第32話 突然の別れ
学園長が俺たちに「飛べ」と非情な命令を下すと作務衣の男達はジリジリと俺達を廊下の端まで追い詰めた。
眼下は渦潮になった海面がゴーゴーと音を立てている。
硬い手摺が腰に触れる感触が俺たちにはもうこれ以上逃げ場はない事を告げていた。
だが同時に手首を縛っている紐に俺は違和感を覚えた。緩んでいるのだ。
これは頑張れば外れるかもしれないとほんの一瞬、希望が脳裏を掠めた時だった。
井上が学園長に最後の足掻きとばかりに声を振り絞ったのだ。
「まだ…!
まだ貴方は本当のことを何も語ってはいないじゃないですか!」
「…なんだと?」
その瞬間あれほど表情の変わらなかった学園長の眉がピクリと動いたのを俺は見逃さなかった。
もしかしたら不意をつけるかもしれない。
井上に何でも良いから時間を稼いで欲しかった。せめてこの紐が外れる時間が欲しい。
もっと言え!もっと言って時間を稼いでくれ井上!
そう念を送りながら俺は必死に解けそうで解けないもどかしい紐と格闘していた。
その念が通じたのか、はたまた井上も僅かでも隙を作ろうとしているのかしぶとく時間を稼ごうと足掻いていた。
「貴方の話は秘密という割には昔話やこの島の歴史ばかりじゃないか!
僕が知りたいのはそんな事ではありませんよ!」
そうだもっと言え!井上!
あと少し、あと少しで外れる!
「僕は知ってますよ!
貴方が本当に秘密にしたいのは人魚や人魚伝説なんかじゃ無い!
それにかこつけた現在進行形の犯罪の隠蔽だ!」
…え?…かこつけた現在進行形の…犯罪…?
「…黙りなさい!」
図星をついたのだろう、学園長が今までに無かったほどに声を荒げ、額に青筋が見る間に浮き立った。
「黙りません!
あの何基もの祠が出来た理由!
井上が死んだ理由!
その他何人もの人達が死ななければならなかったワケ!
暴かれたく無い本当の秘密をまだ何一つ貴方は話していませんよね?
僕も危うく煙に巻かれるところでしたよ!」
煙に巻かれたってなにがだ?話が見えないのは俺だけなのか?
これ以上どんな秘密があるって言うんだよ!
「おい井上…どういう事なんだ!」
「ごめん、ずっと考えていた事があるんだ。ここから帰ったら君に話すつもりでいた。
天羽様が言ってたろ?可哀想な人魚達に絡んだ糸を解いてほしいって。
僕たちは人魚伝説に目が眩んで事件の本質を見落としていたんだよ!」
「黙れ!黙らんか!」
学園長が叫んだ時だった。からかっていた紐が遂に俺の腕から解けた。
俺はすぐさま井上の紐に取り付くと紐はあっけなく解けたのだ。
まるで誰かがわざと直ぐに外れるように仕組んだかのように…。
そうだ!フランケンだ!
俺たちを運んだアイツしかいないじゃ無いか!
間違いない!フランケンは俺達の味方だ!
俺達の紐が解けたのを見るや作務衣の男達は慌てて俺たちを捕まえようと襲いかかってきた。
「こうなりゃヤケクソだ!行くぞ井上!」
「ヤッてやる!!」
手足が自由になった勢いに任せ、俺たちは雄叫びを上げなから鉄砲玉のように作務衣の男達に向かって飛び出した。
脳内のアドレナリンが激しく沸騰していた。
敵は五人、若い俺たちが命懸けで暴れれば突破できると訳もなく信じていたのだ。
幾重にも伸びてくる手を掻い潜り男達と掴み合い、揉みくちゃにされながらデタラメに蹴りつけ体当たりし、俺は人生で最大限に暴れてやったのだ。
「このやろう!!どけ!!どけぇ〜っ!!ぶっ殺すぞ!!」
男に殴り掛かろうとした瞬間だった。神棚の中から誰かの叫び声と男達が揉み合う声が聞こえて振り上げた拳が躊躇した。
「放せっ!
井上さん!瀬尾さん!そこにいるんですか?!無事ですか?!
学園長!学園長!これはどう言う事ですか?!」
それは海堂の声だった。その場にいた全員の動きが一瞬止まり、学園長は想定外の人物の登場に狼狽えていた。
「あまね?!
なぜ周がここにいる!とっくに下宮の連中と退避したはずじゃないのか?!
不破!不破はどうした!」
学園長が当たり散らしたところへタイミング良く不破ことフランケンが海堂を取り押さえながら廊下へと転がり出てきた。
襟首を捕まえられた海堂の髪は乱れ、せっかくの狩衣姿もあちこちが無惨に破れ、頬には擦り傷に血が滲んでいる。
その様子から、海堂が激しく抵抗したことが伺えた。
海堂は井上を見るなりフランケンを振り切って駆け出した。
「井上さん!井上さん!」
「海堂くん?!」
「こら待て!」
二人の手が届く寸でのところで再びフランケンに首根っこを押さえられ、海堂は廊下にしゃがみ込んだ。
「海堂君!何でここに…っ、逃げなかったのか?!」
「二人が捕まったって聞いて…、冷静ではいられませんでした!
学園長!どうしてこんな事するんですか?!やっぱり佐々木さんもあなたがこうして殺したんですね!」
押さえられながら振り返り非難の眼差しを向けた先、海堂の目に飛び込んできたのは銃を手にした学園長の姿だった。
銃口は井上に向けられていた。
それに誰よりも早く気がついたのは俺ではなく海堂だった。
カチャ、
撃鉄の上がる微かな音がした時、ようやく俺はその事に気がついた。
ヤバいと思ったほんのコンマ何秒か、俺は海堂に出遅れた。
海堂はフランケンを振り切って井上を庇うように両腕を広げて立ちはだかった。
パスっ!
軽い音。
ぐらりと揺れた海堂の身体。
揺れて、揺れて…欄干の外へと崩れて行く。
「かいどう君!!!」
井上の手が直ぐさま海堂を追いかけその手首を捉えた。
だがその身体は共に欄干を越えて荒波へと落下してしまったのだ。
「井上ーーっ!!」
夢中だった。
がむしゃらに俺は井上に手を伸ばした。
だがその指先は掠って俺の手は空を切った。
絶対に掴まなければならなかった手を俺は掴めなかったのだ。
落ちていく、
落ちていく二人。
まるでスローモーションのように。
見上げた井上の見開いた眼差しと目が合った時、一瞬のストップモーション。
だが視界は急に加速して井上と海堂は俺の目の前で渦の中へと落ちていった。
「嘘だろう…?こんな事って…こんな…こんな…!嘘だ…嘘だ…」
頭の中は真っ白だった。俺は欄干を握りしめたままただ茫然と二人が落ちていった黒々とした海面を見つめて立っていた。
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