第31話 理不尽な密命
「せっかくここまで来たのだし、このまま死んではあなた方も寝覚めが悪いでしょう。
冥土の土産にこの島の秘密を少しだけ教えてあげましょう」
学園長の言い草は明らかに俺たちを殺すつもりだと言っているようなものだった。
だが聞いたが最後だと分かっていながらも、知らずに死ねるかと言う思いもあった。
それにしても自分が間も無く死ぬと言う実感が無い。ギリギリに立たされているのに心のどこかではまだ何とかなるんじゃ無いかと思っていたのだ。
「君達はこの島に残る人魚伝説を知っていますか?
人間の男と世帯を持って子供を儲けたと言う人魚の話です。
お伽話に聞こえるでしょうがあの話しは本当なのです。人魚との約束でその子孫が代々絶えぬように我々の先祖がどれほど苦労してきた事か…」
「…海堂君の事ですか?」
「そうですよ井上君。あの人魚の顔は海堂君にそっくりでしょう?
初めて彼に会った時、私も驚きました」
そう言われるとなおさら疑いようが無いほど海堂と人魚は本当によく似ていた。
それでもまだ俺の理性がしぶとくそんな筈はないと否定していた。
「でもどう考えたって理解出来ない!
人魚伝説が本当だとしても、そんな大昔にあんな精巧な剥製が造れる訳がないじゃ無いか!」
「そうです。普通は造れるはずが無いと考えるでしょう。
だからこそ、人はそれを
この島にはそんな神業を代々受け継ぐ人々が集落を作って暮らしていたのです。
その集落のことを島の人々は鮫人村と呼んでいました。今はもう無い村ですが。
その鮫人村の人々が昔から生業にしていたのは本土のまたぎ達が持ち込んむ動物の皮を
その中でも人魚の剥製を造ることが出来るのはほんの一握りの卓越した人々です。
人魚は勿論の事、その卓越した技術は神業として人々の信仰の対象であり神聖視されていたのです。
ですが人魚の存在が世間に知れたらこの島はどうなると思いますか?」
「恐らくは欲深い人々に全て荒らされる事になる…?」
「そうです、井上君。
数多の歴史が物語るように、一人の人間が漏らした秘密がどれほどの犠牲をもたらすことか!
人間の命よりも重い秘密があると言うのはまさにこう言うことなのですよ。
しかし残念な事に明治初頭、この島の誰かが造ったと思われる人魚の剥製がヨーロッパに流出してしまったのです。
時を同じくして十九世紀中頃から二十世紀初頭にかけてヨーロッパ全土で人魚のミイラがブームとなった事があるのです。
当然そのブームは間も無く日本にも上陸する事になったのです」
「『上野のミイラ』ですね?」
今まで大人しく学園長の話を聞いているだけの井上がそう切り出すと、学園長は感心そう「にほう?」と目を丸くした。
「素晴らしい!よくご存知ですね井上君。
さすが民族考古学研究会を作るだけのことはありますね!何ならその先も続けてみますか?」
こう言う時の井上は普段俺と馬鹿話しに花を咲かせているとは思えないほど知識が豊富だ。
学園長に促されるまま井上は話を続けた。
「間も無く日本にも上陸した人魚のミイラは1904年、上野の稲荷神社に展示され、『上野のミイラ』として世間を騒がせたと何かで読みました」
「素晴らしい!もし教科書に載っていたならA+を差し上げましょう!
