第13話 謎の転校生

 朝の柔らかな光の中、賢と誠司は花壇前のベンチに座り、甲斐甲斐しく草花の世話をする夏輝とイノシシ先輩達を手伝う訳でもなく、ただボンヤリと眺めていた。

「誠司、上見てみ。校舎の三階」

「んあ……宇野じゃん。怖い顔でこっち見てんな。何でだ?」

「イノシシ先輩達が夏輝に悪さしないように見張ってんだろ。なんたって夏輝の騎士様だからな」

「悪さって、夏輝の方がぜんぜん強いじゃん」

「そうでもないべ。今の夏輝に人は殴れんし、殴れんから宇野が守ってんだろ」

「そういや昨日、コンカフェ出てすぐ、オマエ、後ろから宇野に殴りかかったろ。そしたらアイツ、いつの間にか振り返っててさ、オマエのゲンコツ受け止めてた。オレさ、アイツの動き見えなかったんだよね。眼が悪くなったんかな?」

「心配すんな。オレもだよ。ゲームの雑なアニメーションみたいに、途中動作無しに振り返ってやがった。異常なのは、宇野のスピードの方さ」

「チートってやつか。寸止め空手って凄いんだな。さすがに賢も認めるだろ?」

「いや、あれは夏輝が近くにいたからだ」

「へ?」

「イノシシ先輩が夏輝に決闘を迫った時、オレが近くにいた話したろ。あの時、間に入ってイノシシ先輩と闘ったのが宇野なんだけど、やっぱ昨日みたいな眼に見えない動きしてたんだよ」

「寸止めパンチでイノシシ先輩に負けを認めさせたってヤツだな。やっぱ寸止め空手が凄いんじゃん」

「最後まで聞けって。宇野をコンカフェに誘った時な、オレは正面からアイツに寸止めパンチしたんだ。アイツさ、たいして速くもないオレのパンチに手も足も出なかった。後からパンチしても反応するヤツがだよ」

