第11話 幻の少女

 帰り際、レジには会計のやり方をベテランの部員に習う美少女の姿があった。

 三人を見ると、満面の笑みを浮かべた。

「ありがとうございました。ぜひ、またお越しくださいね」

 会計は三人別々、全員現金で支払う。

 ヤマちゃんが、お釣りを受け取りながら言った。

「ピアノ、とってもステキでした。絶対、また聞きに来ます」

 タカちゃんも負けじと話しかける。

「素晴らしい曲ですね。音楽を聴いて涙が出るなんて、初めてですよ」

 美少女は照れくさそうに舌を出した。

「テヘ」

 寛治も何か言わねばと焦る。

「あの……これオレの電話番号です。客が少ない日があったら電話してください。飛んで来るんで」

 ヤマちゃんはアキレ顔だ。

「金田君、だからキャバクラじゃないって。そんな事しなくても、ここは繁盛してるから」

「あ、そっか。でもオレ、早乙女さんの為なら何でもやるから、何でも言ってください」

 これにはさすがに美少女も引くかと思ったヤマちゃんとタカちゃんだが、予想に反して嬉しそうだ。

「そうですか? じゃあ早速お願いしちゃおっかな。明日の朝、花壇の水やりとか手伝って頂けますか?」

「もちろんです」

「朝早いですよ」

「なんの、それくらい」

「では明日の朝7時に、学校の花壇の前で」

 カフェを出ると、サラリーマンの帰宅ラッシュの時間帯だった。

 三人は人波を避けて路地に入る。

 しばらく考え込んでいた寛治が二人に言った。

「なあ。アレ、どういう意味だと思う?」

 タカちゃんは、考えながら慎重に答える。

「やっぱり『設定』かなぁ……だけど、花壇の水やりとか待ち合わせの時間とか、妙に具体的だよね。聞けばよかったのに。どこの花壇か」

「だってよ、深掘りしないのがコンカフェのお約束かと思ってさ」

 ヤマちゃんは腕を組みながら歩いた。

「もしかして、オレらの学校の生徒とか。ほら、一人いたじゃん、お嬢様に擬態した二年のギャルが」

 タカちゃんはそれに反論する。

「でもさあ、あれ程の美人が学校にいたら、知らない筈ネェわ」

「わからんよ。ドラマとかでよくあるじゃん。普段は陰キャなのに、メガネはずして髪ほどいたら突然美人、みたいな」

 その意見に寛治は首を振る。

「確かによくあるけど、やっぱ苦しい設定だよな。もともと美人の女優さんが、メガネと髪形だけでブスにはならんて」

 それに同意するタカちゃん。

「そうだよな。擬態たって限度がある。仮面を被るなら別だけど」

「でもまあ……オレは一応約束の時間に、ウチの高校の花壇に行ってみるわ。言い出しっぺだし、他の花壇なんか知らんし。二人は好きにしてええよ」



 次の日の朝、寛治が学校へ向かって歩いていると、一台のバスが寛治を追い越してバス停で止まった。

 降りてきたのは、ヤマちゃんとタカちゃんだった。

「オッス。結局、二人とも来たのか」

「ウイッス。いやさ、あの後色々考えたら、なんかどこかで会ってるような気がしてきてさ。早乙女さんに」

「えっ、ヤマちゃんも? 実はオレもなんだよ」

「タカちゃんもそうなんだって。なあタカちゃん」

 タカちゃんは難しい顔をして頷いた。

 学校へと続く緩やかな坂を登って行く。

 校門を抜けると、真っ直ぐに中庭へと向かった。

「誰かいるかな?」とタカちゃん。

「どうだろ……」と寛治は答える。

 緊張で口数が少なくなる。

 中庭へ出たとき、そこにいたのは花壇に水をやる可憐な女子学生……ではなく、男子の学生服を着た人物だった。

「えっ?」

 寛治が足を止め、二人もほぼ同時に足を止めた。

 三人に気付いた男子学生が振り返る。

 寛治の息が止まった。

――ウソだろ……。

 男子学生は。ジョウロを手に駆け寄ってくる。

「おはようございます! 本当に来てくれたんですね」

 そして、満面の笑みを浮かべた。その笑顔が、昨日の美少女の笑顔と完全に重なる。

 寛治は絞り出すように言った。

「早乙女……さん?」

「ヤダなぁ、先輩。その名前はバイト先のものなので、学校ではいつも通り『新田』と呼んでください」

 気付く訳がない。

自分をボコボコにした狂犬のような男と、カフェで働く可憐な美少女が同一人物だったとは。

「昨日はありがとうございました……実は少しだけ不安もあったんです。女装してコンカフェの店員とかしてたら、先輩方引かないかなぁって。でも、お店ではちゃんとコンセプト通りにお嬢様の女子学生として接してくれて、凄く嬉しかったです。あの、昔色々あったけど、やっぱり先輩方は優しいなって……」

