第3話 前代未聞の男巫女

「何やってるの佐々木君!皆んなもうリハーサルやってるのよ!本番まで時間がないんだから早く来なさい!来てないの貴方だけよ!あらやだ、まだ着替えてもいないじゃないの!」

「え?もうそんな時間スか!」

「そうよ、全く落ち着きがないわね佐々木君は!あんまり世話を焼かせない!早く来なさい!」


 緑川に急かされて佐々木は慌てて部室を出て行こうとしたその時、ふとは立ち止まって井上に向かって佐々木がニヤリと意味深に笑った。


「そうだった!俺すげースクープ持ってきたんだよ。井上が飛び上がって喜びそうな…」

「佐々木君!早く!」

「分かったよ!行くから!…また後でな!舞台終わった後に話すよ!」


 何か言いたそうだった佐々木は意味深な言葉を残して緑川にせき立てられて行ってしまった。


「何しにきたんだか、アイツは全く本当に落ち着きがないな」


 俺が廊下を走っていく後ろ姿を見ながらそう言うと、井上もひょこりと廊下に顔を出した。


「なんか今、気になることを言ってたな。僕が飛び上がって喜ぶ?…何だ?」

「さあ…。まあ舞台が終われば分かるだろ。せっかくだから見に行ってやるか?鮫人神楽。何時からだ?」

「二時からだ」

「あと三十分あるな。ここに燻ってるのも何だし、たこ焼きでも食いに行来ますか」

「僕は焼きそば希望」

「ま、どっちでも!」


 祭り気分で活気付く生徒たちが廊下を行き交う中、俺たちは呑気に生徒達が催す模擬店を目指して歩き出していた。それが佐々木との最後の別れであったとは思いもせずに。


 神社と言うのはいつも整然として、幽玄で新たかな空気を纏っているものだ。学校と言えど、同じ敷地内にあるこの学園もいつもは神社と同じ空気を醸していたが、龍神祭の今日ばかりは普通の高校と変わらぬ溌剌とした賑やかさに包まれていた。

 各教室には生徒達の展示があり、境内では模擬店などが立ち並ぶ。島民は勿論、本土から船で十分と言う事もあり、他校の生徒や保護者達などで賑わいを見せる。

 龍神祭。それは隔絶された神の領域と俗世が、束の間交わる祭典なのだ。


 賑わう境内にあって、唯一静寂を保つ場所があった。それは今を盛りに咲く藤棚を背景に、朱の欄干に囲まれた雅楽舞台だ。

 やがて雅楽科の生徒達による雅楽演奏や舞楽がここで奉納されるのだ。


「今年の巫女舞は何だか一波乱あったみたいだな」


 舞台を横目に人混みの中を歩きながら、井上が眼鏡の縁を押し上げながらそう俺に言ってきた。


「一波乱?ああそうみたいだな」


 それは四人の舞手の巫女の一人が昨日、不運にも怪我をしたと言うものだった。それがどう言うわけか、立てられた代役の巫女が何故か男だと言うのだ。

 その前代未聞の出来事の噂は半日で学校内を駆け巡ったのだ。その事はあまり校内の噂などに興味のない俺の耳にすら入って来た。


「しかし、解せないな巫女ってやつは、未婚の女性がなるものじゃ無いのか?良いのか男で」

「まあ、その昔は男女の区別はなかったと言うからね。元々神楽だって白拍子と言って男装をした女が踊っていたし、巫女、禰宜ねぎかんなぎ。呼び方は違っても役割は同じ。問題ないそうだ」

「ふうん、何でも女より美人だって噂だな。女どもの嫉妬の標的にならなきゃ良いが…」


 何げなく言った俺の言葉に井上はくくっとおかしそうに肩を振るわせた。


「ははっ、女にモテるだろうなと言う発想にならないところが君らしいね」

「は?そんなのが俺らしいか?ところで井上は見たことあるか?」

「気になるのかその美人」

「馬鹿、そう言うわけじゃ無い。美人と言っても男だろ。井上は見たのか」

「…遠くからね。四人の誰が男だか分からなかったよ」


 女と区別がつかないほど、その男子生徒は美人だとでも言うのだろうか。好奇心がないと言ったら嘘になる。つらつらとそんな事を考えていた時だった。


 雅楽器の雅な調べと共に、奉納舞の始まりを告げる太鼓が境内に鳴り響いた。

 舞楽奉納はニ曲披露される事になっていた。先に四人の巫女達が踊る巫女舞、その後狩衣姿の四人の男子生徒達が踊る鮫人神楽だ。

 先ずは清めの儀式が始まり、笹を手にした一人の巫女が現れると、大釜にはった湯にそれを浸して周囲に蒔き始めた。

 これで場を清め、穢れや邪悪な物からの結界を敷き、神を招くのだ。


「アレだよ瀬尾君。さっき僕が学校の七不思議の話をしたろう?アレがその一つだよ。

普通は湯立ちと言って大釜に張った更湯さらゆで清めるのが一般だろう?ここでは煮立てた海水を使うんだ。全国的に見てもそんな神社はおそらくこの龍神神社くらいなものだよ」

「…へえ」


 さして興味の無い俺は間抜けだ返事を返しながら、神主の祝詞のりとを聞いていた。



『ーーとおかみため、とおかみため、ーーかしこみかしこみ申す〜』


 

 井上は考古学と言うよりもこの島や龍神神社の奇妙な伝説と成り立ちに興味を惹かれて入学して来たようなものだった。

 入学当初からあちこちを掘り返してみたり校舎や神殿の地図や見取り図まで作って何やら熱心に調べ回っているのだ。


「龍神神社は何を祀っているか知ってるだろう?」

「言葉通り龍神が祀られているんだろう?入学の時にそう教わったぞ」

「まあ、額面通りならそうだろうね」

「違うのか?」


 俺が疑問を投げかけた時、小さな歓声と拍手が上がった。

 祝詞を上げ終わった舞台では、巫女姿の女子学生達による演舞が始まろうとしていたのだ。


「どれがその男巫女だ?」


 四人とも同じ髪型、同じ巫女姿が俯き加減に静々と四隅に立つ。覆った両袖で俯くその表情はまだ分からない。

 天に突き抜けるような笙の調べに合わせて手にした神楽鈴を振る。その音色で神がこの舞台に降りてくると言う。

 三度その場で静かに回り、正面を向くと両腕が高く空中で弧を描く。天円地方、その動作は天と地を表すのだ。

 巫女達は顔を上げ、その花のかんばせが現れた。


 その瞬間、おお…!と何処からともなく感嘆の騒めきが沸き起こり、その瞬間を捉えようと前列に並ぶカメラの砲列や見物客が一斉にシャッターを切った。

 その眩い光はまるで綺羅星が瞬いているように巫女達を照らした。


あれだ…!


 俺も井上も一目でその男巫女が分かった。眉目秀麗な四人の中にあって、一際凛とした佇まいの巫女がいた。

 真の通った立ち姿。風にゆったりとしなる若い青竹を思わせるその立ち振る舞い。

 可憐に揺れる小花のような少女のそれとはまるで違って見えるその姿に、俺たちはそれが男であることも忘れて一瞬見惚れていた。

 おりしも時は五月。その雅な舞台を彩るように、風に吹かれた藤の花が芳しさと共に舞い散った。



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