第3話 もっと私と仲良くなりたいと思ってるくせに

「おかしいわね。」

「何が?」

「今日はあなたに腕時計を返すために会ったはずなのだけど。」

「うん、だからちゃんと返してもらったよ。ありがとうね沙織さん。」

「違うわよ。」

「え?」

「私が聞きたいのは、どうして今水族館にいるのかってことよ。」


 私たちは今水族館にいる。先日私の鞄に紛れ込んだ泉つばさの腕時計。この時計を返すために今日は会う約束をしていたのだ。…っていうか、紛れ込んだっていうのは表現として適切じゃないわね。訂正するわ。


 わざと私の鞄に腕時計を入れて、会う口実を作ってきた泉つばさ。うん、こちらの表現のほうがしっくりくるわ。


 まあ、そんなわけで腕時計は会ってすぐ渡したのだけど…。

『沙織さん、今日時間ある?少し付き合って欲しい場所があるんだ。そんなに時間はかからないから。』

 なんて言われて。確かに今日は休みだし、腕時計を返す以外に特に予定はなかったから二つ返事で付いてきてしまったけど……。まさか行き先が水族館だなんて思わなかった。


「今日は沙織さんとデートしようと思って。」

「デートなんて単語初耳だけど。」

「言ってなかった?」

「言ってないわよ。私はただ付き合って欲しい場所があるって。」

「うん、だからその場所がここ。水族館。」


 はあ、何だかこの人と会話してると話が噛み合わない。私が言ってることがおかしいのかしら。ため息交じりに額を押さると、つばささんは私の顔を覗き込んだ。


「もしかして魚嫌いだった?」

「違うわよ。私はどうして水族館なのかって聞いてるの。」

「初デートにオススメって雑誌で見たから。」

「は?」

「嘘だよ。あははっ、いいねーその顔。」

「帰るわ。」

「待って待って。」


 つばささんは私の腕を掴んで引き留めた。


「ごめんごめん。ここの水族館の経営者と今度会う機会があってね。感想を伝えつつ距離を縮めて仲良くなろうかなーって思ったんだよ。」


 なるほど。ビジネス目的だったわけね。私は足を止める。彼女は私が逃げないと分かったのか、腕を掴んだ手をするりと離した。


「どうして私を誘ったの?館内を見て回って感想を伝えるなら一人でくればいいじゃないの。」

「一人で水族館なんて寂しいからね。」

「貴女に寂しいって概念があるの?」

「もちろん。沙織さん、私に対してどんなイメージを持ってるの。」

「悪趣味の変人。」

「うわーひどい言われようだ。」


 そんなことをいいつつも嬉しそうにしているこの人の気持ちが本当にわからない。何で喜んでるのよ。やっぱり変な人。


「せっかく見て回るなら気になってる子と一緒に回りたいじゃん。」

「つまり一人が寂しいから都合よく空いてそうな私を誘ったと。」

「どうしてそう悲観的に捉えるかなあ。ま、いっか。行こう行こう。ほら、あっちに大きい水槽があるみたいだから。」


 彼女は私の手を引いて歩き出した。


「ちょっと、手!」

「いいじゃんデートなんだし。」

「デートじゃないわ。それに。」

「人が見てる?」


 私が言おうとしたことを先に言われてしまった。それも腹立たしいくらい余裕な笑みを浮かべて。まるでお見通しと言わんばかりに。


「………。」

「大丈夫だよ。館内薄暗いし、みんな水槽のお魚に夢中だから私たちが手をつないでようと気にしないよ。私としては周りにも見せて回りたいところだけど。」

「ほんと性格悪いわ。」

「お褒めにあずかり光栄です。」


 ふわっと茶色の柔らかそうな髪を揺らしながら歩くつばささん。水族館好きなのだろうか…少し足取りが浮足立っているように見える。今日はビジネス用のパンツスーツではなく、シンプルなパンツスタイルだけれど、どことなく高級感があるように見えるのは服が良いのか、それともそれを着こなす彼女がすごいのか…。


「そういえば沙織さん。今日は髪型違うんだね。この前はアップスタイルだったよね。下ろすと意外と髪長いんだね。」

「変かしら。」

「いや、むしろ可愛いくてドキドキするよ。下ろしてる方が好きかな。」

「は?」


 彼女は繋いでいた手を離し、私の髪を長い指でさらりと梳いて微笑んだ。

なんて胡散臭い笑み。少しもドキドキなんて思ってないくせに。


「どうしたの?」

「何でもないわ。」

「あれ?おかしいな。」

「何が?」

「普通だったら、嬉しいなんて言って頬を赤らめてくれたり照れたりするところなのに、君は表情一つ変えないでスルーしたから。」

「可愛くてドキドキするなんてひとつも思ってないでしょう?その胡散臭い笑顔もやめて頂戴。」


 つばささんは、今度は私の顔をマジマジと見つめてきた。綺麗な顔が近づいてくる。思わず私が数歩下がると、つばささんは数歩詰めてきた。


「何よ。」

「やっぱり沙織さんって面白いね。予想通りだと思ったら急に予想を大きく裏切ってきたり、うん、面白いね!」

「はい?言いたいことがよく分からないのだけど。」

「分からなくていいよ。さあ、回ろう回ろう。」


 つばささんは改めて私の手に指をするりと絡めて繋ぐと手を引いて歩き出した。何でそんな繋ぎ方をするのよ…。少しだけ火照る顔を隠すように私は傍にあった水槽に顔を向けた。


