第34話 俺と井上
頬を撫でる優しい風。
鼻をくすぐる潮の香り。
風が運ぶ心地よい波音。
蕩けるような春の日差し。
初めて感じる自由とほんの少しの孤独感。
二年前のそんな季節の中で俺と井上は出会った。
俺達の在籍する海祇龍神学園は将来神職に就く者に特化した特殊な学園だ。
普通科もあるにはあったが申し訳程度で、世間的に良い大学を目指す子供はまずこんな離れ小島にある小さな寄宿学校などは選ばない。
自分で言うのも何だが俺は成績も悪い方では無くスポーツもそこそこだった。そんな俺がこの学園を選んだのは両親への猛烈な反発心からだった。
俺は両親も両親の祖父達も皆警察関係者と言う警察一家に生まれた。
そのせいか両親は折り目正しく教育熱心で世間体ばかり気にしている堅苦しい人達だった。
おまけにたった一人の俺の兄ですら両親の期待通り防衛大学に進学し、恐らく将来は警察官僚か自衛官になるつもりなのだ。
両親は当然のように俺もそう言う道を歩くものだとわけもなく信じていて、俺はそんな両親と衝突につぐ衝突を繰り返し、その関係は最悪なものになっていた。
別に警察官になるのが嫌と言うわけでは無い。
ただ親に敷かれたレールの上を素直に歩く事に猛烈な嫌悪感と反発心を抱いていたのだ。
十三歳の俺は一人だけ家族という枠組みから浮いていた。
今ならばそれが『反抗期』と言うものなのだと分かるが、その時はそんな言葉で括られるのはどうしても我慢できなかった。
大人になった今ならば両親の気持ちも汲むこともできたろうし、ここまで捻れる前に何とかする事もできただろう。
だが俺はまだ未熟なガキで全てに反抗することでしか己の気持ちを表す事しか知らなかった。
そんな訳で俺は半ば家出同然にこんな出世街道とは正反対の所にある海祇龍神学園に入学した。
ここで何がしたいと言う目的もなく、何を学びたいと言う展望も無く、ひたすら親から一番遠い場所に身を置きたかった。
半ば家族と絶縁状態で入学式には当然誰も来なかった。俺はそれで良いと思っていた。
春うらら、退屈な入学式会場から抜け出した俺は学園の裏山に広がる草地に寝転んで遠くキラキラと光る波間をただぼんやりと眺めていた。
誰も自分を干渉しない自由な空気を胸いっぱいに吸い込んでいた。
そんな至福な孤独を満喫していた時だった。サワサワと不自然に草むらで蠢くものがある事に気がついた。
「…何だ?うさ…ぎ…?」
興味を惹かれてじっと見ていると、草の先が動いては止まり、また動いては止まり、確実に生き物の気配がしているではないか。
好奇心に駆られ、俺は草むらに近づいた。
都会しか知らない俺にはこんな場所で出会うなんてウサギ以外ないだろうなと勝手にふわふわモケモケとした可愛い生き物を想像しながら草むらに手を伸ばした。
ガサっ!
その時草むらから勢い良く何かが立ち上がった。無論可愛いウサギでは無く、もっと大きな俺と同じくらいの何かが。
「うわあ!!」
「な、な、何だ?!」
お互い驚いて声を上げ、向かい合って立っていた。
それは人間の男の子で、ボサボサの髪には草がついていて顔や制服には泥が付いていた。
銀縁眼鏡の奥にある一重の瞳をこれでもかと見開いて立っていた。
その時の二人の第一声がこれだった。
「びっくりしたなあ!」
「なんだよ!びっくりしたのは俺の方だ!こんな所で何してんだよ!」
こちらもそう怒鳴ると男の子は驚いた表情をすぐに引っ込めクールな眼差しになると服についた泥や草を払いながら俺を見てきた。
「君、一年生?
いま入学式の真っ最中だろう?
こんな所にいて良いの?」
「…ぅ、それは…」
疾しい気持ちがあるせいで俺が言葉に詰まるとその男の子は片方だけ口角をくくっとあげて笑い、くるりと俺に背を向けた。
「まあ最も僕も一年生なんだけどね!」
彼はケロリとした様子でそう言った。
「はぁ?!
何だよそれ、人のことなんて言えねーじゃん!
そっちこそ何してんだ」
「何って…調べてたのさ」
「調べるって…?
こんな所でなにを…?」
見渡してみても草むらと樹木ばかりで何も無いように見える。
「僕はこの学園とこの島の不思議を調べているのさ。
僕はそのためにこの学校へ来たんだ」
「そんなもんなんで調べてるんだ?」
「なんでって『不思議』だからさ。
君は好奇心とか探究心って言葉を知らないのかい?
僕はここで好奇心と探究心の赴くままに民俗考古学の研究会を立ち上げてこの島を調べるつもりでいるんだ。
部員はまだ僕一人だけどね!でも間も無く君が入るから部員は二人だ」
冗談のような本気のような掴みどころのない事を言いながら彼は爽やかな空気を纏って歩き出した。慌てて俺も彼の後を追いかけた。
「ちょっと待てよ!誰が入るって言ったよ!そんな怪しげな!」
「ハハっ、怪しいから面白いのさ!
ところで僕の名前は井上って言うんだけど…」
「君は?」と語らずに振り返った彼の瞳がそう俺に尋ねていた。
「…瀬尾」
その時俺はそう仏頂面で名乗ったのを覚えている。
そんな風にお互い「宜しく」も無く二人の時間は始まったのだ。
ちょっと風変わりで物知りで生意気で、そんなアイツも俺も最初からこの学園からはみ出していた。
その日から俺達は何と無く友達になったのだった。
偶然にも同じクラスで学生寮も同室。
井上は俺が興味が無いと知りながらも、この島にある隠された人魚伝説の事や龍神神社は本当は昔は鮫人神社だったのだとかそんな話を毎日熱心に俺に語って聞かせた。
そんな話に何と無く付き合っているうちに、ヤツが立ち上げた民俗考古学研究会に俺はまんまと入ってしまっていた。
井上は一見クールに見えるがその中に熱い炎を宿しているような男だった。
その炎は派手に燃え盛る焚き火と言うよりも、いつまでもジクジクと燃え残る炭火のようで、そんな飽きずに眺めていられる遠赤の炎が俺はとても好きだった。
『なあ、瀬尾』
俺を呼ぶ耳障りの良いバリトンの声が好きだった。
眼鏡の奥にある思慮深い眼差しが好きだった。
俺の前を歩くすんなりとした姿が好きだった。
俺に振り返る時の笑顔が好きだった。
『なあ、瀬尾』
『なあ、瀬尾』
『なあ、瀬尾』
今も君の声が聞こえる…。寄せては返す波のように…。
祠 Si mono黒 @monomono_96
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