第15話 傷・平沢の場合

雨は少し小康状態。


明かりがない会議室は少し暗いままだった。


大きな会議卓の隅、Lの字に座る2人。

平沢は話の前にまた前置きをした。


「ほんと、気楽に聞いてくださいね。

 引いたり凹んだりしないでくださいね」


明るく懇願する平沢に悦子は思う。

私、元嬢なんだよ。引くわけないって。




「僕…」




「人、殺してるんですよ…」


「んっ」


返事したつもりだった。

だが、声は出なかった。

息を吸うような小さな叫びのような

何とも言えない音が出てしまった。


そんな悦子の怯えを見た平沢は言い方を変えた。


「すいません、言い方が悪いですよね

 簡単に言えば交通事故なんです」


優しい笑顔で語りだす。


その内容はあまりに悲しく辛いものだった。



* * * 



平沢23歳、社会人1年目。

ある秋の夜の出来事だった。


その日、平沢は彼女とドライブデートだった。

彼女は大学のサークルの後輩。

付き合って2年。彼は当然、結婚を考えていた。


デートが終わり、家まで送る途中の信号待ち。

助手席の彼女が平沢に尋ねた。


「ねえ?ケーブル、鞄の中だっけ?」


「ん?なに?」


「充電」


彼女はシートベルトを外す。

体をひねり後部座席の鞄を引っ張り出した。

鞄からケーブルを出して車の充電器に差す。


「0%じゃないだろ?」


笑いながら彼女を見ていた平沢。

信号が変わったのに気づくのが遅れた。


プァ-ン♪


後ろのトラックにクラクションを鳴らされる。


「やべっ」


いつもより少し乱暴な加速。

今の時代、些細な事であおられるかもしれない。

右車線を走り、早めにトラックを引き離す。


バックミラーで確認。

トラックは車線を変え、曲がろうとしている。

ホッとして車を左車線に移動した瞬間。


「!!!」


バーン


鉄板が叩きつけられるような音。

目の前が真っ白になる。

エアバッグが開いたのだ。

咄嗟に床が抜けるまで踏むブレーキ。

泣き叫ぶようなスキール音。



* * * 



「最初、何が何だかわからなかったんですが

 僕の車に人が飛び込んだんですよ」


彼の車に飛び込んだのは自営業の男だった。

コロナ禍で経営に行き詰まっての行動だった。

3合ほどの酒を飲み、中央分離帯の植え込みに潜んだ。


茂みの中から飛び込む車を物色する。

ヘッドライトの明かりを見て勢いよく飛び込む。

それがたまたま平沢の車だったのだ。


スーツの内ポケットには家族あての遺書。

リスカのためらい傷が左手首に。


現場検証で、衝突時の時速は51km

ドラレコの映像、タイヤのブレーキ痕などで

飛び込み位置は車の6m前方ということが立証された。


自死の飛び込みにより運転手の回避は不可能。


最終的に平沢は不起訴となった。


だが彼は平穏な日々を取り戻す事ができなかった。


彼女はこの衝突でエアバッグに突っ込み

反動で助手席のヘッドレストに後頭部を叩きつけられた。

ベルトを外し、そのまま衝突したためだ。


病名は頸椎損傷。右半身麻痺。

2度の手術でなんとか動けるようになったが

リハビリは3か月も続いた。

その後も彼女は後遺症に苦しんでいると言う。


平沢は彼女に会う事はできなかった。

入院のお見舞いもさせてもらえなかった。


その後、父親が平沢本人に電話をしてきた。

彼はお詫びをさせて頂きたいと泣いて頼んだ。 


「あの子は重度のPTSDなんだよ。

 原因不明のパニック障害に苦しんでるんだ」

 

「娘にお詫びがしたい?甘いよ平沢君

 お詫びで、あの子を治せるのかい?

 そんなもの何の役にもたたないんだよ」


父親は涙声だった。


「私たちに関わらないで消えてくれ。

 それが君にできるお詫びだよ」


「あの…せめて、手紙を…」


平沢は泣きながら懇願した。


「平沢君、私は…」


「娘に過失がなかったら

 ベルトを外していなかったら…」


「私は君を殺していたよ」


父親の慟哭は止まらなかった。



* * * 



ドラマのよくあるシーンで、許しを請うために

家の前で一晩土下座するような描写がある。

明け方にはドアが開く。そんな結末だ。


だが現実はドラマではない。

ドアは永遠に開けてもらえなかった。


「僕の考えが甘かったんですよ。

 彼女の傷は計り知れなかったんです」



一方、自死者の遺族は彼に心から詫びた。

残された妻と高校生の娘が許しを請う。

2人して泣きながらお許しくださいと

何度も謝る声が平沢の心臓をえぐるように響く。

その姿は彼女へのお詫びを求める自分と重なった。


「僕もPTSDになったんです。会社も辞めて

 両親も憔悴しきって、それを見た時に

 彼女の両親もこんな思いをしたんだと思って」


「で、なんとか働かなきゃならないと思って

 社会貢献というか、罪滅ぼしというか

 なんかそんな思いで、この仕事にしたんです」


「彼女が早く治りますようにとか

 死んだ人が天国へ行きますようにとか

 そんな事を思いながらやってます」


「だから僕、なんとなく暗いんですかね?」


そう言って笑った。



人は必ず心の奥底に傷を抱えている。


誰もが憶測で傷の深さを計り

かわいそうとか、時が解決してくれるとか

無責任な言葉を投げかける。



私は元風俗嬢なのよ。

この世の苦悩全てを経験した。

誰もが背負えないほどの

荷物を背負って生きて来た。


つもりだった。


その不幸自慢の自惚れに

彼の背負う十字架の重さに

悦子は涙が止まらなかった。





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