疫病神ハ彷徨ス 15
死ぬには生ぬるい。生きていくには、少し寒い。
彼誰時も終わろうとする中、公園にはまだ子どもたちの声が溢れていた。最近の子どもは家に篭もってスマホばかり見ていると思っていたが、案外俺が子どもの頃と変わらないものだ。
まあ、ほとんど友達と遊んだ記憶のない俺が言うのも滑稽なのだが……
あの倒木は綺麗に撤去されていた。無論、他にも雑木は茂っている。だが、あの一本が無いだけで、どこかぽっかりとうら寂しい感じがした。
――ちょっと、頭を冷やしてきます
そう言って、流の事務所を出てきた。流は何も言わなかった。
本当にすぐ戻るつもりだった。
だが……
時は三〇分ほど遡る。
「我々は、いわゆる地縛霊専門の
流は食後のコーヒーを三人分淹れてくれた。俺は食後でもなんでもないのだが。
しばらく彼はカップを啜っていたが、ゆっくりと切り出した。
「彼らはその辺をフワフワしている霊に比べると、非常に面倒くさいのです。生前、彼らが抱えていた闇に縛られ、その場所に強力な根を張っている。それを無視して除霊だの供養だのをやっても無駄です。一時的に目に見える現象が収まることもありますが、そのうち復活してしまう。黴や雑草みたいなものですね。そして、復活した地縛霊は輪を掛けて厄介でして……」
「厄介……ですか?」
流は小さく頷いて続けた。
「地縛霊は、復活するたびに怨念を増すのです。生きている人間だって同じでしょう。例えば、ただでさえ嫌いな上司からロクに理由も聞かず的外れな説教をされれば、その上司への不満はさらに大きくなる。地縛霊だって同じなのです。ですから、我々は彼らに対峙する前に出来る限り情報を集め、彼らをこの世に縛り付けるものを特定します。私はそれを『キー』と呼んでいます。正しいキーを用意できれば、彼らの束縛が解け、綺麗さっぱり取り除くことが可能になります」
俺はあの部屋で起きたことを思い出していた。アケミという女の行動。流が言った「キー」という言葉。そして、後鬼の言っていた、彼女の未練の中身。
「つまり、今回のキーはあのタイチという男だったということですか?」
「そういうことです。まあ、今回はよくある痴情のもつれですから、キーを特定することは容易でしたけどね」
腹の中の胎児をヒモに見せつけるため割腹するのが「よくある痴情のもつれ」なのだろうか。俺は軽く目眩を覚えた。
そういえば庵鬼屋がやけに大人しい。いつもなら口を挟んでくるのだが……と思って横を見ると、彼女は一心不乱に何かを食べていた。小さな箱から透明な赤シートを取り出しては、ムシャムシャと頬張っている。箱には「フフ、おクスリ飲んじゃったねェ」という商品名が印字されていた。どうやらコイツは粉薬用のオブラートをおやつにしているらしい。
……ドン引きだ。
俺はさらに目眩を覚えた。
そんな俺には構わず、流はさらに続ける。
「しかし、地縛霊になるような人を取り巻いていた環境というのは複雑にこじれていることが多いもので、なかなかそう簡単にいかないケースも多い。そこで、鍵野さんの力を活かせないかと考えたわけです」
そうだ。本来の議題を忘れそうになっていたが、俺が訊きたいのはそこだ。
「一体、俺に何をしろと?」
「我々が鍵野さんに期待していることは二つ。まず一つは、その特異体質で地縛霊を惹きつけ、その場所への束縛を弱めることです」
「惹きつける?つまり、俺が依代になるということですか?」
「いえ、依代というのは少し違います。そもそもあれは殆どが、一般人に見えない霊を可視化するためのパフォーマンスに過ぎません。本当に依せることが出来る人もいるにはいますが、特別な訓練が必要ですし、何より鍵野さんが危険ですからね。あくまでも鍵野さんに浮気させて、執着を緩めるという程度の話です。まあ、こちらはあわよくばぐらいに考えているのですがね……」
「あわよくばって、そんなことが可能なんですか?」
「あわよくば、ではないであります。効果は出ていたでありますよ」
