第23話 ファンタジーの延長上のリアル
間も無く息を切らせながら走ってきた海堂は、俺達を問答無用で元来た手水舎まで追い立てた。
「なんで二人ともこんな早朝から下宮になんか居るんですか?驚くじゃないですか!今日は学園長が来てるんですよ?」
「ああ知ってる、だから心配になって来たんだ」
そう言って、井上が海堂の顔を覗き込むと海堂は何の事かときょとんとした顔をしている。
「その顔じゃあ今の所何も無さそうだな」
俺がそう言うと、すかさず井上が昨日の出来事を海堂に話して聞かせた。
だが海堂は初めて聞いたと首を横に振った。
「その、五芒星の印の入った大きな石の事は僕は聞いたことがありませんが『龍神祀り』の日にだけ島の人達が行くと言う秘密の
「秘密の社?それ、この前緑川が言ってた本当の『龍神祀り』をやる秘密の場所って事か!本当にそんな場所があったんだな」
「そこで君が神楽を奉納するのかい?」
「はい。そうらしいです」
五芒星の地下通路と言い、『龍神祀り』を行う秘密の場所といい、井上が入学してから調べ回っていても、まだ知らない場所がこの島にはあるのだ。
「その場所がどこだか分かるかい?」
「場所は…何処なのか聞いたら知らなくても良いと言われて…」
「なんだそれ!
神楽を踊る本人にも教えられないのかよ、何でだ!」
俺の勢いに押されて海堂がたじたじとなっていた。
「い、今はまだ何も…どうしてなのかは僕にも分かりません」
「ふうん、それで、さっき踊っていたのが『龍神祀り』の神楽ってわけか」
あまりに他力本願な海堂にも腹が立ったが、何より井上の告白を聞いたせいでどこか照れ臭く、俺はいつも以上に海堂に対してぶっきらぼうになっていた。
「はい、龍神祀りの奉納舞は僕だけが踊れれば良いそうなので、特別授業で…」
「は?あの女の子達も踊るんじゃないのか?ならあいつらはいったい何だ」
俺に問われて海堂は途端に戸惑った表情で足元に視線を落とした。
「ああ…あれは…。僕も今日ここに来て初めて知ったんですが。
彼女達は…、その、僕のお嫁さん候補達だそうです」
実に言いづらそうに海堂の口から出たのは『お嫁さん候補』と言う言葉だった。
「はあ?嫁さん?!
何の話ししてるんだおまえは!」
不用意な俺の耳に飛び込んだその言葉は殺人事件のことしか無かった俺の脳味噌を一撃で吹き飛ばした気がした。
きっと井上も俺と同じだったに違いない。いつもは眠そうな目が今までにないほど見開かれていた。
「お嫁さんって、だってまだ君は十六歳だろう?」
井上にそう言われた海堂はどこか達観した眼差しで、遠くを見つめながら呟いた。
「…人魚の呪いです。僕は人魚の末裔だから…。子孫を残さなければならないそうです」
お伽話を受け入れて生きる人生と言うのはこう言う事なのかと俺はようやく分かった気がした。
海堂にとってファンタジーの延長線上にリアルがあるのだ。
「おかしいだろうそんなの!時代錯誤もいいところだ!」
「君はそれで良いの?納得できるかい?」
俺が思わず叫んだその傍で井上が冷静にそう尋ねた時、海堂の瞳が動揺に揺らいだのが分かった。
「分かりません…結婚とか今まで考えた事もありませんでしたし…漠然としすぎてどうしたら良いのか」
「お前バカか!自分の事だろう!何百年も前のお伽話だぞ!お前一人がそんなものの犠牲になるっておかしいだろ!」
「僕一人じゃありません。
僕のご先祖達や、この島に関わるすべての人がきっと犠牲者なんです」
諦めたようにそう言う海堂の言葉が俺の理解の範疇を超えている。俺は苛立ち紛れに声を荒げていた。
「下らない!やめちまえそんなお伽話に振り回されるなんて!」
直上的な言葉を投げつけた俺に井上が俺を嗜めた。
「君は自分の尺度でしか物事を測れないのか!
理不尽でも不条理でも代々続いてきた慣習はナンセンスの一言だけでは片付けられない様々なものを含んでいるんだよ。
海堂君にしてみれば嫌だからはい辞めますと簡単には言えない立場にいることくらい分かるだろう。いくら君にはバカバカしく思えてもだ」
声を顰めているとはいえ井上がヒートアップするものだから、俺も次第にエキサイトしていた。
「じゃあ何か?お前は海堂があいつらの言いなりに結婚しても構わないって事か!」
「そんな事を言ってるわけじゃないだろう!」
言い争いに発展しそうな勢いの井上と俺の間に立って、当事者である海堂がオロオロしていた。
「まだすぐ結婚というわけじゃありませんから。
彼女達も候補というだけで…。いつかは誰かと結婚するにしても、その時は僕がちゃんと決めますし…」
そんな話をする海堂を、井上はどんな顔をして聞いているのか見てやろうとチラと視線を上げたが、何を思っているのか相変わらずポーカーフェイスのままだった。
「周さまー?どちらですか?」
その時、本殿の方から海堂を呼ぶ待ちかねた東雲の声が聞こえてきた。
海堂は慌てて俺達の背中を押して帰るようにと促した。
「とにかく、今日のところは僕は大丈夫ですから学園長に見つからないうちに帰って下さい。また部室に行きますから」
そう言い残して海堂は慌てふためきながら本殿へと走り去ってしまった。
俺達はしばらくその後ろ姿を眺めていた。
「なあ、井上よ。俺は時々お前が分からんよ。
海堂が結婚しても良いのか、その…海堂と付き合ってんだろ?」
「はぁ?!
何言ってんだお前は!誰が付き合ってるなんて言ったんだ!」
「え、だってお前海堂が好きだと言ったじゃないか」
「好きだとは言ったけど、付き合ってるとは言ってない!
僕が一方的に好きなだけで…その、だから海堂君には言うなよ!絶対!」
「え?…あははっ!そうか!
井上!まだお前の片思いなんだな!」
二人は恋人同士ではない。そう分かった途端、俺の心の重石が取れた気がして俺は豪快に笑っていた。
一方、顔を赤くしながら捲し立てる井上は、さっきの大人ぶった物言いをしていたやつとは思えない純情少年ぶりで、俺は笑いを堪えるのに苦労した。
「笑うな!…とりあえず帰るぞ!」
井上がそう言った時だった。俺が「そうだな」と返事を返そうと言う時に、その声は唐突に俺達のすぐ隣から聞こえた。
「私には後悔があるのだ」
しゃがれた老婆の声だった。
「…え…?」
俺と井上が声のした方を見ると、いつからそこに立っていたのだろうか、背の低い白髪の老婆が俺達と並んで立っていた。
「…う、うわあ!!」
肝が冷えるとはこの事だ。俺達は二人揃って絶叫していた。
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