第28話 愛の叫び

ある日のデート。


ふと、平沢が言った。


「あの。橋本さん…」


「僕、Aに移ってけっこう評価してもらいまして

 今回、主任に昇格したんですよ」


「え!すごいじゃない?よかった!」


「それでですね、給料も上がっていきそうなんです。

 あの…橋本さん、僕年下ですけど…あの…」


「ぼ、ぼくと結婚を考える事はできますか?」


いつかは来ると覚悟していたプロポーズ。

悦子は落ち着いていた。


「平沢君、私を選んでくれた決め手はなに?

 過去の話を聞いてから結婚を考えてくれたの?」


悦子は正直自分に自信がなかった。

だからこそ本当にどこに惹かれたか聞きたかった。


「橋本さんと仕事してすぐ思ったんですよ。

 恥ずかしいけど、好きだなって」


「こんなおばさんのどこがよかったの?」


「橋本さん、仕事中、社員さんとかが横、通るじゃないですか?」


「うん」


「橋本さん、自分が居てすいませんって

 心の中でお詫びしてるでしょ?すごく気遣いされて」


「あの姿勢に僕は惚れたんです。昔話を聞く前から」


悦子は驚いた。

この子はそんな所を見ていたんだ。


「橋本さんも僕も下を向く事が多いですけど

 やっぱり2人で前を向きたいと思うんです。

 橋本さんとなら胸を張っていける気がするんです」

 

「だから結婚を考えていただけ…ます…か?」


最後の声は消えそうだった。

それは断られるんじゃないかな?と

不安にかられて声が萎んだのだ。


悦子は正直OKする気だった。


だが言った。


「平沢君、条件があるの」


平沢はハッと顔を上げ言葉を待った。


その条件とは。


年下だからは禁句。4歳差は忘れる事。

今は無理でもがんばってタメ口になって。

独りで背負い込まずに辛い事は私にも分けてほしい。


そして…


あなたのご両親には私のすべてを隠さず聞いていただく。

そしてそれを許していただけたら…。


「それでよければ、私をもらってください

 こちらこそよろしくお願いします」


そう言って悦子は頭を下げた。


「ううっ」


見ると平沢君はもう泣いていた。


悦子はこのかわいい人を田舎の両親に見せたいと思った。




* * *



東京郊外の閑静な住宅地。

平沢の家は和洋折衷の家だった。

5年ほど前に建て替えたのだという。


父の平沢浩一郎は元銀行員。

早めに退職し、今はとある企業の会計を担当。

母の英子は大学の職員を退職し家に居た。


一目で裕福な家庭だとわかる。

悦子は結婚の承諾を半ばあきらめていた。


それが証拠に母親に案内され和室に通されたが

夫婦そろって出てこない。もう5分以上もだ。


やっぱりお断りなんだ?試されてるのかな?

いろいろ考えながら床の間の読めない掛け軸を見る。


平沢は悦子の過去を両親には伝えた。

正直、母は露骨に嫌な顔をした。

父はわかった、来てもらいなさいとだけ言った。

その後、今日まで何も聞かされていなかった。


まだ来ない。


平沢はあきらかにイライラしている。

悦子がその横顔を見た瞬間、襖がスーっと開いた。


スーツを着た校長先生のような男が入って来た。

家の中で?悦子は不思議に思った。

これが父なりの正装だった。


「初めまして、平沢浩一郎と申します。

 こっちは妻の英子です」


「英子でございます。隆文たかふみがお世話になりまして

 ありがとうございます」


2人並んで正座して深々と頭を下げた。


悦子は畳に額を押し付けて頭を下げた。


「お初にお目にかかります。橋本悦子と申します」


緊張で声が震える。

なんでこんなに丁寧なの?

慇懃無礼?バカにしているのかしら?


悦子は予想を裏切られた。


身の程知らずの女がやって来たと

もっと高飛車な態度で来ると思っていた。


この夫婦はさらに悦子を裏切る。


少し世間話をして、おもむろに父が言った。


「それはそうと、橋本さん?」


来た。悦子は歯を喰いしばった。


「あなたはご長女とお聞きしましたが 

 養子ではなく、うちに嫁いでくださるんですね?」


「あの?え?あ?」


「隆文は養子ではありませんよね?」


「あ?は、あ。」


悦子は言葉が出ない。

隣の平沢が大声で尋ねた。


「父さん、母さん、OKなの?」


「あなたのお話は隆文から聞きました。

 驚きましたよ。いや、あなたの過去ではなく

 この話を隠さず伝えたいとおっしゃった事にね」


「もしこの話を隠してお見えになっていたら

 この結婚はお断りしていました」


悦子の号泣は酷かった。

声をあげて子どものように人目もはばからずに泣いた。

それは10年間苦しみ続けた傷の深さを物語っていた。


「橋本さん、話を聞いて私は思ったんですが

あなたも隆文もご自分を責めすぎだと思います。

もう十分でしょう?物事には終わりがあります。

 結婚を機に2人は未来を見据えるだけでいいと思います」


「隆文、父さん、はじめてお前に言うけど

 この世に罪滅ぼしの仕事なんかないと思うよ」


「誰もがいろんな傷を抱えている。

 それにしがみつき後退する事無く

 未来を歩むために橋本さんが現れてくださった」


「私はそう思っているんですよ」


「どうか息子をよろしくお願いします」


過去の傷は帳消しにはならない。

だが、愛が傷負い人を支える。

そこに生きる力を見出すのだ。


「私が隆文さんを支えます」


悦子は心の中で何度も叫ぶが

涙で一言も発することができなかった。





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