横から突然庵鬼屋が割り込んだ。どうやら、とっくにオブラートは食い尽くしてしまったようだ。流が驚いた様子で先を促す。
「まず少し補足。ゼンキさんとゴキさんは、霊を滅茶苦茶に痛めつけることで、霊体と怨念を分離させるであります。原理は分からないであります。そして、怨念の消えた霊体は、勝手に消滅していくであります。原理は分からないであります。ちなみに、ゴキさんがヤミと呼んでムシャムシャしていた黒い物体が、霊体から分離させた怨念の部分でありますね。地縛霊の場合、キーがないとこの分離ができず、ただただ弐鬼のお二人が暴力を楽しむだけ、ということになります」
ふんふんと頷く俺にフフンと鼻を鳴らして、庵鬼屋は続けた。
「ナガレは遅刻したので見てないですが、キーが運び込まれる前に弐鬼のお二人が一度アケミ氏をボコしたであります」
「マジですかイオたん……」
流の顔が青ざめる。後鬼が口を挟んだ。
「不可抗力だって。あの女が襲いかかってきたのに庵鬼屋がポケッとしてるもんだから、反射的に守ってやったんだよ」
反射的に守ったというレベルの暴力ではなかった気がするが……
庵鬼屋が続ける。
「あのとき、キーが無いにも関わらず、霊体からヤミが分離しようとしていたであります。アキラさんも見ているはずであります」
俺はやけに得心して頷いていた。最初にアケミが殴られているとき、残像に見えたのは、やはりあのヤミだったのだ。
「なるほど。やはり鍵野さんは鍵野さんですね。やはり天賦の才があるようです」
喜んで良いのか全く分からない。否、喜ぶべきことではないだろう。それに、「鍵野さんは鍵野さん」という言い回しが妙に引っ掛かった。だが、その違和感とは無関係に浮いてくる歯が気持ち悪くて、俺は話を先に進めた。
「で、二つ目は何なんですか?」
流はまたコーヒーを口に含むと、ゆっくりと嚥下し、おもむろに口を開いた。
「地縛霊と、お話しをしてください」
「は?」
俺は口を開いて固まった。
「正直にいいますと、我々だけではキーの特定に限界があるのです。手前味噌ですが、相当広い情報網は持っていますし……今は訳あって私が代理していますが、普段は情報収集に長けたスタッフもいます。しかしながら、いくらリサーチをしたところで、結局それらは他人から見た事実でしかありません。もちろんあらゆる分野において客観は大切なものですが、我々に必要なのは死者本人の主観。いくら論理的に客観的事実を組み上げようと、いくら本人の心情に寄り添おうと、結局のところ本人の主観的な感じ方というのは本人にしか分からない。ところが、いくら足掻いても、我々には死者本人から事実を聞き出すことができないのです。しかし、鍵野さんであれば……」
「ちょっと待ってください。そんなことが……」
「可能です」
俺の言葉を遮って、流が断言した。いつになく断定的な口調に、俺は思わず口をつぐむ。
――何だ?何を根拠に言ってるんだ。この人は……
「霊とお話して、霊をお離しするであります」
庵鬼屋の下らないダジャレが、事務所に虚しく響いた。
再び時は戻る
薄雲が、ぼんやりと茜に染まっている。俺は何となく空を見上げて、ありもしない雲の切れ目を探していた。
戻るべきだろうか……
やはり、このまま逃げるべきなのだろうか……
ふと、半狂乱で臓物を撒き散らしていた女の姿が目に浮かぶ。
あんな状態の化け物と「お話し」?
そんなことが、本当に可能なのだろうか。
否、それ以上に……
俺は流や庵鬼屋みたいに、飄然と仕事をこなすことが出来るのだろうか。
――ああ、もう考えるのも厭になってきたな……
俺はいつぞやと同じように、めいっぱいの幸せを空に吐き出した。
と、俺に近づいてくる気配があった。俺は身構えたが、その人物は何の躊躇もなく俺の隣に座った。
俺はその人物を見て、唖然とした。
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