第26話 繋がれた二つの気持ち
…パチパチ
………パチパチ……
火が燃えている。
赤々と。
あれはいったい
何の火だ…?
死んでいった
沢山の人々の
命だろうか…?
…あゝ、それならば…
あの中に
佐々木の命も
燃えているのだろうか…?
ぼんやりと目覚めた俺の視界の先に、小さな火が揺れていた。
それがストーブの炎だと気付くのに、俺は少しばかり時間を要した。
ここが何処で俺は何をしているのか、ぼんやりとした頭の中でそんな事を何となく考えていた。
つんと鼻をつく血生臭い魚の臭いと古い灯油の匂いが、次第に俺の頭をはっきりさせていく。
そうだ。俺は逆巻く波に飲まれて…海で溺れたのではなかったか?
そうだ…、そして確かこんな顔の人魚が…。
「瀬尾さん、瀬尾先輩…!」
突然、目の前に俺を心配そうに覗き込む美しい人魚の…いや、海堂の顔が浮かび上がって、俺は思わず勢いよく身体を起こしていた。
「うわぁっ!!人魚…っ、」
「先輩?僕です、海堂です」
「か、海堂…!」
「先輩、気がついたんですね!良かった…!」
この時、初めて俺は自分をちゃんと取り戻した気がした。
「俺は…どうなったんだ…?さっきまで海の中に…、何でお前がここにいるんだ?!
いや、そうじゃなくて…ここはどこだ?!」
状況が今ひとつ飲み込めない俺は目の前の海堂に矢継ぎ早の質問を浴びせかけていた。
「落ち着いてください先輩!
海で溺れたのは分かりますよね?」
「ああ覚えてる。確か鯨光芒を探して遊泳禁止の鯨岩まで泳いでいた…」
ああ、そうだ。そして俺は溺れたんだ。
「僕、商店街に買い物があって、偶然にあの海岸沿いを通りかかって良かったです」
ほっとしたらしく、海堂の顔にはは笑みが浮かんでいた。
「お前が助けてくれたのか…」
そう尋ねた俺に海堂ははにかみながら小さく頷いた。
「心配しないでください。ここは今は使われていない漁師小屋です。
ストーブに灯油が残っていて助かりました。ちょっと古いから臭うけど無いよりは…」
海堂にそう言われて薄暗がりに目を凝らし辺りを見回すと、小さなトタンで出来た小屋には、漁で使っていたと思われる網が床にぐしゃぐしゃに積んであったり、ロープに繋がれたブイなどが散乱しているのが見えた。
壁には破れたカッパが下がり、色褪せて半分ちぎれた観光案内のポスターが貼ってある。
隅っこに積み上がっている汚れた空のコンテナからは血生臭い匂いが立ち上っていた。
自分の身体を見下ろすと、上半身裸でどことなく酸化した魚の臭いのする薄汚れた毛布が掛かっていた。
「すみません、すみの棚に積んであった毛布だけど、無いよりはマシだと思って…」
「いや、…ありがとう…。助けてくれて…。大変な目に合わせてしまったようだ。ごめんな…。
井上は、あいつは泳げないから良かっ…」
そこで俺ははたと思い出した。俺の衣類を持たせたまま井上はどうなっただろうか。
「井上は?!井上はどうしたんだ?!まさか…ヤツも溺れて…!」
「心配しなくて大丈夫です!井上先輩も泳げないのに貴方を助けようとしていたから疲れてしまって」
海堂が「ほら」と指差す方を見れば、傾いてボロボロになったソファでぐったりとなった眼鏡が座り寝をしているのが見えて、俺はほっと胸を撫でおろした。
自分の猪突猛進な行動で、皆んなに迷惑をかけてしまったのだ。
「それにしても、海堂は泳げるんだな。意外だ…。
そんなに細っこくて良く俺を水から引き上げられたな、大変だったろう?」
「あっはは!無我夢中でしたから。それに、昔から僕は泳ぐのが得意なんです。何せ人魚の末裔ですから」
そう言う海堂は冗談げな笑みを浮かべた。
