第14話 もう一つの正義

 この世界の歴史が物語っていた。

 生態系の頂点にあるのは魔族であると。

 人間は豚や牛同様、餌にすぎなかった。それどころか、豚や牛の世話までして、自分達は放っておけば勝手に群れて勝手に増える、便利な餌だ。

 確かに豚や牛ほど肉が付かないし、脂の乗りも今一だが、それでも若い女は柔らかくて臭みが無く、骨まで美味いご馳走だった。それに、たまにいる魔力持ちを食えば魔力の補給にもなった。

 ところが、だ。

喰らっても喰らっても増え続ける旺盛な繁殖力を持つ人間は、やがて数の力で魔族を圧倒するようになる。そして、喰うわけでも犯すわけでもないのに、ただひたすら殺すことを目的に魔物を襲うようになる。

 魔族が人間を襲うのには、歴とした理由があった。喰うためと、メスにありつけない発情期の若いオスが吐け口にする時だけだ。

 だが、人間は違う。魔物だけでなく、他の動物に対しても、殺し自体を楽しんでいるとしか考えられない行動を取る。

 人間に捕らえられて九死に一生を得て逃げ帰ったゴブリンが言うには、人間は自分の住処に、殺したアカシカやバッファローの首の剥製と共に、美しいメスのハーピーやセイレーンの剥製も飾っていたという。

 この話を聞いた魔物で、人間の野蛮さと極悪さに身を震わせない者はいなかった。人間は娯楽で生き物を殺し、死骸を辱める無慈悲な種族なのだ。

 魔族にとって人間とは、理解を越えた『悪魔』そのものといえた。


 そんな時代が数千年続き、魔族の減少が抜き差しならぬ状態になった時、時の族長である魔王ソドムは、魔族の命運を賭けた戰いを決意する。

 魔族の総力を結集し、人間の国の首都にあるシャルロット城を一点集中で落とす作戦に出たのである。

 まずは主力となる戦力を城から引き離すため、地方にある人間の村の近くに、わざと目立つようにゴブリンの集落を作った。そして、家畜を盗ませたり、女を襲わせたりした。

 ダメ押しにオーガの投入だ。

オーガは見た目がマッチョで恐ろしく、人間を好んで喰うので、村は大変なパニックになった。

 国王はすぐに討伐隊を編成し、自らの陣頭指揮で出陣する。

 次期国王となる王子も同行した。魔族との戦闘法、軍の指揮命令、王家伝承魔法の使いどころといった実戦でしか経験できない事を学ぶ良い機会だったからだ。

 対してゴブリンとオーガの魔族チームは無理に戦わずに後退し、討伐隊を城から引き離す作戦に出る。

 この時、城の防衛力は通常時の半分以下、魔族の作戦は成功したも同然だった。

 満を持して、魔族の主戦力は王国の首都に攻め入り、シャルロット城を目指す。

 城下の都市に入った魔物は、建物に火を放った。火事で混乱を拡大させる狙いだ。

 結果、主力部隊を欠いた王国軍に成す術は無かった。

 一般的に知能が低いといわれる魔物である。こんな戦術をもって攻めてくるとは、人間の誰も思っていなかったのだ。

 この魔物とは思えぬ巧妙な作戦を考案し、指揮した魔物こそ、副族長フラーワであった。


 フラーワの種族はセイレーンだ。

セイレーンは、上半身は美しい人間の女、下半身は鳥の姿をしている。

 普段は海辺に生息し、この世のものとは思えぬ美しい歌声で人間の男を誘き寄せた。そして、歌声以上に美しい顔と乳房で虜にすると、おぞましい鳥の下半身でまぐわい、果てて抵抗する力を失った男を喰らうのだった。

 空を飛ぶ意外にたいした魔力も無く、力も弱いセイレーンは、策略を持って生き延びるしかなかった。

 そんな魔物としては知能の高いセイレーンだったが、その中でもフラーワはズバ抜けていたといえる。力と獰猛さが何よりも価値があるとされる魔物の世界において、フラーワは知恵だけで副族長まで登り詰めた稀有な存在だった。

