第6話 君の会社に用がある(下)

「着いたわよ。あとは受付に話をして指示を仰いで頂戴。」

「ありがとう。」

「じゃあ、私は行くから。」

「沙織さん、ちょっと待ってて。」


そう言ってつばささんは受付の方へ向かった。別にほおっておいて自分の仕事に戻っても良かったのだけど、私は言われた通りに待つことにした。


少ししてつばささんが戻って来た。


「お待たせ。」

「私もう仕事に戻らなきゃいけないんだけど。まだ何か用件があるのかしら?」

「うん。このまま社長室まで案内してね。」

「はい?」


何を言ってるのか分からない。


「社長室に案内なら、ここで待ってれば秘書の人が来るんじゃないの?」

「って受付にも言われたんだけど、沙織さんに案内してもらえるように頼んだんだ。」

「は?」


さらに訳が分からない。なんで私がこの人を案内しないといけないのよ。


「断るわ。」

「何で?」

「何でって、どうしてもよ。」


私は受付を見渡す。受付嬢の女の子が、何やらこそこそと隣の子に耳打ちしている。受付は会社の顔。というのは前向きな捉え方。それと同時に、噂話の発端や宝庫だったりするのもうちの会社の受付なのだ。


変な噂されたらたまったもんじゃない。

そういう目で社内の人間に見られるのはまっぴらごめんだわ。


「とにかく無理よ。私は仕事が残っているの。あなたの我儘に付き合っている暇はないわ。」

「うーん、そうか。沙織さんは私の『我儘』だから断ってるっていうことね。じゃあ、言い方を変えるよ。」

「はい?」


私は眉間に思いっきり皺を寄せた。つばささんはそれが面白いかクックと喉を鳴らして笑うと、吸い込まれそうな綺麗な瞳で私を見つめた。


綺麗なんだけど、透き通りすぎてすべてを見透かしてしまいそうな目。何となく背筋が凍るような目。……社長の目。


「八雲沙織さん。T,Iカンパニーの代表取締役として、社長室までの案内をお願いするよ。これは私の『我儘』ではなく君の『業務』のうちの一つだよ。」


この人普段はふざけているようにしか見えないのに。

私は一歩下がる。カツン、とヒールの音が社内ロビーに響く。ここだけ氷の城のようだ。


「わ、分かったわよ。案内すればいいんでしょう?案内し終わったらすぐに戻るわ。それで文句ないわね?」

「ありがとう。」


フフッと笑う翼さんの目はいつもと変わらないものに戻っていた。

本当につかみどころがない人だ。何を考えているのかよく分からない。


「こちらです。ついてきてください。」


業務、と言われたからには私は来客用に接する。


「そんなに他人行儀にしなくてもいいのに。」

「さっきの仕返しです。」


できるだけ淡泊に回答しながら私はエレベータホールまで歩く。つばささんは鼻歌交じりに私に付いてくる。


エレベーターのボタンを押すと、アナウンスの声とともにゆっくりと扉が閉まる。


「社長室は最上階の15階になります。」

「へえ。君の会社はそうなんだね。」

「泉さんの会社は違うのでしょうか。」

「あら、いつもみたいにつばささんでいいのに。」

「『業務』ですから。」

「おやまあ、怒らせちゃった?」

「別に。」


エレベーターは点滅をし、回数を上げていく。

私は出来るだけつばささんを見ないようにエレベーターのボタンをただただ見つめていた。


「ねえ、沙織さん。」

「何ですか。」

「こっち向いて。」

「お断りします。」


何かしてくる気だろう。私はあえてきっぱり断った。


「ごめんね。君の社長に合うための書類の確認をしようと思うんだけど、少しだけ鞄を持っていて欲しくて。」

「そういうことでしたら。」


これも業務の一環。そう思って振り向いた時だった。


「っ。」


振り向いた私の顎に軽く手を添えて、つばささんは私の唇に自分の唇を重ねた。

触れるだけの柔らかいキス。


突然のことに私は目を丸くした。

私が慌てて離れようとすると、つばささんは私の腰に手を当てて、軽く引く。

そして角度を変えてもう一度唇を重ねてきた。


長い睫毛。透き通るような瞳がこちらを見つめ、ふっと柔らかく微笑んだ。

そしてゆっくりと離れていく唇。


「なっ何するんですか。」

「可愛かったから。」

「ここはエレベーターです!他の人が乗り込んで来たらどうするんですか。」

「エレベーターじゃなかったらいいの?」

「良くないです!それに付き合ってもないのに。」

「じゃあ付き合おうっか。」

「そんな軽く……もういいです!」


この人は本当に分からない。私はくるりとつばささんに背を向けた。


その時丁度エレベーターは15階に到着した。

私は開くボダンを連打した。


「そんなに押したら壊れちゃうよ?」

「壊れません。」

「怒った?」


つばささんは私の顔を覗き込もうとしたので私は下を向いた。


「別に怒ってません。」

「耳真っ赤。ってことは顔も真っ赤だろうね。」

「ほら、15階ですよ。あとはそこをまっすぐ行ったら社長室ですから。私は失礼します。」


少し強引につばささんをエレベーターから背中を押して出すと、私は閉じるボタンを連打した。


「ありがとう。また後でね。」

「もうお会いしません。」

「そんなこと言って。会うよ。きっとね。」


その時のつばささんがどんな顔をしていたのかは分からない。

だって私はずっと下を向いていたのだから。







「沙織さん反応が意外と初心だったなー。ということは何だかんだで付き合った経験が無い子だったりして。」


ふふっと形のいい唇で弧を描きながら、扉を開けるのだった。





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ライバル会社社長×OL【社会人百合】 茶葉まこと @to_371

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