第20話 親友の恋と鯨

 井上は明らかに海堂を庇っていた。お伽話が終わると直ぐに彼は海堂の釈明をし始めた。


「母親が突然亡くなり、海堂はここに引き取られて来るまで自分の出自について母親からも詳しい事は何も聞かされなかったと言っていた。

人魚の話にしても、幼い自分の為に母が作った虚構の物語なんだと思っていたんだ。

だが、島に来て天羽様の話を聞き、自分でも調べているうちに、もしかしたらそれは 本当のことでは無いのかと疑い始めた。そう思った時、自分がまるで虚構の中にいる怪物にでもなってしまったような気がしたと言ってたよ。

彼は今、彼自身の宿命と折り合いをつけるのに必死なんだ。

僕達を陥れる理由も余裕も無いと思うんだよ」

「…そうか。分かったよ。

ならば海堂が白だって事は理解しよう。

そして百歩譲ってこの海堂のお伽話が本当だったとしよう。更にまかり間違ってヤツが人魚の末裔だったとする。

でも、あいつの事が分かったからって殺人事件が解決するわけじゃ無いんだぞ。

なあ、井上。お前分かってる?最近のお前はアイツの事となると理性が狂ってると思わないか?」


 俺がそう言った時、井上は下唇を噛み締め眉間に皺を寄せ、しばらくの間足元にじっと視線を落として考え込んでいたが、ようやく顔を上げるとこう言った。


「…そうだね、そうかも知れない。

僕は今酷く感情的で感傷的になってるのかもしれない。

勿論全てを鵜呑みにしたわけじゃ無いが、このお伽話を聞きながら彼の背負っている宿命の事を考えてとても胸が痛んだよ。

同時に自分のルーツの事も考えた。

例えば君は夏休みに帰ろうと思えば帰れる家がある。

でも僕や海堂君には本当の意味での帰る家が無い。

例えば君には不仲でも、しっかりと血の繋がった両親とお兄さんがいる。

でも海堂君と僕にはふわふわとした今があるだけで、自分がどこで生まれたのかとか、ルーツは何処かとか、自分の立っている場所が酷くあやふやで孤独だ。

海堂君と話をしていて、そう言う不安を彼の中にも見つけた時、僕はやっと仲間と出会ったような心地よさを感じたんだ」


 その言葉に俺はハッとした。入学した当初、井上が一度だけさらりと言った事を思い出した。

 それは彼が児童養護施設で育ったと言う事だ。

 そこに何の翳りも見せなかったせいで、その記憶は俺の学園生活の中に埋没していたのだ。

 考古学、民俗学、人間のルーツを深く掘り下げるそれらの学問に井上が傾倒した事も、自分のルーツと言う足りないパーツを埋めたいと言う思いの発露だったのかも知れない。


「そうか…。俺には解らないって、そう言う意味もあったのか…」

「ごめん、そうじゃ無いな…。そんな事が言いたかったわけじゃ…、こんな気持ち、なんて言って良いか僕にも良く解らないんだ」


 井上は説明のつかない自分の感情に狼狽えていた。

 だが俺は多分その感情の名前を知っている。


 それは恐らく『恋』と呼ばれるものだ。


 そう思えばどんな風に説き伏せられるよりも真っ直ぐ俺の胸にストンと落ちる気がした。

 俺は初めて海堂を見ていた時の井上の顔を思い出していた。こんな顔も出来る奴なのかと思った事を。

 海堂はある意味、井上が好きな怪奇と幻想が服を着て歩いているような存在だ。

 その神秘性に惹かれるのは想像しにくい事じゃないし、同じ匂いを彼の中に嗅いだなら、尚更惹かれてしまうのも分かる話だ。

 俺は井上を恋愛対象だと思って見たことはない筈なのに、何故か胸苦しい。

 親友に好きな人が出来たなら、それは素晴らしい事のはずだし共に喜んでやるべきなのだ。

 だが俺はそれが出来なかった。

 この時ほど彼と気持ちを共有できなかった事が申し訳無いと思った事は無い。


 いや、そんな美しい言葉でこの気持ちを語ってはいけない。

 この胸のモヤモヤしたものの正体は単純明快でもっと幼稚な『嫉妬』と言う悪魔だ。

俺はたった一人の親友を海堂に取られた。そんな気持ちだったのだ。

 この夏、俺達は正しく青春の真っ只中に居た。

 その中には人並みに悲喜交々様々なな事があるけれど、普通はそこに殺人事件などという言葉は無いだろう。




 八月に入り学園は夏休みを迎える季節へと移ろいでいた。

 ほとんどの学生達は皆親元に帰って行ったが、親と折り合いの悪い俺と擁護施設しか帰る場所の無い井上は、他の何人かの学生達と共に学生寮に居残っていた。

 いつもは学生達の声で賑やかな学生寮は、今は騒がしい蝉の声に取って代わられ、あれから何となく気まずくなった俺達は、一人一人で行動することが多くなっていた。

 音無にあの五十三基の祠の件を話した後、どうなったのか音沙汰も無く、このまま殺人事件のことは風化していくのではないかと気持ちばかりが焦っていた。

 さっきから背中合わせの机に向かい、勤勉な井上が課題をこなすカリカリと言う鉛筆の音が部屋に響いていたが、俺はずっと同じページを開いたまま何も手につかなかった。

 俺は思い切って話しを振ってみた。近頃居残り組の学生達の間で囁かれているとある奇妙な噂のことを。


「…なあ、井上。ちょっと良い?」

「なに?」

「最近流れてる噂のことだけど、知ってるか?」

「……ああ。鯨の神獣での人魂騒ぎか?」

「何だ、お前も聞いたのか」


 俺達は同時に書く手を止めて振り向いていた。久しぶりにきちんと顔を合わせた気がした。


 その話は一人の学生が夕暮れ時にあの鯨の神獣のあたりで人魂を見たと言う話だった。

 だがそれだけでは無く、またある生徒は近くに海の音を聞いたとも言っていて、またある生徒は潮の匂いのする生暖かい風が頬を掠めたと言う者もいたと言う。


「あの辺りは海から離れた場所にあるだろう?

それに人魂ってこのご時世におかしく無いか?」

「だが僕は火の無いところに煙は立たないと思う主義だ。何かはあるのかもしれないぜ?」

「些細なことが事件解決の糸口になるって話は刑事ドラマでも腐るほど見たしな」

「時間もある事だし、調べてみようか、今から」

「そうだな、行ってみようか」


 一度口を開くと二人とも堰を切ったように喋り始めた。

 とにかく今は事件に繋がるものが何でも良いから欲しいと言う気持ちに二人とも変わりはなかった。

 まだ二人で追いかけられる事がある。そう思うと俺はとても嬉しかった。


 

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