 そのフラーワが今回の作戦において、魔物達に下した命令がもう一つあった。

「狙うは王妃とその二人の王女、その他大勢には脇目を振るな。こ奴らを爪の先まで残さず喰らい尽くせ!」

 もちろん、空腹に耐え切れず、目の前の人間に喰らい付いた魔物もいただろう。しかし、どうせ喰うなら魔力無しの平民より、魔力持ちの王侯貴族の方がいいに決まっている。

 フラーワの命令は概ね守られ、魔物は我先にと王妃と王女を捜して城内を暴れまわった。

 ところが、王妃と王女は城のどこかにある隠し部屋にでも身を潜めているのか、中々捜し出す事ができない。しかし、それも時間の問題だった。見つからなければ、見つかるまで城を破壊するまでの話である。

 そんな中、第一王女とその専属騎士が、まるで魔物達をおびき寄せるかのように姿を現す。

 いや、王妃と幼い妹を救うための囮なのだろうが、飢えも限界に達していた魔物達は一斉に襲い掛かった。

 それら荒れ狂う魔物を、専属騎士がバッサバッサと斬り捨てる。王女の愛を受けた騎士は、並の魔物では束になっても敵わぬほどの力を発揮するのだ。

 だが、所詮は多勢に無勢、騎士は徐々に押されて、第一王女と共に塔の頂上へと追い詰められる。

 同族の屍を踏み越えて塔に上がって来た魔物達に囲まれ、遂に王女と騎士は逃げ場を失った。

「チェックメイトじゃ!」

 その様子を空から見ていたフラーワは叫んだ。

 これで世界は魔族のものへと戻る。正しい生態系へと回帰するのだ。

 そもそも人間は、魔族に喰われる為に存在すべきなのだ。繁殖力が旺盛な種は、喰われる事で適度に間引かれなければ、生態系は崩壊する。

 世界の人間の数が80億とかになればどうなるか、考えるまでもないことだ。人間は人間同士で殺し合い、資源を掘り尽くし、環境破壊の限りを尽くして、この世界を地獄へと変えるだろう。

 その禁忌を人間は犯した。喰われる事を拒否して生態系を乱すばかりか、より強い種を自然の摂理に反する方法で殺して楽しむ事まで覚えた。

 喰うのならまだ許そう。だが、喰いもしないのに生き物を殺すなど、許される筈がない。

 だが、それも今日までだ。

 王女を喰らいさえすれば、もう人間の王も王の軍隊も怖くない。

 自分も塔の真上から急降下すれば肉片の一切れぐらいあり付けるか、などと考えていたその時だった。

 王女と騎士が抱き合ったと思った瞬間、目がくらむほどの閃光が放たれた。フラーワは、空中で視力が回復するのをしばらく待たねばならなかった。

 ただ、パラパラという乾いた音と手下の魔物達の悲鳴だけが聞こえていた。

「なんじゃ! いったい何があったんじゃ!」

 ようやく視力が戻った時、フラーワの目に映ったのは信じがたい光景だった。

 騎士は黒い筒状の物を脇に挟み、その先端から小さな光のつぶてを連射している。光のつぶてが魔物の体内に血しぶきを上げながらめり込むと、魔物は一瞬で力を失いバタバタと倒れていく。

そして、倒れた魔物は、後にいた仲間を道連れに塔の上から転げ落ちていった。

よく見ると、騎士も王女も見たことのない薄汚れてゴテゴテとした衣装に変わっている。

「な、なんじゃアレは!」

 オークもゴブリンも、塔の上の魔物が一掃されるのはアッと言う間だった。

 これから塔の上によじ登ろうとしていた魔物は、仲間の惨状を見て慌てて逃げ出す。そして、塔を登ってきた連中とぶつかり合い、多くの魔物が螺旋階段から足を踏み外して落下していった。