「それ、最初から信じてたのか?俺なら多分、そんな事は信じなかったと思う」
「…そうですね、薄々は。
小さい頃から周りの人達と比べて僕って何か変なのかなって…。ちょっと皆んなとちがう所があって…」
海堂はそう言いながら、そっと自分の五指を俺の目の前で開いて見せた。
不思議だった。開いた五本の指の間に薄らと膜のような水掻きのようなものがあったのだ。
海堂は恥ずかしげにすぐに手を引っ込めた。
「このせいで小さい頃は良く皆んなからカッパだって揶揄われました。
それがとっても嫌で人前であまり手を見せたり出来なくて…。
他にも僕の身体には不思議な箇所があって、水やお湯で濡れたりすると、腰の辺りに鱗みたいな模様が浮かび上がったりするんです」
そう言うと、海堂は自分も肩から羽織っていた毛布をはらりと片側だけ滑り落とした。
まるで少女のような白く滑らかな肌がなだらかなラインを作っていて、俺は咄嗟に目のやり場に困った。
海堂はそんな俺の事など知りもせずに、ズボンのウエストを少し捲ると、腰骨の辺りを指で摩って見せた。
「まだ薄ら見えるかな…。
この辺りに虹色の鱗みたいな模様が浮かんでいるんです」
俺が目を凝らすと、確かにまるでトパーズや孔雀の羽のような玉蟲色の鱗模様が薄らと刺青のように浮かんでいた。
美しいその鱗は、乾きはじめた柔肌から消えかけようとしていた。
「…綺麗だ…」
俺の指先が思わず吸い寄せられるようにその虹色の鱗に触れると、海堂の腰がピクリと動き、慌てて捲ったズボンを引き上げてしまった。
「あ、ああすまん…!つい」
「…あ、いえ、、」
何故か二人の間に気まずい空気が流れた。
「…この事は、い、井上は知ってるのか?」
「はい…、家に送ってもらった夜に全て話しました。
それに井上先輩の身の上も聞きました。
今はお互いに天涯孤独だねって言ってくれて、誰とも本当の意味で繋がっていない僕の寂しさや不安を先輩は分かってくれて…。何だか僕、ほっとしました」
ストーブの明かりに浮かぶ海堂の顔は、初めて見た時よりずっと穏やかで、その眼差しは眠っている井上に優しく注がれていた。
俺には想像することしかできない孤独を二人は分かち合っている。あの日井上と二人きりで過ごしたほんの数時間で二人は互いの心の枯渇を埋めたのだと感じた。
恋心と言う感情はこうして一瞬にして二人の間に生まれ出るものなのだろうかと、まだ恋が何なのか知らない俺はそんな事を思っていた。
そう、井上だけでなく、海堂もまた間違いなく井上の事が好きなのだ。
芽生え始めたばかりの恋に立ち会っている気恥ずかしさと何に対してなのか分からないモヤモヤとした嫉妬心が俺の心をざわつかせる。
「あのさ、お前も井上の事…」
好きなのか? と分かりきった事が口をついた時だった。小屋の外でざわざわと複数の何者かの話し声と気配を感じて俺と海堂は顔を見合わせた。その時だった。
勢いよく小屋のドアが開かれて、カンテラを下げた何者かが小屋の中を照らしてきた。
「何やってるんだお前ら!」
轟く聞き覚えのある声に井上もあたふたと目を覚ました。
「え、な、なに?!」
「何じゃない!直ぐに小屋から出ろ!まったく!」
俺も海堂も、そして目覚めたばかりの井上もその声が誰だか直ぐに分かった。
フランケン…!!
暗がりで良く見えなくとも、その大きな身体から怒りの波動が立ち昇るのが見えるようだった。
突然に沸き起こった嵐のようなフランケンの急襲に、この時の俺達は青ざめ竦み上がっていた。
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