第4話 静から動の舞台

 その日、この舞台を観ている者は全て彼の姿を夢見心地で見ていたにちがいない。

 青白くさえ見える瑞々しく透き通る肌。色素の薄い涼やかな瞳。日本人離れして見えるが、かと言ってヨーロッパや北欧系でもない顔立ち。平安の衣装を纏うその姿はどこか神々しくもあり、それとは対照的に儚くも見えた。

 それは人種の違いというよりも、地上と海に棲む生きものほどの違いのように思えた。


「…彼、名前はなんて?」


 舞台から目の離せなくなっていた俺は呆然としたまま井上に尋ねた。


「確か、……海堂、とか?」


 歯切れ悪く答える井上をチラと横目で見るとその視線も海堂少年に釘付けだった。

 静かな水面を波一つ立てず舞っているような流麗な姿に、二人とも他の巫女を見ようとしてもどうしても視線は海堂を追いかけてしまっていた。


「あいつ今年入ったばっかりの一年坊主だろう?一ヶ月足らずであそこまで踊れるものか?」

「……うんそうだね。どうやら初心者ではなさそうだ」


 そう言う井上の顔は正しく見惚れているとでも言いたげだった。こんな表情かおをする奴だったのかと、俺はこの時井上のまだ知らない顔を垣間見た気がした。

 その時だった。俺は激しく瞬くフラッシュの光に目が眩んだ。レンズを通した熱視線をこの瞬間の海堂は恐らく独り占めしていたに違いない。

 今思えば俺は、この浮世離れした海堂と言う後輩に、言葉には出来ない奇妙な感覚を覚えていたような気がする。


「突然の交代劇でマスコミもノーマークだったんじゃないか?しかも巫女舞なのに男だし」

「そうだな、佐々木君も不運だね。話題が彼に持っていかれるだろうからね」


 海堂の圧倒的な存在感の余韻の中で、海堂が舞台を下がって行くまで井上はずっとその姿を目で追いかけていた。そして俺の視線も、そんならしからぬ井上を追っていた。

 そのおかげで、佐々木が踊る肝心の鮫人神楽の調べが厳かに流れ始めても俺達はどこか上の空だった。


 それぞれの地方には里神楽というその土地にのみ伝承される独特の神楽があるが、この鮫人神楽もこの島に古くから伝承されている神楽の一つだ。

 翡翠色の狩衣かりぎぬに身を包んだ若者が、龍の尾を模した飾りを身につけ、三又の槍を振るって勇猛に踊る凛々しい神楽だ。

 巫女達が捌けた後の舞台では、雅楽演奏も龍笛りゅうてき羯鼓かっこによる疾走感のある曲調へと変わっていき、四人の龍神達が整然と並んで舞台へと上がって来ると会場が俄に色めき立った。

 これを目当てのマスコミはここぞとばかりにシャッターを切る。

 佐々木は一際華やかで目立つ奴だった。今年のスターダムに躍り出るのはきっと佐々木だろう。誰もがそう思っていた。

 ところがである。舞台に歩いてくる時から佐々木の動きはおかしかった。歩く姿がふらついて見え、舞台へと昇る際には幾度かつまづき、その動きに精彩を欠いていた。


「なあ、井上。あいつ珍しく緊張でもしてるのか?何だかおかしくないか?」


 井上も佐々木の様子が普通じゃないことに気がついた。


「ああおかしいな、第一顔色が悪い。具合でも悪いのかな」

「あいつ本番前に意地汚く色々食い過ぎたんじゃないのか?腹具合でも悪くなったか」


 この時はまだ俺はからかい半分の気持ちだった。まさか、佐々木が俺達の目の前で死に直面しているとは思わなかったからだ。

 明らかにおかしな挙動の佐々木に周囲が騒めき始めていた。四人の龍神達が揃って手にした鉾を二度、三度と薙ぎ払いながら回ろうとしていた時だった。

大きな音が境内に響いた。佐々木の手にした長い鉾が舞台上に勢いよく転がった。

踊る龍神達が戸惑い動きを止めたと思いきや、佐々木の身体がぐらりと揺れ、佐々木は震える両手を見下ろし、自分でも何が起こったかわからないと言った様子で膝から崩れた。


「カハ…っ!…かはっ!」


 その時、突然に咳き込んだ佐々木の口からドス黒い血が迸り、舞台上に散った。

 溢れ出る血液は顎や胸元を染染めて行く。仕舞いには血混じりのピンク色の泡を吹きながら、佐々木は白目を剥きながら前のめりにどっと倒れた。

 突然のショッキングな場面に、その場にいる者達の思考が一瞬だけ停止した。だがすぐに女性の絹を裂くような悲鳴が上がる。


「きゃーーー!!」


 すると堰を切ったように周りは騒然となった。どの顔もどの顔も驚きを超えた恐怖に引き攣り、舞台上は逃げ惑う者と、佐々木に駆け寄る者が入り乱れた。


「佐々木君?!」

「佐々木!!」


先生達が狂ったように叫びながら佐々木の身体に取り縋り、その周りに居た生徒達は、非日常的な光景に何が起きたか分からずただ呆然となっている。

 そんな阿鼻叫喚をまるで餌に飛びつくように、不埒なマスコミが救助もせずに夢中でシャッターを切っていた。


「誰か救急車だ!!」

「しっかりして!佐々木君!ささきくん!!」


 その有り様を目の当たりに俺は叫び声一つ喉から出ては来なかった。足がまるで岩になったように動けずにいた。


「何が…何が…起きたんだ…。佐々木が…佐々木が…」


 そう戦慄くように呟く井上が、俺の隣から脱兎の如く舞台に向かって飛び出した。

 俺の固まった足が一歩井上を追って繰り出されると、後は夢中になって佐々木の元へと舞台を駆け上がっていた。

 先生達に取り囲まれていた血まみれの佐々木はすでに動かなくなっていた。


「…佐々木、佐々木…!」


 佐々木に近づこうとした井上を押しやるように、担架が運ばれてきた。誰が救急車を呼んだらしい。

 けたたましいサイレンの音、ごった返す人混み、その向こうに回転する赤色灯が見えていた。


「どいて!どいてください!下がって!」


 マスコミが佐々木に群がった。容赦なくたかれるフラッシュは俺の理性を吹っ飛ばした。

 俺の腕が咄嗟に突き破るような勢いで、マスコミの放つフラッシュの波を薙ぎ払っていた。


「おい!止めろ!撮るな!」


 マスコミに揉みくちゃにされる俺の脇を、蘇生処置を施されながら佐々木が運ばれて行く。非日常の悪夢の中に俺達は一瞬のうちに立たされていた。


『また後でな!』


 別れたときの佐々木の言葉が繰り返し頭の中に蘇っていた。





 




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