第5話 さらば妹

門野とのデートが実現した。


場所は目黒区の外資系高級ホテル。

アキがここに来るのは初めてだった。


このホテルはロビーに豪華な階段がある。

その前で7時に待ち合わせだった。


ホテルから少し離れた場所で車から降ろされる。

今日のためのワンピース、バッグが眩しい。


ドキドキしながら豪華な正面玄関に着いた。

ベルボーイが両脇に恭しく立っている。

俯き加減で通る。悲しい習性だった。


ダークブルーの大理石の床。

アンピール様式の豪華なロビーにドキドキする。

階段を見つける。その傍らに門野が立っていた。

ダンディなスーツ姿。やっぱり素敵だな…

初めて会った日が蘇る。


「お~アキちゃん?ひさしぶり

っていうか、こんなにキレイだった?」


アキの緊張は一気にほぐれた。


門野はニコニコしながらポケットから

スプレーボトルを取り出した。

あの日の忘れ物だ。


「あ、ありがとうございます。

 こんなの捨ててもらってもよかったんですよ」


「そりゃ駄目さ、君のだもん。じゃあ、行こうか?」


やっぱり誠実な人だな。

アキは宝物のようにボトルをバッグに仕舞った。


レストランは19F。

タワーが見える窓際の席だった。

豪華な料理と上質な空間。

アキはいつの間にか仕事を忘れていた。


デザートが終わりコーヒーを飲みつつ門野が言った。


「今日はありがとう。さ、そろそろ時間かな?」


その切り替えが悲しかった。やっぱりこれは仕事なんだ。

さっきまであれほど楽しそうに会話を交わしていたのに

アキは現実に引き戻されたショックを見せまいと気を張った。


1Fのロビーに戻る。まだ少し時間がある。

ソファに座って時計を見る。あと15分。

アキは思った。離れたくない。

でも門野に時間延長は望めなかった。

そんな事を言えば営業と思われる。


アキは仕事を恨んだ。何を言っても信じてもらえない。

でも門野に会いたかった事、今日を心待ちにしていた事。

それだけは伝えたかった。信じてほしかった。



「門野さん…」


急にこみ上げる。


「おいおい、急にどうしたんだい?」


「信じてもらえないと思うけど、うれしかったんです

 なんか、お別れが嫌で、ごめんなさい」


「おじいさんをからかったらダメだよ~」


門野は笑いながら言った。


「さ、時間だよ、今日はありがとう」


門野は笑顔で別れを告げた。


アキは思わず手をとった。


「また、お会いできますか?」


門野は答えずにその手を拒否した。


え?


身体の中を冷たいモノが走る。


「門野さん?」


嫌われた?と戸惑うアキに言った。


「さ、シンデレラが帰る時間だ」


「また、来てくれますか?」


「うん、メールするよ」


そう言うと門野はサッと立ち上がり

ソファから少し離れた。

その態度にアキは観念した。


「ありがとうございました」


お辞儀をして正面玄関に向かう。

途中、振り向いたが、門野の姿はもうなかった。


見送ってもらえないんだ…

所詮、嬢だもん。これでいいのよ。

門野さんはご飯のお相手に私を呼んだだけ。

タダで夕飯ラッキー。何度も言い聞かせた。

懸命に泣くまいと努めた。


辛うじて平静を装い店に戻る。

ソファに座りいつも通りメールを確認する。

受信トレイ (1) 門野だった。



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アキちゃん、すてきな時間をありがとう。

帰り際、そっけない冷たい態度をとってごめんね。

今日のデート、仕事だと思えなくてヤバかった。

下手にイチャイチャしたら、ブレーキ外れて

未練がましく君にすがって嫌な思いをさせそうで

お別れのショックを少しでも減らしたかったから。

それで嫌な態度を取ってごめんよ。


ロビーでの君は本当に愛しい存在だった。

君の手を離したくなかったよ。

あなたに惚れたオヤジをお許しください。

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あの態度は自分へのクールダウンだった。

と、同時にアキが心を切り替えるために

わざと取った態度だったのだ。


最後の3行に泣きながら返信した。


私の目に狂いはなかった。

門野さんは私を風俗嬢ではなく

一人の女としてみている。

そう確信した。



* * *



デートから何日かして

アキに体調の変化が表れた。


仕事ができない。恐ろしい嫌悪感が襲う。

不眠、情緒不安定、下痢が止まらない。

ついには蕁麻疹が出てしまう。

当然働くことはできなくなった。


店からは長期休暇を勧められた。


病院での診断は「ストレス性適応障害」


店からその事を聞いた栞からすぐ電話が来た。


アキは栞に会い、門野とのデートから

体調不良になった事を伝えた。



「アキちゃん、引退だよ」


「え?引退?」


「うん、心と身体がついて行けないんだよ。

 もう仕事はできないよ。

 彼に惚れちゃったんだ、しかたないよ」


そうかもしれない。

死ぬほど嫌だった仕事。

ついに心が悲鳴をあげた。


「かわいい妹よ、さらばじゃ」


栞はそう言ってアキを抱きしめた。


アキは栞にしがみついて泣いた。

それは仕事を辞める悲しみと同時に

栞というたった1人の友が去るのではないか

という恐れからだった。




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