第4話 目覚め

 あまりにも呆然としたので、夏輝は母親と姉が部屋に入ってきた事に全く気付かなかった。

「何やってんの!」

 パジャマを着たままの姉が叫んだ。

「タバコ? マリファナ? この匂いは何?」

 母親が絨毯のコゲに気付く。

「まさか放火? ああ、放火だけはダメなのに! 殺人並みに刑が重いのよ」

 肩を落とす母を姉が励ます。

「大丈夫よ。初犯だから、すぐに出れるわ。私達だけは夏くんを見捨てず、支えて行きましょう」

 母は、目頭を押さえて姉の言葉に頷く。

「お母さん、お姉ちゃん、放火ではありません! ただ……その、説明が難しくて」

 姉が、大きな目を更に大きく開いて言った。

「ビックリした……夏くんの『ああ』と『うっせー』以外の言葉を聞くの、何年ぶりかしら。しかも、まさかの丁寧語よ、母さん」

「天変地異の前触れじゃなければいいけどねぇ」

 夏輝は、落としていた黄色のロウソクを拾い上げる。

「過去の無礼はお詫びします。ですが、どうかこれを見てください」

 先程と同じように指先でロウソクの芯に触れると、ポッと火が点いた。

「わぁ、おもしろーい」と、手を叩いて喜ぶ姉。

 試しに、ロウソクの芯に触れた手を開き、ボールを持つように指を丸める。手のひらに、明らかな空気の流れを感じた。

 その手の形のままロウソクに近付けると、炎はユラユラと揺らぎ、そして消えた。

 どうやら夏輝は、夢の中の姫と同じ能力を持っているらしい。

 姉が、自分の手を夏輝の手に近付ける。

「母さん! 夏くんの手のひらだけに風が吹いてる。これ、手品じゃないわよ」

「じゃあ、何なのよ?」

 姉はドヤ顔で答える。

「超能力の類で間違いないわね。普通の人間は持っていない力よ」

 その後、母親の提案で、朝食を食べながらこれらの現象について考察する事になった。

 母親がさっき切っていたキャベツにトマト、目玉焼きにウインナー、それにトーストとポタージュだ。

「母さん、いくらなんでもジャムのつけ過ぎよ。そんなんで痩せるわけないじゃない。夏くん、オレンジジュース取って」

 母は、姉の言葉を無視して、大量のジャムが乗ったトーストを噛じる。

「大丈夫よ。朝食なら多少食べ過ぎても問題無いって、テレビで言ってたわ」

 夏輝は、姉にオレンジジュースのパックを渡しながら、二人の順応性の高さに感嘆する。きっと、自分が交通事故に合って病院に運ばれても、三度の食事だけはいつも通りに違いない。

「母さんの過大解釈には毎度呆れるわ。いつ食べようが摂取カロリーは同じだからね。で、夏くん、いつからそんな事が出来るようになったの?」

 姉は、トマトにフォークを突き刺しながら尋ねた。

「今朝から……そんな夢を見たから試してみたらできたの」

「んん……普通に会話している夏くんが異様で、言葉が頭に入ってこないわね」

 母が姉の言葉に反論する。

「そんな事ないわ。最近はちゃんと学校に行くし、ケンカもしなくなって、いい子になったのよ」

 姉は母をスルーして質問を続けた。

「そんな夢って、どんな夢?」

「ボクはどこかの国のお姫様で、指先だけでロウソクに火を点けたの。もう一人のお姫様と、お花が一杯咲いている場所でお話しながら」

「話の内容を覚えてる?」

「えっと、お姫様の心構え……みたいな。もう一人のお姫様に諭されている感じ」

「間違いないわね……夏くんは、そのお姫様の生まれ変わりよ。理由はわからないけど、前世の記憶が蘇ったに違いないわ」

 母親は、残ったトーストの耳に更にジャムを盛りながら言った。

「面白いわね。だけどそれじゃあ、中学二年生の妄想だわ」

「そんなことないって。転生は量子論で科学的に証明されている事象だから。単なる妄想ではないの」

「あら、そうなの? でも、生まれ変わりだろうが、生き返りだろうが、何だっていいわ。母さん、夏くんが昔みたいに何でも話してくれたら、それだけで嬉しい」

「ごめんなさい、お母さん。ボク、なぜあれほど親不孝な事ができたのか、自分で理解できないの。だけど約束します。これからは、心配させるような事は絶対しません」

「夏くん……」

 母親の目から涙がポロポロと溢れた。

「母さん、泣くか食べるか、どっちかにしてよ。だけどアレね、火と風が起こせるとなると、他にも何かできそうね。これで何かできない?」

 姉は水の入ったコップを夏輝の前に差し出す。

「何かって言われても……」

 夏輝は、とりあえず指先を水の表面に近付ける。

 何も起こらない。

 姉が無責任にハッパをかけた。

「もっと集中して!」

「集中? 何に集中すればいいの?」

「何でもいいのよ。とにかく集中よ!」

 夏輝は訳がわからなかったが、言われるがままに指先に意識を集める。

 すると、水の表面が、指先に向かって盛り上がった。それは、砂鉄に磁石を近付けた時の様子に近いものだった。

 驚いた夏輝の集中が途切れ、水は元に戻った。

 人類の適応力が凄いのか、単にこの二人が特別なのか、母親と姉はもう冷静に目の前の現象を受け止めている。

 当の夏輝だけがドキドキしているような状況だ。

「本物の超能力だわ。テレビに出れると思う? お姉ちゃん」

「ちょっと地味ね。宴会芸としてなら商品価値はあるかしら」

「そうよねぇ、そんなものよねぇ」

 母親は落胆を隠さない。

「それと、この力は超能力ではなくて、魔法だと思うの。何かで読んだ事があるわ。魔法には属性ってのがあって、火とか風とか水とか、それに関わる物質が操れるらしいから。ね、今の夏くんそのものでしょ?」

「じゃあ、サイコキネシスやテレパシーは使えない訳か」

「母さん、妙に詳しいのね」

「私の世代だと、超能力といえばバベルの塔に住んでいる少年なのよ」

「ふーん、そうなんだ。まあ、夏くんの宴会芸的な能力については大体わかったけど、問題はそれよりも、豹変した性格よね」

「性格?」

「そう。だって、世界中がオレ様の敵だぁ、なんて目してたのに、今の表情見てよ。顔だけはムダに良かったから、まんま乙女じゃない。前世の人格覚醒が、現世の人格に影響を与えたのね」

「ああ……でもそれ、何か問題あるかしら」

「大ありよ。優等生が急に不良になったら周囲は混乱するけど、その逆でも同じ事が起きるから。救いなのは、最近少し大人になってたことね」

 夏輝は少し不安になった。

「混乱するかしら?」

「絶対にね。特にその女言葉には気を付けるのよ。それと、立ち振舞が上品なのはいいけど、夏君がやるとおネエっぽいから」

 不安は増大するばかりだ。

「明日からの学校生活、やっていける自信が無いかも……」

 夏輝は弱音を口にする。

 しかし、その時すでに、母親と姉の関心はテレビの歌舞伎役者の浮気報道に移っており、夏輝の訴えは鮮やかにスルーされたのだった。

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