「なるほど。夏輝が近くいるとチート能力が発揮されると、そう推測している訳か。つまり、昨日の姫様と騎士の話は……」

「ああ、多分コンセプト上の設定なんかじゃなく、事実。二人は異世界からの転生者……なのか?」

「オレが知るか」

「……そりゃそうだ」

 しばらく沈黙が続いたあと、直之が言った。

「そういや今日、季節外れの転校生が来るな」

「ああ、そうだった。まあ、色んな家庭の事情があるから」

「手続きに来てたのを見たって女子が言うには、えらくカワイイ女らしいぞ」

「女同士のカワイイはあてにならんよ」

「そうか? オレは期待するけどな」

 いつの間には花壇の手入れは終わり、中庭には賢と誠司だけになっていた。

 誠司は立ち上がって尻をはたく。

「さて、オレらも戻るか」

「ああ……」

「しけたツラだな。どうしたよ?」

「なんて言えばいいのか……」

 賢は誠司に手を引かれて立ち上がる。

 平凡な日常の中に潜む非日常、それが徐々に肥大化しているような違和感。

 それらを賢は、言葉で表すことができなかった。



 確かにカワイイ顔の転校生だった。

 それは誠司も認める。

 だが、誠司が期待していたカワイさではなかった。

 子供っぽいというか、ロリロリしいというか……。

 140センチに満たない身長、まるで膨らみの無い胸。スレンダーというより痩せ過ぎているだけの身体。

 なのに、手を腰に態度だけは太々しい。

「麻倉蘭子だ。よろしく頼むぞ」

 教室のいたる所で失笑が漏れたが、本人は気にする様子もない。

 誠司が夏輝の方を向いて言った。

「高校って飛び級できたっけ?」

「さあ、聞いたことないけど」

 40代の女性教師が蘭子に指示する。

「取り敢えず、今日は一番後の席に座ってもらうわね。あそこの空いてる席、新田君の隣。黒板が見えればいいけど」

「問題無い。眼は良いほうだ」

 教師に対しても、偉そうな態度は変わらない。

「そうじゃなくて、上背が……」

 そう言いかけて、教師は言葉を飲み込んだ。

 蘭子が恐ろしい顔で睨んだからだ。

「……で、では、席について。新田君、麻倉さんに色々教えてあげるように」

 夏輝は立ち上がって返事をする。

「はい!」

 夏輝自身は気付いていなかったが、夏輝の変わりっぷりに一番戸惑っていたのは、実は教師達だった。

 元気の良い夏輝の返事に、担任の教師は思わず一歩退いてしまう。

「え、ええ。よろしく頼むわ」

 夏輝は立ったまま、蘭子が歩いて来るのを待った。表情に喜びが溢れている。

 マリアグレースは可愛いもの好きだった。当然、夏輝も小さくて可愛いものに強く惹かれる。

 蘭子は夏輝にとって、どストライクな対象だったのだ。

「麻倉さん。わた……オレ、新田っていいます。これからよろしくね」

 だが蘭子は、敵対心丸出しの目で夏輝を見るとこう言った。

「我に気安く話し掛けるでない。下賤な人間め」

 すると、教室の至る所から声が上がる。

「アイツ、中二病だ」

「ホントだ、初めて見た」

「高二で中二病はダメでしょ」

「でも、なんか必死でカワイイ」

 教師は蘭子をたしなめる。

「麻倉さん、照れ隠しでもそんなこと言ってはダメよ」

「照れ隠しなどではないわ!」

「今日は一日、教科書を見せてもらわないといけないのに」

「あ……」

「ほら、新田君にちゃんと謝って」

「……すまぬ……今日は教科書を見せてください……」

 これくらいのことで目に涙を溜めて俯く蘭子に、夏輝の胸はキュンとくる。

「いいよ、いいよ。ぜんぜん気にしてないから」

 蘭子が席に着くと、夏輝も座った。

「後で校内も案内するね」

 そう言うと、蘭子は唇を尖らせたまま黙って頷いた。



 休み時間、直之が小声で話し掛けてきた。

「姫様……」

「学校で姫様はダメよ」

「夏輝様」

「せめて君と。私も直之君と呼びますから」

「では夏輝君、あの転校生は変です。何か企んでいます」

「そうね、なぜだか悪意は持たれたかも。でも、あれはネコが始めての人を警戒するのと同じだと思うわ」

「ネコ? あの、シャーって威嚇するヤツですか?」

「そう、それと同じ。だから、慣れたら自分からおねだりしてくるわよ、きっと」

「確かに小動物的ではありますが……自分は彼女が横を通ると、身体が緊張して身構えてしまいました」

「まさか、直之君ってロリコ……」

「違います。同性愛の資質はあったかもしれませんが」

「同性愛……そのお相手って、もしかして私?」

 直之君は後を向き、もう返事をしなかった。

 ただ、真っ赤になった両耳だけが、真実を物語っていた。



 校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下、その最上階には屋根が無く、屋上が開放されていないこの高校では一番空に近い場所だった。

「最後はここ、ボクが一番好きな場所だよ。ほら、遠くに小さく海が見えるでしょ。あまり人が通らないし、風が気持ちいいの。放課後はよく吹奏楽の人が練習しているよ」

 蘭子は子犬のように駆け回る。

「おお、本当に良き場所だな。街が一望できる。海がもっと見えれば良いのに、あのビルが邪魔だ。こんなに良い場所なのに、なぜ誰も来んのだ?」

「ここを通るには四階から更に階段を上がらないといけないし、各階から校舎間の行き来はできるから。それと、七不思議のせいかしら」

「好きだぞ、七不思議。この学校にもあるのだな」

「ええ。昔々、仲むつまじいカップルがいて、女子生徒が妊娠してしまうの。周囲は二人を引き離そうとして、絶望した二人はここから飛び降りて自殺してしまう。その二人がいた教室が、こっちの校舎とあっちの校舎よ」

「なるほど、もう話は見えたぞ。丑三つ時になると、教室の地縛霊となった二人が、この渡り廊下で落ち合うという訳だな」

「色んなバージョンがあるけど、大体そんな話ね」

「肝試しに使えそうじゃな。しかしまあ、誰でも思い付きそうな話だわい」

「学校の七不思議なんて、みんなそうでしょう。だけど、文化祭の最柊日には花火が上がって、ここはカップルで一杯になるわ。だから、この渡り廊下をみんな『天の川』と呼ぶの」

「七夕伝説になぞっているのだろうが、やはり人間は愚かよ、天の川は織姫と彦星を引き離すもの。名付けるのであれば、カササギの群れの羽を踏みにじって織姫と彦星は再会するのだから、『カササギ橋』とでもすべきじゃ」

「まあ、蘭子ちゃんは物知りね」

「それにしても良い話を聞いた。そうか、ここから落ちて死んだのか」

 蘭子の目が殺意で光ったのを夏輝は気が付かない。

 遠くの海を見つめる夏輝の背後に音も無く近くと、蘭子はその背中を思い切り押した。

 それと、高速で駆け寄った直之が夏輝君の腕を掴んだのは、ほぼ同時だった。

 だが、ケンカで鍛えた夏輝の体幹は、体重30キロ程度の蘭子が押したくらいではビクともせず、逆に蘭子が後方に吹き飛ばされてしまった。

「フギャッ!」

 ゴロンと転がった蘭子に驚く夏輝と直之。

 夏輝は蘭子を抱き起こす。

「蘭子ちゃん! 大丈夫? いったい何が……」

 そして直之を睨んだ。

「……まさか、こんな小さな子にヒドいことを」

 直之は両手を振り回し、全身で否定する。

「姫様、誤解です! 私は、その娘が姫様を突き落とそうとしたので、姫様を助けようと腕を掴んだだけで」

「ということは……蘭子ちゃんが転倒したのは、冗談に付き合わなかった私のせい……」

「お言葉ですが、姫様。先程の娘の目、マジもマジ、本気の殺意を持つ者の目で間違いございません」

 だが、もう夏輝に直之の言葉は聞こえない。

 蘭子の制服についた埃を必死ではたく。

「ごめんなさい。ケガはしていないかしら。念の為に保健室へ……」

 蘭子の目から、大粒の涙がボトボトと溢れ落ちた。

 そして、夏輝の手を振り払う。

「もう我に構うな!」

「あっ、蘭子ちゃん!」

 蘭子は駆け出し、それを追おうとする夏輝を直之が止めた。

「姫様、今は一人にした方が良いかと」

 夏輝は、蘭子の後ろ姿を心配そうに見送る。

 一方蘭子は、他の生徒達が驚いて廊下をあける中を、泣きじゃくりながら走り続けた。

「チクショー! チクショー! なんでこんな貧弱な身体に転生してしまったんじゃ! 我は……我は……魔族の副族長じゃというのに!」

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