第3話 魔法の力

 その夜見た夢は、いつもと違う夢だった。

 いつものお姫様みたいなドレス姿だったが、騎士と螺旋階段を駆け上っているのではなく、花が咲き乱れる温室の様な場所で、もう一人の姫君とお茶を飲んでいた。

 その姫君が、ティーカップから唇を離すと言った。

「で、どうなの? あの筋骨逞しい騎士様とは、たっぷりお楽しみなのかしら?」

 マリアグレースは、顔を真っ赤にして反論する。

「そんな、デュークフリード様とは、そんな関係ではございません!」

 姫君は、駄々をこねる子供を見るような困った笑顔を見せる。

「あらあら、あの騎士様を狙っているご婦人方は沢山いるというのに、そんな甘いことを言っていると取られてしまいますわよ」

 姫君の名はミラージュ。マリアグレースの父である国王の弟の娘だ。

 つまり、マリアグレースのいとこで年齢は二つ上になる。二年前、二回りも年上の有力公爵家に後妻として嫁いだ。

「デュークフリード様を狙う? ご婦人方が? 何の為に?」

 ミラージュは、落胆のため息を漏らす。

「ふぅ……皆まで言わせるものではありませんよ。つまり、あの騎士様を自分のベッドに引きずり込みたくて、ウズウズしている奥様方が大勢いるという事です」

 それを聞いて、マリアグレースの顔は更に真っ赤になった」

「そ、そんな……わたくしをお守りくださる騎士様に対し、何と邪な! まさか、お姉様も……」

「私は違いますわ。私にも、エッジ様という専任の騎士様がおりますでしょ」

「それでは、お姉様とエッジ様は……」

「ええ、男と女の関係です。ふしだらだと思いますか?」

「……」

 マリアグレースは何か言おうとしたが、衝撃で魚の様に口をパクパクとするだけだ。

 ミラージュは、マリアグレースの手を握った。

「私の可愛い妹、あなたもそろそろ覚悟せねばならぬ年頃です。私たち王族の娘は、政治の為、そして子を産む為の道具なのですから……」

 王都から遠く離れた公爵領にミラージュは住んでいる。彼女が何日もかけて王都に来たのは、単なる出産後の里帰りではなく、王か王妃か、もしくは二人一緒に嫌われ役をミラージュに頼んだのだろうとマリアグレースは思った。

 とにかく王と王妃の姫への溺愛ぶりといえば、娘であるマリアグレースすら行き過ぎと思うほどだったし、歳の近いミラージュから話を聞くのが一番ショックは少ないと思ったのだろう。

「……ですが、王族といえども一人の人間、誰かを愛する心を押さえ続けるなど不可能なこと。だから私達には、もう一つの愛を持つことが大目に見られているのです」

「では、公爵様も?」

「ええ、屋敷には元はメイドだった妾を囲い、私よりノビノビ暮らしていますわ。知らない人が見たら、あちらが奥様で、私は娘だと思うでしょうね」

「ひどい! そんなひどい事が許されて良いのですか?」

 ミラージュは、ゆっくりとお茶を飲んだ。

「だからこそ、私にはエッジ様が必要なのです。公爵様にしても、王家からいきなり差し出された小娘より、長年苦楽を共にした妾の方が情は深いというものでしょう」

「納得できません。公爵様とお姉様は、形だけの夫婦という事なのですか?」

「いえ、それも違うのです。お身体が弱かった前の奥様は、お子を授かる事ができませんでした。公爵家の世継ぎは、現在の本妻である私が産まねばならなかったのです。こうして円満に里帰りできているのも、無事に男の子を出産できたからです」

