで新たな持ち主との出会いを待っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます