第19話 人魚伝説と海堂の真実

 俺は井上の話を真剣に聞くべくベッドに向かい合わせで座り直し背筋を伸ばした。

 窓から差し込む天高く昇った月明かりは、暗い部屋に二人の顔を青白く浮かび上がらせていた。

 互いに付き合わせたその顔は、まるで今から百物語でも始まるような顔つきで、いくらリアリストの俺と言えど不思議な高揚感を覚えた。

 いつのまにか時計の針は真夜中の二時を指していた。寝静まった学生寮はやけに震 深閑としていて、起きているのは俺たちだけなのでは無いかと錯覚してしまいそうだった。

 やがて井上は舟をこぎ出すようなゆっくりとした語り口で話し始めた。

 それは海に揺蕩う小舟のように俺の意識を遥か昔の御伽噺の海へといざなっていた。



 話は遡ること平安の御世。この頃世間では源平が激しく争っていたが、本土と離れていた名も無きこの島ではそんな事など全く別世界の出来事だった。

 島では人々は生きて行く事に追われるような貧しい暮らしをしていた。

 年中吹き荒ぶ潮風にさらされた土地は痩せこけ、唯一漁だけがこの小さな漁村の暮らしを支えていたのだった。

 時に魚は穀物や布などを手に入れるための大事な手段だ。悪天候が続けば島の生活はあっという間に困窮した。

 その年も悪天候が続き、餓死をする子供や年寄りが出るほどだった。

 切羽詰まった漁師たちは危険を顧みず、雲行きの怪しい海に三艘の舟で乗り出した。

 だが、最初は小雨だった空模様は沖に出る頃にはすっかり大嵐となっていた。

 激しい雨風と高波に揉まれた三艘の舟は漁師達を乗せたまま難破し、あっという間に海の藻屑と消えてしまった。

 それから何日か経ち、島の人々はもう漁師たちは死んだものと諦めて弔いの支度をしていた。

 ところがである。そこへ死んだはずの漁師たちが続々と海から帰って来たのだ。

 驚いた島民たちが、どうやって助かったのかと尋ねてみたが、誰も何も覚えていないと言う。

 だが、ただ一つだけ皆が共通している記憶があった。

 それは『人魚』の記憶だった。水に落ちた時、荒ぶる黒い海の中で沢山の人魚達が自分達の周りを泳いでいたと言う。

 それが苦しい死の間際で神が見せた幻や夢だったのか、はたまた本物の人魚だったのかそれは誰にも本当の事は分からなかった。

 だがその後これは人魚が漁師を助けてくれた物語として村の人々に語り継がれることになったのだった。だがこの話はそれで終わりではなかった。


 それから長い月日が流れ、その時助かった漁師達も歳を取って次々に亡くなっていった。

 だがその中で一人だけ、歳も取らずに生き長らえている男がいた。

 その男の名をアトリと言った。アトリは百年近くも歳も取らず若々しい青年のままの姿を保っていた。 

 アトリは一週間のうち五日は家で過ごし、あとの二日はどこかへと出掛けて行く。そこに何か秘密があるのでは無いかと思った島民達はある日こっそりと出掛けたアトリの後をつけた。

 アトリは皆が誰も近づかないような切り立った崖の下へと降りていくと、波が激しく打ち寄せる洞の中へと入って行った。

 アトリに続いてこっそりと島民達も後を追って洞の中へと入っていくと、中にはささやかな家財道具があり、そこで誰かと暮らしている気配があった。

 アトリと、幼い子供の楽しそうな笑い声が聞こえ、時折女が子供をあやす声が聞こえた。

 岩陰から島民達はこっそりとそれを覗き込むと驚いたことに、アトリは幼子と美しい人魚と団欒を囲んでいたのだ。

 その当時、人魚の血肉には不老不死の効能があると信じられていた。きっとアトリは遭難した時に一人だけ人魚に血をわけて貰ったに違いない。そのおかげで生きながらえているのだと村ではそんな噂がたった。

 そこで村人達は皆こぞって人魚の血を分けてもらおうとアトリに迫ったが、彼はがんとして聞き入れようとはしない。

 それどころか血など一滴も飲んではいないと村人を突っぱねた。

 その話はすぐに村の有力者の耳に入った。有力者の男はアトリに真新しい舟一艘と引き換えに、人魚の血を少しばかり分けてくれないかと頭を下げた。

 だがアトリはそれはオレの大事な女房だから、どうしてもそんな事は出来ないと首を縦には振らなかったのだ。

 人間というのは浅ましい。手に入らないとなると何がどうあっても手に入れたくなる生き物だ。

 不老不死の妙薬である人魚の血肉を求め、ある日村人達は大挙して人魚の住まう洞へと押し寄せた。

 そこであろう事かアトリと人魚を捕らえて殺してしまったのだ。

 事切れる寸前、人魚は自らの小指を食いちぎり、母の肩身だと我が子に与え、自らの身体に火をつけた。

 虫の息だったアトリは燃える人魚を抱き寄せると、二人はあっという間に炎に包まれた。

 そして燃え尽きる最後の瞬間、人魚は在らん限りの声を振り絞り、非道な行いをした村人に呪詛の言葉を叫んだのだ。


「この島の者全てを我は呪う!

この後お前達の子らはことごとく非業の死を遂げるであろう!

それが恐ろしくば我が子孫を決して絶やしてはならぬ!

そして毎年その証を我に立てよ!さもなくば、お前達を末代まで呪うであろう!」


 そう言い残すと、アトリもろとも紅蓮の炎の中に燃え尽きて行ったのだった。

 だが灰と化しても人魚は人魚。その灰にすら不老不死の効能があると思い込んだ幾人かの島民は、浅ましくもその灰を口に含むと皆血を吐いてもがき苦しみ死んでしまったのだ。

 そしてそれから本当に、島に疫病が蔓延し、次々と子供達が死んで行った。

 慌てた村人達は人魚を祀った神社を建て、本土から連れてきた陰陽師に人魚の御霊を鎮める祈祷を施したが疫病は一向に治るところを知らなかった。

 人魚は死際、己が子孫が絶えていないと言う証を立てよと言っていた事を思い出した。

 いくら人魚の血が混じっているとは言え子供に罪はない。残された子供は村人に預けられ生きながらえていた。

 そこでその者に祈祷をさせてみるとピタリと疫病は治ったのだ。

 それ以来、人魚が死んだ長月にはその末裔に鎮魂の儀式を行わせ、代々御霊を鎮める事になったのだと言う。

 それが『鮫人祀り』の真実であり、今でもそれはひっそりと島民達の間で受け継がれているのだと、まるで本を閉じるように井上はその長いお伽話を締め括った。


「この話は島民達とその子孫達に口述のみで伝承されてきたものだ。

要するに、これは龍神神社、いや鮫人神社の御神体が人魚では無いかと言う僕の仮説を立証する証言と言っても良い。

 僕がいくら調べてもそれが分からなかったのは、文字にはなっていなかったからだ」


 井上の語気には僅かだが高揚感が滲み出ていたが、それに反して俺の気持ちは冷めていた。


「要するに、お前はこの人魚の子孫が海堂だって言いたいのか」

「…そうだ。

例の小指はその人魚のものだ。

そしてそれを代々持っている海堂は『鮫人祀り』で御霊を鎮めることが出来る唯一のみこで、人魚の末裔と言う事になるんだよ」





 

 

 




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る