 恐れおののいたフラーワは、一目散に魔王城へと逃げ帰る。

 そして、魔王ソドムに自分が見た惨劇を報告した。

 ソドムはマンティコアだ。身体は巨大なライオンだが、背中にコウモリの様な羽が生え、尻尾はサソリの形で先端に毒針が付いている。

 短時間であれば空も飛べて、まさに最強の魔物だった。

 そのソドムが、怒りに咆哮する。

「ガオーッ!」

 城全体がビリビリと震え、あまりの迫力にフラーワは鳥のようにプリッとフンを漏らした。

「アラッ! 手前とした事が、魔王の御前で何たる失礼を。申し訳ございません!」

 フラーワは、慌ててフンの始末をする。

 だが、鳥の下半身を持つフラーワがお漏らしするのはいつものこと、ソドムは構わずにまくし立てた。

「おのれ、極悪非道な人間どもめ! 弱肉強食という自然の摂理に逆らいおって!」

 ところが、その巨体がみるみる縮んでいく。

 そして、長く真っ直ぐな黒髪が美しい、人間の青年の姿へと変わった。

「ぁぁ……ソドム様」

 人間体となったソドムの姿を見たフラーワが、頬を桜色に染めて呟く。人間同様の上半身を持つフラーワは、美的感覚も人間に近い。

 フラーワがソドムに忠誠を誓うのも、強さへの畏怖というより、人間体になった時の美しさへの裏心といえた。

 その美しきソドムが、頭を抱えてうずくまる。

「ああ、ダメだ。余はもうおしまいだ。魔族は全滅だぁ!」

 人間の医者であれば躁うつ病と診断したであろうほど、ソドムの感情の起伏は激しい。

 その原因が、実は母親が人間であるという事実に起因しているのは明らかだった。

 ソドムの父親も魔族の王として讃えられたが、ある人間の村へ食事に行った時に、生け贄として差し出された娘を愛してしまい、その娘に妊ませた子がソドムだったのだ。

 ソドムに人間の血が半分混じっているという事は、副族長であるフラーワだけが知る極秘事項だったが、そのソドムがうつ状態になると変身する人間体に恋している事も、フラーワ自身だけが知る秘密だった。

 玉座の上で膝を抱えて小さくなる魔王ソドムを、フラーワはまるで母親が幼子を抱くように優しく包み込む。

「大丈夫です。このフラーワが付いております。魔族はそう簡単には滅びません」

「だが、間もなく王女の騎士や人間の王が攻めてくるであろう。もう余の盾となる者は残っておらんではないか」

「わたくしめが、このわたくしめが命に代えましても……」

「フラーワが一瞬早く死ぬだけだ。次の瞬間には、その光のつぶてとやらが余を貫いておる」

「まあ、確かに。あやつら、あれ程の武器をいったいどこから……」

 ソドムはしばらく考え込んでいたが、急に顔を上げた。

「そうか……その王女と騎士、一瞬で衣服まで変わったと言っておったな」

「その通りです」

「何と思い切った事を……それは、転生魔法に違いない」

「転生魔法?」

「そうだ。この世からすれば一瞬だが、あやつらは異世界で別の人生を歩みながら、一発逆転の策を練っておったのだ」

 そして打開策を思いついたのか、ソドムの身体が再び巨大なマンティコアの姿へと戻った。

「余も転生魔法なら使える。しかも、人間より正確にな。あやつらの様に行き当たりばったりではないぞ。時間も場所も選択できるのだ」

 巨大化したソドムは、はるか上からフラーワを見下ろして言った。

「だが、自分自身を転生させる事はできぬ。フラーワよ、今からそなたを王女と騎士が行った異世界の、王女と騎士が戻って来る前の時間へと送る。そして、あやつらが光のつぶてを連射する武器を手中とする前に抹殺するのだ!」

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