第21話 傷・門野の場合

「どうしようかな?」


門野は紙袋を横目につぶやいた。

中は悦子へのお土産にと買ったアクセサリー。


出張中、話の流れでブレスレットが欲しいとなって

免税店で買い求めたものだった。


新しい男の出現で揺れている悦子にすれば

こんなもの受け取っても困るだろう。

もうこのまま渡さずにおこうと思った。


「そういえば、土産の話題も触れないもんなぁ」


ベトナムで話をしていた時は

どこのブランドがかっこいいとか

いろいろ2人で相談したのになぁ…


門野は悦子の彼がすべてを受け止めたと

栞から聞かされ、正直負けたと思った。

そんな若い子が現れたら太刀打ちできない…


オレはダメだなぁ…


見た目も悪くないし、社会的地位もまあある。

借金もないし、一応生活は安定している。

なのに、なんでオレはダメなんだろう?



いつも悲しく満たされない日々。


なにが悪いんだろうな?


今までに何度か思った自問だった。



* * * *



門野は普通の家に生まれた。

特に貧乏でもなく、お金持ちでもなく

よく言われる中流家庭。

父は公務員、母は専業主婦だった。

兄弟は姉が1人いた。


普通の家だ。


そう思っていた…が。



物心ついてからいろいろ考える。

子どもなりに考える事があった。


僕のお父さんってよそのお父さんと違うな。

年取ってるよね?何歳なんだろう?

僕のお姉ちゃん、何歳なんだろう?

お母さん、どうしていつも僕を怒るんだろう?



門野の父親は再婚だった。

最初の妻は病で早く亡くなった。

男手1つで娘を育てた。

その子が13歳の頃、門野の母と出会う。

出会いから1年の交際を経ての結婚。


だが、娘には亡き母の恋慕と新しい母への

違和感や嫌悪感がふつふつと湧き上がる。

それを察した母は腫れ物に触るように娘に接する。

そして1年後、姉が15歳の時、門野が生まれる。


かわいい男の子だ。

父にすれば息子だ、うれしくてしかたない。

母はもちろん初めての男の子。感激の涙を流す。


取り残されたのは姉だった。


もう中学3年生。男女の事は分かる。

この女が、お父さんと…

私のお母さんは一人。

固く心に誓って暮らした。


両親が喜べば喜ぶほど姉は距離を置いた。

賢い母は門野が虐められないように

細心の注意を払う。


それでも姉の言いようのない不満は募る。

幼い門野にその怒りは向けられた。


なにかの拍子につねったり軽く叩いて泣かす。

寝ている所を無理やり起こす。

姉は学校で気に食わない事があると

そのイライラをかわいい弟に向ける。

陰湿で小さく、証拠を残さない虐めが続く。


いつも門野は泣いていた。


母親は姉を責める事はできなかった。

もちろん主人には告げ口はできない。


1歳、2歳、3歳。話せるようになっても

門野は姉に虐められていると分からないため

母に告げ口することもなかった。

それが普通だと納得していた。


そして門野は相手の顔色を見る子に育つ。

小さなころから目の配りや言葉の抑揚まで

恐ろしいほどに相手を読み取ろうとした。


その上、母は門野を厳しく育てた。

昔は親が手をあげる事も躾の一環として

黙認されていたし、当たり前でもあった。


事あるごとに門野は母親に叱られた。

行儀作法、態度、常に怒鳴られ叩かれた。


それは門野への虐待のように見えたが

実は姉の憎悪を和らげるため。

姉の虐めターゲットにされない様に

先手を打って門野につらく当たった。


だが、そんな母の思いを本人は知らない。

彼はますます人の顔色をうかがい

相手を怒らさないように懸命に勤める。

静かなおとなしい小学生に育った。


門野が中学1年生の時、姉が嫁に行く。

なんとなく彼はホッとした。


その頃、母の躾も緩やかになってはいたが

門野の気遣いをする性格は変わらなかった。

いいように言えば優しく、気の利く子だが

周りの顔色を伺い、自分を押し殺す事ばかりで

個性のない、つまらない青年と成長していく。


門野自身、いびつな家庭環境で育ち

知らず知らずのうちに小さな苛めを受け止めて

それが普通だと生きて来た。


それが今の彼の優しさや洞察力を育んだといえば

良いように聞こえるが、いじめられっ子が

わが身を守るために身に着けた処世術だった。


そして門野は愛された実感がないまま大人になる。


門野の50年間は、誰かに愛されたい日々であり

誰かを愛したいという、愛に飢えた人生だった。



ひさしぶりに心から通じた悦子も

彼の元を去ろうとしている。


そんな予感をいち早く察知し

悦子が悲しまないように消えよう。

それだけを考えて自分を殺そうとする門野。


この男は自分の心の奥底に傷がある事を知らない。


子どもの時から雪が降り続けるように

彼の心に悲しみが積み重なった。

その悲しみの雪は溶けることが無く

今では氷山のようにそびえ立つ。


その悲しみの山を制覇することは難しい。

本人が傷が自然だと思い込んでいるからだ。

人に愚痴るでもなく、吐き出す事もない苦悩。

どうする事もできない積もり積もった山。


登山道は閉じられたまま。

悦子もこの山を登ることはなかった。


門野もあきらめているのだろう。


悲しみの氷山を溶かす相手はどこにいるのだろうか?






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