第13話 違う景色が見えた日

 俺は書類を見せられても書いてある事はさっぱりで、ただ「鱗毒」と言う文字と人体図の右手の指先が丸で囲んであり、ドイツ語らしき文字で何か走り書きがしてある事だけが分かった。


「どうしてこんなものが手に入るんですか?」


 井上が胡乱な眼差しを音無に向けると音無は惚けた笑いを広角に上らせた。


「それは企業秘密だ。まあ、俺もジャーナリストの端くれだからな、俺なりの人脈ってやつがあるのさ。

だが確かなのは学校と警察はグルになってこの事件を隠蔽する気でいるって事さ」


 音無の言葉で俺達のバカバカしいと思えた推論が現実味を帯びて見える。


「法治国家でそんな事許されるんですか?」

「井上君、清く見える泉の下は真っ黒な泥だ。数多の歴史が物語ってるように、人間の世界なんてのは昔から汚いものや理不尽な事で成り立ってるものだよ」


 達観したように言い切る音無は、俺たちよりもずっと大人で、色々な物を見聞きしてきたのだと思った。


「音無さんは五年前からこの島について調べていたんですよね?何故ですか?」


 俺がそう聞いた時、それまでのふざけた態度が一変したように見えた。

 音無はしばらく黙って煙草を黙々とふかし、それを灰皿に捻り潰した。


「…五年前にも、恐らくこの鱗毒で亡くなったと思われる旅行者がいたんだよ…。そしてその時も、その死は闇に葬られた」


「え…?」


 初めて飛び込んできた情報に俺達は驚いて顔を見合わせた。


「…本当よ」


 背後からママの掠れた声がして、それまで奥に引っ込んでいたママが水割りのグラスを手にフロアへと入って来た。


「それは本当の事よ。その死んだ旅行者と言うのは、私の恋人で、この人の親友だった人よ。ね?圭さん」


 ママはそう言いながら、音無の前にそっと酒のグラスを置いた。

 音無からは返事が無かったが、その無言こそがそれは真実だと物語っていた。


「五年前、私達は三人でこの島に遊びに来たのよ。景色は綺麗で神秘的で、一日歩き回るだけで旅行気分になれた。

本当は日帰りの筈だったのに、あの人ここが気に入って朝ジョギングをしたいからって漁港の民宿で一泊したの。…それでね…」


 ママが話してる間、俺はふと井上の視線が気になった。その視線は海堂に注がれていた。

 ここへ来てからずっと黙っていた海堂は、まるで自分が罪を犯したような暗い面持ちで、じっと足元に視線を落としていた。愁を帯びたその横顔に俺は一瞬、魅入られた気がした。

 それと同時に何故そんな顔をしているのか気になった。それは多分、井上も同じだった筈なのだ。



「それでね…」


 ほんの束の間、海堂を気にしていた俺の意識が、その声でママへと引き戻された。


「…それでね、彼は何事も無くジョギングから帰って来て、『面白い場所を見つけたから後で一緒に行ってみよう』…って。

それがあの人の最後の言葉になったのよ。

それがすごく引っかかってね、私なりに調べてやろうと思って五年前潰れていたこの店を買い取ったのよ。元より儲けるための商売じゃないし繁盛はしてないけど、お陰で面白い事も分かったわ。

この島の純粋な島民達は余所者に異様にガードが硬いって事よ。

世間話はするけどこの島の話になると急に無口になる。他所から来た人間に一線を引いていると言うか、ここで飲んで盛り上がったとしても、皆んな島の事はあまり喋らない。

愛想よく見えても何処となく余所者を監視しているような…そんな薄気味悪い視線を感じる事があるわ。

この島全体が何だか変よ」


 そう言うと、ママは両腕を摩りながら寒そうに首をすくめた。

 ママが話している間、酒のグラスを傾けていた音無が口を開く。


「変なんてもんじゃないだろう。この島にはこんな死に方をした人間が他にも何人かいるんだよ。しかもそのいずれも死因は突然死や不明のままだ。

言わば佐々木君の事件は一連の殺人連鎖の末端と言うわけだ」

「殺人連鎖…」

「そう、これは長い時間をかけた連続殺人だと俺は思ってる」


 音無のその言葉はショックだった。佐々木の死は俺たちにとってはたった一つの重大事件の筈だった。それが今や連続殺人の中の一つの事件になってしまったのだ。

 俺もそうだが、釈然としない井上が更に音無に踏み込んだ。


「でも、そんなに沢山の人が不審死を遂げたと言うのに、この島で起きてる事を世間が知らないなんてそんな事あるんですか?」

「あるじゃ無いか」

 

 そう間髪入れず音無が言葉を返した。


「あるじゃ無いか。現に君たちがそうだろう?

佐々木君の死は無かったことにされかけてるじゃ無いか。

勿論、不審に思った人間もいたし記事にしようとした人間も過去にいるにはは居たが、記事は何処かで握り潰され、記者は…。行方不明になったままだ。

俺は必ずこの事件を白日の元に晒し、全貌を明らかにしたいんだよ。ジャーナリストとして、…死んだアイツの友として」


 愕然としている俺達に、音無の静かな憤りと決意とが伝わって来た。

 死んだアイツの友として。音無のその言葉が俺の胸に突き刺さる。いったい俺達は殺された佐々木のため何ができるのか。少なくとも、この事件をうやむやにだけははしたく無いと思った。

 そして、この事件は俺達が思ってたよりももっと根深く、恐ろしいものだと思い知ったのだった。


「もしもこれが連続殺人だとして、いったいいつからこの殺人連鎖は始まったんですか?」


 そう尋ねた時の俺の声は恥ずかしいほど震えていた。


「はっきりとした事は言えないが、佐々木君と五年前のママの恋人。その三年前と六年前にも一人づつ不審死で亡くなってる。そして最後は1965年、龍神学園の建設中に三人亡くなっているが、これは工事中の事故となっているが本当の所は分からん。

その先は戦争のどさくさではっきりとしたことが追えなかった」


 次から次へと寝耳に水の恐ろしい話に俺は眩暈を覚えていた。

 緑川先生の忠告は正しかったのだと今更ながら痛感した。

 事件を深掘りした挙句にこんな大きな事件を掘り返してしまったのだ俺達は!

 学園の中だけでは見えなかった景色がある。俺達の見ていた世界はこの時から一変してしまった。

 美しい筈の島の風景や長閑だった学園風景は俺達にはもう戻ってはこないのだ。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る