第18話 バカバカしい話し
「…どうぞ、入って」
こうなったらもう、海堂を中に入れるしかないだろう。ママの後ろに立っていた音無は静かな声で海堂を中へと促した。
だがその声はあまりにも静かすぎ、海堂に注がれた皆の眼差しはあまりに疑惑に満ちていた。
恐らく俺たちは押し殺した重い空気を大量に醸していたに違いない。
そんな異質な空気を鋭敏に嗅ぎ取った海堂の顔は、まずいところに来たんじゃないのかと言う表情で固まった。
中に入って来いと言われたにも関わらず、海堂は動こうとはしなかった。それどころか膝が微かに震えて見えた。
「…あの、僕…。やっぱり、急用を思い出して…」
落ち着きを失った眼差しとおずおずとした声。海堂は一歩二歩と後ずさり、その作られた笑みが引き攣った。
「どうしたんだ?入って来いよ」
音無がドアの外に足を踏み出した途端、海堂は弾かれたように踵を返して走り出した。
「!!…待てよ海堂君!」
最初に叫んだのは井上だった。いつもは思慮深い男が咄嗟に海堂を追って外へと飛び出したのだ。それにつられるように俺も外へと走り出た。
「井上!」
「ごめん!瀬尾!
さっきの祠の詳しい話を音無さんに…!頼む!」
井上は俺に振り返り、そう言い残して走り去ってしまったのだ。
呆気に取られ棒立ちになった俺の背後で、説明しろとでも言わんばかりの皆の視線が痛かった。
俺はこの後始末を丸投げした井上を恨んだ。
「何なんだよっ…、どうしたんだよ…!」
「それはこっちが聞きたい!どうなってんだお前ら!
ああもう!やっぱり高校生なんか引き込むんじゃなかった!俺がバカだったよ!くそっ!」
その後は散々だった。井上に置いてけぼりになった俺はピリピリした空気の中で、例の祠の年代の話をし、海堂の事は、何か深い事情がありそうだから暫く様子を見させてほしいと俺は三人にペコペコ頭を下げていた。
一人で寮へと帰る道すがら、俺は何を考えていたか覚えていない。
ただ誰もいない部屋へと入った途端、やるせない気持ちが込み上げた。
誰に対するでも無い怒りや何に対するかもわからない疑問と不安。
それらの気持ちがない混ぜになりながらも、心を占めていたのはあの冷静な奴が後先構わず海堂を追いかけて行った事だった。
「どういう事かだなんて俺だって知らねえよ!
そう言いながら俺は井上の枕を思い切り壁に叩きつけていた。
初めて舞台の海堂を見た時、確かに俺は魅了された。だが同時にあの浮世離れした美しさに何か嫌な予感が走ったのも確かだ。
それはどんな形でどんな姿の何なのか。それをいつか目にする事はあるのだろうか。
門限が過ぎ、夕食の時間になり、消灯時間が過ぎても井上は帰ってこなかった。
いったい井上と海堂はあの後どうなったのだろうか。時計の音がやけに耳につく。俺は何度も何度も時計に目をやった。
夜半過ぎ、ようやく俺がまどろみ始めた頃に井上が部屋に帰ってきた。
お帰りと言う一言が躊躇われ。俺は身を固くして寝たふりを決め込んでいた。
気配をを殺した靴音、服を脱ぐ微かな衣擦れ、ベッドの軋む音。井上の漏らす微かな溜息。それらを聞いているだけで胸苦しくなりそうだった。とうとう俺は我慢できずに話しかけていた。
「………お帰り。
門限破りだな。フランケンになんて言ったんだ?」
「…悪い、起こしちゃった?
下宮の
下宮の前で気分が悪くなって少し休ませていたって事にしてくれた。お陰でお咎めは無し」
「…へえ、良かったな。
………………で?」
「で?って?」
「薄ら惚けんなよ。下宮って事は海堂と一緒だったんだろう?
何話したんだよ奴と…。音無が怒り狂ってたぞ。当分会うのは止めようだってさ」
「…そっか…」
「そっかじゃねえ!
…で、海道は白なのか黒なのか?それによってこれからの対応を考えないとならないんだ。いったいどんな話をしたんだ?」
井上は直ぐに答えなかった。俺は思わずベッドから起き上がって井上を見た。
奴はベッドに横たわり、しばらくじっと天井を見つめてからポツリと言った。
「これを君に話すべきか否か悩むところだ」
「…なんだ。気になる言い方だな。白か黒かくらい言えるだろう」
「海堂は俺たちや音無の事は学園側に言ってない。そう言う意味では白」
「じゃあ何で逃げたりしたんだ?俺たちに疾しい事があったからなんじゃ無いのか?」
「あの時、俺たち全員がどんな目で海堂を見ていた?
五対一の状況に怯えて逃げただけだよ彼は」
「それにしたって…」
「彼には自分が白だとはっきりと言えない事情があったんだ?
彼の立場は単に白とか黒とか言えない事情がある。
そしてそれは恐らく君には理解できないくだらない話だよ」
最後の言葉に俺はカチンと来た。俺が理解できない何かを二人は共有したとでも言うのか?
「お前、俺を馬鹿にしてんのか」
「そう言う訳じゃない。そんな風に聞こえたなら、…ごめん」
いつになく井上の言葉は歯切れが悪く、遅々として先に進まない。こんな風に謝るのも初めてだ。
井上と知り合ってから二年間、共に過ごし、一番近くに居た。それなのに、俺に話すのを躊躇う事っていったいなんだ?
俺の中のモヤモヤした不安が膨らんでいく。
「なんだ!はっきり言え!お前らしくない!」
「わかったよ、じゃあ言うけど、お前は絶対に本気にしない」
「そんなの言ってみなきゃ分かんねえだろ」
決めつける井上の言葉に腹が立つ。だが、悔しい事にそれは当たっていたのだ。
井上は大真面目な顔をしてこう言ったのだ。
「彼は人魚の末裔なんだって」
「・・・はあ?」
「だ か ら!海堂は人魚の末裔なんだって!」
俺は目が点になってしまった。同時にあんまりに荒唐無稽な言葉に怒りすら込み上げた。
「〜〜何の話だ!
勿体ぶった挙句、言うに事欠いて人魚の末裔?
そんな話し!問題をすり替えるならもっとマシな事を言えよ!」
「ほらな!だから言ったろう?お前は信じないって」
とても正気とは思えない。こんな具にもつかないお伽話を井上が大真面目に受け止めていることが!
「なあ井上、これは殺人事件なんだぞ?それをそんなお伽話と同じ土俵で語るのか?どうかしてるぞ!
音無さんには海堂のことがはっきりするまでは合わないって言われたんだ。
そんなお伽話にかまけてる場合じゃ無いんだぞ!
それともお前、海堂の魅力に惑わされてでもいるんじゃないのか?」
そう言ってから俺はしまったと思った。
覗き込んだ井上の目は笑っても怒ってもいない。
何を馬鹿なと怒って欲しかったし何の冗談かと笑って欲しかった。
なのに井上はただ黙って天井に目を凝らしているだけだ。
だが、やがて井上はベッドから起き上がると静かに話し始めた。
「君が怪奇幻想を信じないリアリストだって事は知ってる。
でも敢えてこの話をしようと思ったのは、彼が黒じゃないと言う理由と深く関わってると思ったからだ。
瀬尾、俺の話を茶化さず真面目に聞いてくれるかい?」
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