 照れくさそうに舌を出す仕草は、間違いなく昨日の美少女と同じである。

 そして、三人の顔を見ると、突然笑いだした。

「クスクス、先輩方。三人並んで口をパクパク開けて、エサを待ってる公園の鯉みたいですよ」



「おはよ。夏輝は?」

 いつもように、メグがまるで自分の教室かにように賢のクラスに入ってくると、そのまま賢の膝の上に腰を下ろした。

 誠司が注意する。

「またパンツ見えてっぞ、せめて足閉じれや。夏輝ならまだ来てネェな。で、どうだったよ? アイツの面接」

 メグは足を閉じずに、スカートを上から押さえてパンツを隠す。

「それがさ、面接後に制服の試着したら、とんでもない美少女ができあがってさ。そのまま店に出たのよ」

「マジかよ! ケッサクだな。今度絶対見に行くわ。いや、今日行くか!」

「今日はシフト入ってないよ。明日なら夏輝も私も入ってる」

「じゃあ明日行こう。な、賢」

「おうよ、腹抱えて笑ってやろうぜ」

 メグは二人を申し訳なさそうに見た。

「かわいそうだけど、笑えないと思うよ。笑うなんてレベルじゃないんだって。麗し過ぎて」

「やっぱりそうなん?」

 賢は、少しそんな気がしていた。

「マジ、そうなんだって。昨日はイノシシ軍団の先輩三人が来ちゃって、どうなるかと思ったけど、女装した夏輝を前に借りてきたネコ状態よ。ケンカに負けたからとかじゃなく、美しさに圧倒された感じね。それとピアノの演奏」

 賢と誠司が同時に言った。

「ピアノ? 誰が?」

「夏輝よ。驚いたわぁ、突然弾き出すんだもん。プロ並よ」

 誠司が賢を見て尋ねる。

「アイツ、人を殴るほかに、そんな特技があったのか?」

「オマエが知らん事はオレも知らんよ」

 沈黙が続いていた時、廊下から夏輝の声が聞こえてきた。

「先輩、やめてください。後輩が先輩に鞄を持たせるなんて、おかしいですから」

「いやいや。夏輝さんには、これから園芸の事を色々教えてもらわないといけないですから。鞄くらいお持ちしますよ」

 教室の前方で、ガタンと誰かが勢いよく立ち上がる音がした。

 直之だった。

 倍速再生された動画のようなスピードで、教室の入口へと向かう。

 そして、ドアを開けたイノシシ先輩と鉢合わせした。

 しばしの睨み合いの後、イノシシ先輩は直之を押し退けて教室へ入った。後から、手下の先輩二人も入ってくる。

 最後に、夏輝が恥ずかしそうに入って来た。

 賢とメグと誠司が呆然と見守るなか、先輩二人は賢の隣の夏輝の席まで来ると、ウエットティシュで机と椅子を拭いた。それから、イノシシ先輩が机の上に夏輝の鞄を置く。

 その様子を見ていたメグに、イノシシ先輩が気付いた。

「おっ、昨日はお疲れ。優等生キャラ、なかなか良かったぜ」

「ども……」

「それと、パンツが見えてるから気ぃ付けな」

 メグは慌ててスカートを押さえる。

「じゃあ夏輝さん、また明日」

「また明日。今日はありがとうございました」

 イノシシ先輩達三人が出て行った後も、教室は沈黙が続いた。

 夏輝は、居心地悪そうに自分の椅子に座る。

 ただ、直之だけがイノシシ先輩が出て行った方を厳しい眼差しで睨み付けているのを、賢は見逃さなかった。

――こりゃあ、やっかいな事になりそうだな。

 その予感には、確信に近いものがあった。

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