疫病神ハ彷徨ス 8
神無月 十五日(夜)
「いかがですか、イオたん。鍵野さんの様子は」
山積みにされたクッキー越しに、流が話しかけた。
「早くも彼女の方から接触してきたようであります。見込み通り、というか、恐らくそれ以上でありますね」
頑なにクッキーから目を逸らしつつ、庵鬼屋が応える。
「ほう、やはり私の目に狂いはありませんでしたか。さすがは鍵野さん。やはり鍵野さんは鍵野さんですね」
庵鬼屋が微かに眉根を寄せる。しばらく沈黙が流れて、庵鬼屋が口を開いた。
「ただ……」
「ただ?」
「アキラさんは思った以上にビビりであります。未だに彼女の姿さえ見ていない。さっき焚き付けてきましたが、いざ彼女を見たら尿失禁してしまうかもであります」
今度は流が顔を顰める。
「イオたん、あまりお下品な言葉は使わないように」
「お下品ではないであります。わざわざお漏らしではなく尿失禁と言っているであります。医療用語でありますよ」
「それならば失禁で十分でしょう。お年頃の女の子が尿などと……」
小言を漏らして、流がチョコクッキーを口に運ぶ。
「失禁だけでは便失禁の可能性もあるであります。便と尿とは明確に分ける必要があるであります」
チョコクッキーを咀嚼しながら、流は何ともいえない顔をした。
「もういいです。それより、鍵野さんが必要以上に怯えているのは確かに気掛かりですね。鍵野さんの恐怖心に呼応して、彼らが過剰に反応しなければ良いのですが……」
「まったくであります。ところで、そっちの進捗はどうなっているでありますか。
キーはバッチリでありますか?」
「もちろんです。きっちり居所も突き止めてありますからね。あとは丁重にお連れするだけですよ」
「それなら、少し早いですが、明日に連れてくるであります。アキラさんの力は十分に測ることができたし、もしものことがあると厄介でありますから」
流はにこやかに頷くと、コーヒーを一口すする。
「ところでどうです?今日こそは一つ食べてみませんか?今日のは特に出来が良いのです」
流は山盛りのクッキーを庵鬼屋に勧めた。
「断固拒否するであります。そんなバタ臭いものを食べたら、胃もたれと吹き出物で死んでしまうであります」
にべもなく立ち上がると、庵鬼屋は事務所を出ていった。
しばらく両手を差し出した体勢のまま固まっていた流だったが、やがて正気に戻ると、プレーンのショートブレッドを一つ口に運ぶ。
「ふうむ。美味しいのですがねぇ……」
初老男の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
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