「それって……」

「そう、息子はお医者様の助言に従って夫婦生活をいとなんだ賜物です」

「エッジ様は……それでエッジ様は平気なのですか?」

 一瞬、ミラージュの表情が厳しいものになった。

「平気な筈がありません。私が公爵様の寝室へ行く時、身が引き裂かれんばかりの辛いお顔をなさいます。ですが私は……公爵様に抱かれるのが、決して嫌ではないのです」

「意味がわかりません! どういう事ですか?」

 アリアグレースの興奮を静めるかのように、ミラージュはどこまでも優しく、そして美しく微笑んだ。

「若さに溢れ、荒々しいエッジとの行為は、私の肉欲を満足させるものです。ですが、公爵様はどこまでも優しく私の全身を隈無く愛撫なさり、これでもかというほど絶頂に導いてくださいます。二人の殿方を知ってしまった私の身体は、もうどちらが欠けても生きていけないのです」

「しかし、それではエッジ様があまりにも不憫……エッジ様は、お姉様一筋なのでしょう?」

「仕方の無い事です。王族の娘の専属騎士になるとは、そういう事なのです。全身と全霊を私達に捧げる事で魔力は高まり、それが王家の血を守り、ひいては国を守る事に繋がるのですから」

「ですが、その王家の血が魔物を引き寄せ、民の生活を脅かす原因となっています……」

 マリアグレースは、ロウソク台に立っている消えたロウソクに人差し指の先を近付けた。指先が芯の綿糸に触れた瞬間、炎が灯った。

 次に、手を開いてボールを掴んでいるような形にすると、その手の中で空気の渦が発生し、それをロウソクに近付けると炎は揺いだ。そして、一本の細い煙を立ちのぼらせながら消えた。

「……それに、私達の魔法などこの程度のもの。泣いている赤子をあやすくらいしか使い道のない魔法に、どれほど価値がありましょう」

「いいえ、それは違います、妹よ。魔物が王族の血肉を欲するのは力を得るため。魔物がこれ以上の力を得れば、民は全て食い滅ぼされてしまうでしょう。そして、魔物に対抗し得るのは、私達王家の血を継ぐ者と、私達に忠誠を誓った騎士様だけなのです」

「信じられません。こんなちっぽけな力で、あの恐ろしい魔物に対抗できるなど」

 その時、どこからともなく一羽の美しい蝶が飛んで来て、ミラージュの周りを戯れるように舞った。

 それを嬉しそうに見ながらミラージュは言った。

「もうすぐわかりますよ。あなたが自分の心に向き合った、その時に……」



 そこで目が覚めて、もう眠れそうにもないので、夏輝はベッドを出た。

 台所へ行くと、母親がキャベツを切っていた。

「あら、日曜なのに早いのね。昨日は眠れたの?」

「はい、良く眠れたと思います」

 母親のキャベツを切る手が止まる。夏輝の顔をジッと見る。

「……眠れてないわね。最近ヘンだけど、今日は特にヘン。大丈夫?」

「ええ、体調は悪くありません、お母さん」

 慌てて手を洗った母親は、タオルで手を拭きながら台所を出て行った。

「お姉ちゃん、大変! 夏くんのヘンさが悪化してるのよ!」

 女子大生の姉は、昨日は合コンか何かで終電で帰ってきており、母親がいくら起こそうとしても当分起きないだろう。

 夏輝は引き出しを漁ってロウソクを取り出す。去年のクリスマスに母親が買ってきたケーキに付いていた物で、小さくてカラフルなのが五本セットになっている。

 なんでもクリスマスケーキにロウソクを立てるのは日本と韓国だけらしく、また夏輝と姉も遊びに行って遅く帰ってきたので、使われることのなかったロウソクだった。

 夏輝は自分の部屋に戻ると、中から黄色のロウソクを一本取り出した。

 右手の人差し指でロウソクの芯に触れる。

 何も起こらない。

 小さな落胆と大きな安堵。

 それはそうだ。変な夢だが、夢は所詮夢だ。空を飛ぶ夢は誰しも見るようだが、それで空を飛べるようになった者など存在しない。

 試しの左手の指でも触れてみた。

 瞬間、ロウソクの芯に炎が灯った。

「ヒッ!」

 驚いた夏輝はロウソクを落としてしまう。

 絨毯に火が移り、夏輝は慌ててスリッパで踏み消す。

 絨毯とスリッパに焦げができ、部屋に匂いが充満した。

 夏輝は、ただ呆然と立ち尽くした。

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