残念ながら『上野のミイラ』は本物ではありませんでしたがヨーロッパに出回っていた人魚のミイラの中には一体だけ、本物としか思えないものがあったのです。
何人もの鑑定士が見てもそれが偽物だと断定できなかったのです。
それは闇から闇へ金持ちや権力者の間で取引されて、国家予算並みの値がついたこともあったと言います」
その話しに知識が無い俺でもピンと来た。
「まさか、その一体が鮫人島から流出した…人魚…?」
「そうですね。
恐らくは…そうだったのでしょう。
島の厳格な秘密が何処から漏れたのか今となっては分かりませんが、諸外国から言わば逆輸入の形で当時の明治政府、ひいては第一代目の内閣総理大臣だった伊藤博文の耳にも入ることとなったのです。
当時の日本は多大な犠牲を払ってようやく維新が成ったばかり。
国力も弱く何もかも列強国には及びません。
些細なきっかけ一つで政府そのものが転覆の憂き目に遭うかも知れず、そんな微妙な時期に持ち上がった真偽も定かでは無い人魚騒動です。
そんな物を巡って列強国といざこざを起こすことは新政府、いえ日本国にとって好ましいことでは無かった。
例え小さな火種でも不安材料取り除くべき。そう考えた伊藤博文は当時島の権力者だった私の先祖、
理不尽な密命…?
嫌な予感に俺と井上の喉がごくりと鳴った。
「それは人魚伝説ごと根こそぎ鮫人村を亡きものにせよと言うものだったのです。
火のない所に煙は立たない。
伝説、村、信仰、村人。全てを焼き尽くし、何もかも無かった事にせよと言う非道な密命でした」
「…それで、それで学園長のご先祖はそんな非道を実行したと言うんですか…?」
学園長にそう尋ねた井上の声は小刻みに震えていた。
その声を聞いた時、俺の中で何かが弾けた。
途端に俺の髪が怒りで逆立ち血液が湧き立ちワナワナと四肢が震え出し、俺は学園長に食ってかかっていた。
「そんな馬鹿な!!
それは人の命より重い秘密なんかじゃない!
何よりも重い沢山の人の命を犠牲にして守った秘密なんかにいったい何の意味があるって言うんだよ!」
学園長はふん!と嘲笑するように鼻を鳴らし冷たく俺達を見下ろした。
「何とでもお言いなさい。死ぬ前にこの島の秘密を教えてあげただけでも感謝して欲しいものです。
でもまあ、どうせあなた方の命はこれまでです」
学園長はにべもなく俺達から顔を背けると作務衣の男達に顎で何かを指図した。
ドカドカと男達が俺達を取り囲み、何本もの手が俺たちの体に伸びてきた。
「なにする!離しやがれ!」
激しく抵抗して暴れる俺を取り押さえた手は、意外な事に足の拘束だけを解いて引っ立てた。
「最後は自分達の足で死地に向かうと良いでしょう。連れて行きなさい」
感情の無い声が命令すると作務衣の男達は後ろ手に縛られたままの俺達を扉の外へと思い切り突き飛ばしたのた。
扉を突き破った俺達は勢いよく建物の外へと転がり出た。
そこは激しく風が吹き付ける木の板で出来た廊下だった。
ごおぉぉぉ…
尻の下から激しい水音が聞こえてくる。目覚めた時からずっと聞こえていた水音だ。俺は咄嗟に廊下の欄干から下を覗き込んだ。
「あっ…!」
眼下の景色に驚きの余り俺は声を上げていた。
今まで監禁されていたのはご開帳で人魚を見上げたあの時の神棚の中だったのだ。
そこから見渡した眼下の景色は一変していた。
あの整然としていた境内も、海堂の舞っていた舞台も、何もかも流入して来た海水に飲み込まれ、渦潮の中に没していたのだ。
「間も無く大干潮が終わります。
ここはまた次の鯨光芒まで海の底に沈むのです。
…あなた方も一緒にです」
そう言う学園長の口元が禍々しい笑に歪んだ。
まさかまさか俺たちにここから飛べとでも…。
「飛びなさい。今すぐここから」
無慈悲な声がそう告げた。
下は高さ20m。水面は渦潮。そこから吹き上がる風が激しく俺達の髪や体に吹き付ける。
その風が今度こそ俺達は絶対絶命だと告げていた。
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