第8話 もう一つの名前
メグが色々と店とやり取りしていたようなので、夏輝はある程度、自分の情報が店側に伝わっていると思っていた。
だから、『フェアリー女学院カフェ部』の店長が目も口も大きく開いて固まった時、メグは肝心な事を何も伝えていないと夏輝は知ることになる。
「あの、伊集院さん。この方の制服、男性用なんですけど」
伊集院というのが、この店でのメグの源氏名らしい。ちなみに本名は鈴木だ。
「ええ、見ての通り、男ですから」
「でも、あなた、綾小路さんの代わりになる人が見つかったって」
店長は小柄でポチャっとした、かわいらしい女性だ。年齢は30台半ばと聞いていたが、高校生の中に紛れても違和感は無いだろう。事実、忙しい時にはフェアリー女学院の生徒として接客も行っていた。
「店長も先入観で人を見てますね。まず、この顔だけ見て下さい」
「……整っているわ。男にしとくのは、もったいないくらい」
「でしょ。そして体格。女性としては長身だった綾小路先輩と同じくらい、体重も筋肉と脂肪の差はあれ、大して変わらないはず。しかも先輩は貧乳だった。つまり、制服を新調しなくても、綾小路先輩のお古が流用できる訳です」
「彼に女装してお嬢様を演じてもらうのね。いいわよそれ、萌えるわぁ」
「しかも最近、物腰がお嬢様っぽいというか、貴族っぽいというか、やることなすこと品があるんです」
「最近っていうのが気になるけど、それもプラス要素ね」
「おまけに学校ではケンカ最強です。またの名を狂犬新田。どんな悪質な客が来ても、あっという間に片付けます」
「ちょっと、どんだけキャラぶっ込んでんの? でも、この界隈もガラの悪い輩が増えてね、警察に連絡しても来るのは30分後よ。来ても店の中でダラダラ話するだけだし、お客さんは怖がって帰っちゃうし、パッパと追い出せたら言うことないわ」
「じゃあ、取り敢えず着替えさせてみましょう。夏輝、ウイッグ付けたことある?」
「えっ? ウイッグ?」
「ないか。任せて、私が付けてあげるから」
こうして夏輝の面接は終わったが、本人はほぼ何も喋ることは無かった。
「……てやりたい」
「えっ? なに?」
「殺してやりたい、って言ったのよ」
「えっ? 誰を?」
「アンタよ、夏輝」
着替えが終わり、メイクを終えて出来上がったのは、メグの予想を遥かに越えた美少女だった。
「えっ? どうして」
「メグ、自分のことカワイイって思ってる。だけど、美人じゃない事も自覚してる。なのにアンタって人は……」
「イッタ!」
メグは、夏輝の二の腕の裏の敏感な所をツネった。
店長も驚いていた。
「凄いわね……綾小路さんに引けを取らない美貌だわ。彼女が抜けた穴を埋めれるかもしれない」
「でも、夏輝はピアノ弾けないし、会話も『だりぃー』とか『クソしてー』とか知性のカケラも無いし、綾小路先輩の代役にはなりませんよ」
「伊集院さん、アナタさっきと言ってる内容が逆じゃない?」
その一方で、夏輝は鏡に映る自分の姿に満足していた。
何と言っても、この制服風の衣装がいい。
制服風と聞いた時、メグが学校で着ているような極端に短いスカートと生脚を想像したが、実際は膝下のスカートと厚手の黒タイツで、心配していたスネ毛も目立たない。そう見えるようにデザインされているのだろうが、まさしくお嬢様の出で立ちである。
嬉しくなった夏輝は、鏡の前で思わずクルッと一回転してしまう。
それを見ていた店長が言った。
「どこが狂犬なの?」
せっかく着替えてメイクまでしたのだからと、お試しでフロアに立つことになった。
「大丈夫よ。今日はピアノの前で本を読んでいるだけでいいから。でも、マンガはNG。その本棚に哲学書と詩集が並んでいるから、適当に選んでね」
メグが突然吹き出した。
「プッ! 夏輝が哲学書に詩集……」
店長がそんなメグをたしなめる。
「伊集院さん。今日から彼は、ここでは早乙女さんです。良いですね」
「ああ……はい。承知致しました」
「それと早乙女さん。もう少しだけ高い声が出るかしら。無理に女声を作ったら違和感があるから、少しだけ。ごきげんよう……言ってみて」
「ごきげんよう」
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ」
「うん、いいわね。お客様から珍しくて声をかけられると思うけど、基本にっこり笑って、ごきげんよう、で済むから。客層としては、かわいい女のコを愛でて癒やされたい、そっち系の女性客が大半よ。しつこい客やクレーマーは、まず来ないから安心してね」
「はい」
「ただ、たまにキャバクラと勘違いして入ってくる酔っ払いがいたりするのよ。その時は、パッパとよろしく」
「はぁ」
「さあ、そろそろお客様が増えてくる時間よ。お手洗いなら今のうちにね」
「あ、はい」
夏輝がいそいそとトイレに向かうと、メグが店長に言った。
「店長、『お試し』でよかったんですか? やっぱり止めたいとか言い出したら、ウチの店にとって大きな損失ですよ」
「まあ、伊集院さんってば、早乙女さんに対する感情は複雑なのね」
「グッ……ついさっきまではシンプルだったんでけどね。女心なんて、そんなものでしょ」
「嫉みと憧れ、それが男ともなれば、否が応でも複雑になっちゃうか。でも大丈夫だと思うわ。お試しで入ってみて、それから断る人って、あんまりいないから。フーゾクと同じよ」
「えっ、店長ってフーゾクの経験あるんですか?」
「みんなには内緒よ。マットヘルスに二、三年。でないと、金もコネも無い私が自分の店を持つなんてできないわよ」
「なるほど……」
店長の予想外の逞しさを知るメグだった。
足が震えていた。
それに気付いたメグがからかうように言う。
「震えてんの? ヘンなの。殴り合う方がよっぽど怖いでしょうに」
「伊集院さん、私やっぱり自信ありません。今日はご勘弁頂けませんか?」
「いやいや、すっかりお嬢様に成り切ってるじゃん。いーい、常に姿勢は真っ直ぐ、行動はゆっくりと優雅に、話しかけられたら笑顔で。最初はそれだけでいいから」
店内から、二名の店員が戻ってきた。
夏輝の周りに集まってくる。
「なになに、綾小路さんの代わりのコ?」
「背が高くてステキ。伊集院さんのお友達なの?」
メグは少し自慢気に夏輝を紹介する。
「そう、私のクラスメート。綾小路先輩の代役候補だよ。コンカフェは始めてなんで、色々教えてあげてね。ホラ、アンタも挨拶」
「早乙女と申します。よろしくお願い致します」
メグに言われた通り、真っ直ぐな姿勢のまま、ゆっくりと会釈する。
それだけで周りを圧倒してしまう。
「凄い……もしかして、本物のお嬢様?」
一人が言うと、もう一人も頷く。
その時、厨房から声がかかった。
「ピザトーストでーす」
メグが返事をする。
「はーい。では、早乙女さん。心の準備ができたら、ご自分で店内にお入りになって。笑顔さえ忘れなければ、あなたならきっと大丈夫でしてよ」
すっかりお嬢様モードに切り替えてピザトーストを運ぶメグの後ろ姿を見ながら、夏輝はそのプロ意識に感動すら覚えた。
他の店員達も、料理や飲物を持って、当たり前に店内に入って行く。
足の震えも、胸のドキドキも止まらなかったが、夏輝も覚悟を決めると店内へ一歩を踏み出した。
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