第8話 初めてのように

門野は橋本悦子と付き合う事になった。

そうと決まってからの話題はもっぱら彼女の就職だった。

2人は毎晩ライン電話で相談を重ねた。


接客業ではなくなるべく人目に付かない仕事に就きたい。

大丈夫とは思うが、顔が障すのは嫌だという。



門野は職種を吟味し、1つの案を提示する。

それは清掃業だった。

オフィス、ホテル、その他いろいろな所の清掃。

基本1人で作業するし、さほど会話も要らない。

マスクはコロナが終息しても着けるはずだ。


悦子は門野のアイデアに目からうろこが落ちた。

都内ならいくらでも仕事はあるだろう。

それに彼女自身、単純作業であったり

ルーティーン作業をする事自体は苦ではなかった。

なにより人とのふれあいが少ないのがいい。


元々近眼だった悦子はコンタクトを止めた。

常に眼鏡にし、肩まであった髪も短くした。

門野に履歴書、面接などのアドバイスを受け就活を始める。

何社か面接を受け、ある企業に採用される。

ビルメンテと清掃を主とする会社だった。

風俗で働いた期間はごまかしたが詮索されなかった。

個人情報にうるさくなったのと人手不足の昨今

本人にさほど問題が無い限り採用される。


ユニフォームに大きめのキャップとマスク。

顔はほとんど隠れる。

悦子は安心して働けた。


「門野さんのおかげです、ほんと、うれしい

 お給料もらったらプレゼントしますからね」


うれしそうに悦子から連絡が来る。

門野にすれば好きな人が幸せになることが

自分にとっての幸せであった。

それに、51歳の彼からすれば30歳の悦子は

娘みたいでかわいかった。


悦子が仕事に就き5か月を過ぎた頃

門野と就職お祝いデートをする事となった。


前回食事で利用した目黒区のホテル。

今回は嬢と客ではない。

門野恵一と橋本悦子という男女のデートだった。


「今日はお祝いだ!よかったね」


「門野さんのおかげです。感謝してもしきれません」


「オレは仕事のヒントっていうか

 提案しただけさ。君のがんばりだよ」


2人は幸せそうに話はしているが、はたから見れば

カップルというよりは上司と女子社員に見える。


食事をしながら悦子は夜が心配だった。

今日はここで泊まるのだ。

嫌なのではない。悦子は自分が一人の女として

普通にふるまう事ができるのかが心配だった。


もう風俗嬢ではない。金のやりとりがない夜。

タイマーが無い夜。橋本悦子としての夜。

門野さんに失礼があったらどうしよう?

やっぱり嬢だなと思われないか?そんな心配ばかりで

正直上の空での食事だった。


門野のほうも心配だった。初めての夜は客ではない夜。

彼女にどう接したらいいのだろうか?

なにも偏見はないはずなのだが、彼女に嫌な思いをさせる

そんな言動をしないようにしなきゃな…


この2人はディナーの最中にそんな心配をしていた。


ディナーが終わり、2人はエレベーターで部屋へ向かう。

手をつなぐでもなく、腕を組むでもない微妙な距離。

夫婦でもない、恋人でもない、風俗嬢と客でもない。

お互いに気遣いながらなんとかしようとする姿だった。


部屋に入り、悦子は恥ずかしそうに部屋を見回す。

なんとなくバツが悪そうに2人はベッドわきのソファへ。


どうしたらいいんだろう?悦子は動けなかった。

料金説明もタイマーセットもしなくていいのだ。

普通にしなきゃ…

え?でも?普通ってなに?

恋愛をしていた頃の記憶を必死で探った。


門野も悦子の葛藤を傍で感じていた。

オレはどうすればいいんだ?

本当にオレの事が好きで来てくれたんだろうか?

まさか?これも個人的な仕事なんだろうか?

自分に自信が無いのと、嫁と嫌な別れ方をしたので

未だに女性に対しての猜疑心が拭えない。


でもだんまりを決め込んで心配させてもいけない。

門野は正直に今の気持ちを話すことにした。


「あ、あのさ、えっと悦…子さん」


「呼び捨てしてください、緊張します」


「じゃあ、悦っちゃん…」


さっきまで食事で恋人気分だったのに

2人だけになるとガチガチだ。


門野は今の気持ちを素直に話す事にした。


自分は51のじいさんだ。君のような若い子に合わない。

でも、今独りで寂しくてつい君の優しさにしがみ付いた。

こうして会ってもらって感謝している。

でも、いつ?お別れが来てもその時はすぐに消える。

好きな人ができたらすぐ教えてほしい。

迷惑にならないようにするから、その日まで傍に居て欲しい。


悦子は愕然とした。

こうしてお付き合いをしようと決めた人は

いきなり、お別れの時を覚悟しているという。


そんな事を言わないでください、私も独りなんです。

せっかく私を受け止めてくれる人に会えたのに。

私のほうこそ、こんな女ですが傍においてください。


さすがに過去の傷は話せずにいたが精一杯思いを伝えた。



「こんなじじいでほんとにいいの?」


「元嬢でも本当に愛してくださいますか?」



懸命に働きながらも嫁に愛されることなく別れた51歳の男。


愛した男に裏切られ、故郷を追われ独り生きる30歳の女。



初めての出会いから約1年が過ぎようとしていた。


その夜、2人はまるで初めてのように重なり合った。




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