第9話 ドロボウ猫

ふと悦子は目を覚ました。


何時だろう?


悦子は仕事でシティホテルに行くことがあった。

でもほとんどがビジネスに毛が生えた程度の部屋。

ぼんやり見える天井を見て思う。やっぱり違うなぁ。

こんな高価なホテルに泊まるのは初めて…


ふと隣のベッドで静かに寝ている門野を思う。

門野さんは商社のサラリーマンだった。

役職はたしか?課長?部長?だったかしら?


このホテルに泊まると聞いてから

悦子はすぐに宿泊費を調べた。

2人分の宿泊費。ディナー代。朝食。

それプラス彼が東京にくる交通費。

ざっと10万近いお金がかかるはずだ。


1回10万円のデートなんて…

彼自身、お金の工面も大変なはず。


悦子は門野の生活を心配した。


私のために無理してるんじゃないのかしら?

こんな贅沢させていただいて申し訳ないな。


生涯独りで生きていく覚悟をしていた

悦子は金銭感覚に厳しく、倹約家でもあった。


私とのお付き合いで彼に迷惑をかけないかな?


そんな事を考えて悦子は完全に目が覚めてしまった。

静かにベッドから滑り降りる。

履いていたフカフカの白いスリッパはどこで脱いだか?

裸足のまま、そろりと歩いてトイレへ行く。


バスルームの明かりを点けた。

柔らかな暖色系の光がぼんやりと部屋に漏れる。

真っ暗な部屋のテーブル当たりが照らされた。

そこには無造作に置かれた時計と財布。


ふと、気になった。そんな気はなかった。

人の財布を見るなんて…

でも,もしお財布の中が寂しかったら

こんな高級なホテルでお泊りしないように

それとなく私が仕向けなきゃ…


悦子はテーブルに向かう。

時計は SEIKO GS ?高いのかな?分からない。

財布は上品な黒の長財布。ブランドはわからない。

数万円は入っている。ゴールドカードもあった。

やっぱりお金持ちなのかしら?


いや、財布のお金がどうであれ贅沢はしないように

私も仕事が順調になれば少しお金も出せるし

負担をかけずにお付き合いできる。

こんな高級ホテルでなくてもデートはできるし

門野さんに無理はさせたくないな。

いつか割り勘の提案もしなきゃ…


悦子はそんな事を思いながらバスルームに戻る。

トイレを済まして明かりを消した。

忍び足で静かにベッドに戻ると眠りについた。



* * * * *



「…?」


バスルームから漏れるオレンジの優しい明かりで

なんとなく門野は目を覚ました。


なにしてるんだ?トイレか?

なにげに枕もとのスマホを見る。


4:07 …


でもバスルームの明かりは消えない。

トイレを流す音も聞こえない。

どうしたんだろう?体調でも悪いのかな?

そんな事を考えている間に完全に目覚めてしまった。


そのうち、悦子が静かに現れた。

明かりを消さない。なにしてるんだ?


門野はそのまま悦子を観察していた。

遮光カーテンでベッド側は真っ暗だ。

光源側の悦子からは門野の姿はわかっても

悦子からは顔の表情は読み取れない。


悦子は静かにテーブルに向かう。

そこには無造作に置いていた時計と長財布があった。


まさか?


門野は思わず声が出そうになる。

悦子は静かに長財布を押さえたまま開いた。

場所が移動しないようにしているのだろう。

すこし顔を近づけて札の確認をしている。

なにやってんだ?金を抜こうとしているのか?

門野は声を出す勇気がなかった。


悦子は財布の確認を終えるとバスルームに戻る。

その時一瞬見えた横顔は冷静なものだった。


金は抜かなかったのか?

明日オレが確認したらバレるもんな。

そうか…いくらあるか?見たかったんだ。

オレがこれから金づるとして使えるのか

その検査だったのかもしれないな。


門野はショックで吐きそうだった。

また裏切られるのか?

オレは女を見る目がないな。

虚しい結婚生活を思い出す。


トイレを流す音と共に明かりが消えた。

静かに悦子はベッドに戻る。


それからしばらくして悦子は眠ったようだ。

微かに寝息が聞こえる。


門野はスマホで時間を確認する。


5:47


眠れるはずがなかった。

信じた女に財布を確認されたのだ。

悔しい、でも何も言えない。

20歳も上のじじいが相手してもらうんだ。

金出さなきゃダメなんだ。


でも、それならストレートに

1ヵ月10万とかで愛人契約してほしい。

そう言われた方が救われた。

結局、オレとの関係は嬢と客なんだ。


オレを愛して精神的に働けなくなった?

よく考えたら、そんなわけないよ。

風俗嬢じゃん?どれだけの数、相手してんだよ。


しかし、手の込んだ台本だな。

最初、ボトルの忘れ物で餌を撒いておいて

ブログでオレに信じ込ませる。

色恋営業のすごさは見習うべきだな…


門野は堪えきれずに悲しい笑いを漏らした。

それと同時に誰かに愛されたいという思いを

この年になっても抱え続けている自分を哀れに思った。


この事は彼女には黙ったままお別れしよう。

少しでも夢見させてくれた事に感謝だな。


日が昇り始めた。

カーテンの隙間から朝日が差し込む。

部屋の全体がなんとなく見えて来た。

少し丸くなり眠る小さな背中。

なんとなく猫を連想させた。


ドロボウ猫だよ… 


あ、金取ってなかったよな。


そう思うと門野はまた笑った。





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