「ここの水槽、この水族館のメインらしいよ。」

「へえ。」

「あーすごい。魚の群れだねえ。綺麗だね。」

「そうね。」


 適当に相槌を打っていた時だった。



 グー…。


「あっ。」


 お腹から間抜けな音が鳴ってしまった。そういえば朝ごはん食べてなかったっけ。

慌てて誤魔化すようにお腹を押さえるが、時すでに遅し。静かな館内ではなかなか大音量だったそれを、隣にいたこの人が聞き逃すはずはない。


「あれ?もしかして綺麗より先に、この魚たち美味しそうだなーとか思ってた?」

「そんなんじゃないわよ。」

「沙織さんって、イルミネーションを見て『わあ綺麗!』じゃなくて『電気代いくらかかってるんだろう』とか考えちゃうタイプ?」

「違うわよ!今のは偶然で……。」


 恥ずかしくてどんどん言葉が尻すぼみになってしまう。


「あははっ、まあいいや。何か食べようか?この水族館イートインコーナーもあるみたいだから。折角だから魚料理でも食べる?」

「だから違うって言ってるじゃない!」

「ふふっ。」


 つばささんは楽しそうに再び私の手を引いて歩き出した。もっと茶化したり馬鹿にしてくるかと思ったのに、それ以上は特に何のツッコミもなく、併設されているカフェに足を運んだのだった。


 それから軽く軽食を食べて、館内巡りを再開して、出口付近のお土産コーナーに立ち寄ることにした。といっても、特に欲しいものもない私はぐるりと店内を見て回るだけのつもりだったのだけど。つばささんは、いちいち商品を見ては、まるで新しいおもちゃを見つけた子どものように楽しんでいる。そして、いちいち私に声をかけてくるのだ。

この人…子どもなんだか大人なんだか分からないわ。


「ねえ、沙織さん。」

「今度は何?」

「はいっ。」


 ギュムっと音をたてて頭に変な帽子を被せられた。つばささんは、ほらみて、と言わんばかりに私の目の前に鏡を出してくれた。


真っ赤なタコをモチーフとしたモコモコの帽子。ちょっとデザイン的に外を出歩けるようなものじゃない。相当目立つ。まあ、肌触りはモコモコで悪くないけど。


「良く似合ってるよ。買っちゃおうか。」

「いらないわよ。大体どこで被るのよ。」


 私は帽子を脱いで、乱れた髪の毛を直そうと再び鏡を見た。


「あれ?」


 いつの間にか私の髪には、キラキラした可愛らしいパールが特徴的なピンが止まっていた。


「それ、海に眠る真珠をモチーフとしてるんだって。この水族館、今アクセサリーのブランドとコラボしてるんだよ。ああ、それはプレゼントだからそのまま受け取ってね。」


 にっこりと笑うつばささん。いつの間に付けたんだろう。それにブランドとコラボって……ふと店内を見渡せば、商品についての紹介の広告が目に入った。……ん?ちょっと待って。このブランドって結構大手で良い値段するところでは?その辺に売ってるお土産用のアクセサリーとは桁が違うはず。


「もしかしてその商品って…。」

「うん、そこで紹介してるやつだよ。」

「滅茶苦茶高いのでは。」

「んー?」


 にっこりと笑みを浮かべるつばささん。

 あ、これ絶対高いやつ。私はピンを取った。


「こんな良いものもらえないわ。」

「えー。」

「会計まだよね。元の位置に返してくるわ。」

「残念ながらそちらのお品はすでに会計済みなんだよね。」

「嘘!?」

「ほんと。」

「いつの間に。」

「さて、いつの間でしょう?」


 するりと私の手から流れるような仕草でピンを取ると、つばささんは微笑んだ。


「そこはありがとうって素直に貰えばいいのに。」

「そういうわけには行かないわ。プレゼントをもらうようなことはしてないもの。」

「充分してるから。今日も付き合ってくれたし、何より私を楽しませてもらってるし。」


 つばささんはにっこり笑った。


「さっきのタコさん帽子のせいで髪が乱れちゃってるね。ちょっと直すよ。」


 私と距離を詰めると、つばささんは手櫛で私の髪を整える。長い指に、甘い香り。長い睫毛に整った顔立ち。指先が顔に触れると、何だかどうしようもなくもどかしい気持ちが芽生えてしまう。それを押さえようと私は必死で平常心を保った。


「よし、綺麗になった。」


 つばささんの手で整えられた私の髪。そしてその髪にはしっかりとヘアピンが止まっていた。


「だからこれは。」

「良く似合ってるよ。そのヘアピンを見つけたのは偶然だけど、沙織さんに絶対似合うと思ったんだよね。それに、二人でここに来た思い出も残したかったし。」


 ふふっと笑うつばささんは、何だか嬉しそうな顔をしていた。何だか照れくさい。


「あ、照れてる。可愛いねえ。普段からそれくらい素直だと良いのに。」

「うるさいわね。今度は私から何かお返しさせてもらうわ。」

「お、そう来る?やっぱり面白いなあ。沙織さんは。」


 彼女は挑戦的な笑みを浮かべた。


「今度会う時は、それをつけて来てね。」

「キザね。」

「よく言われる。」

「ナルシスト。」

「それも良く言われる。」

「変人。」

「それも。」

「馬鹿。」

「それは初めて言われたな。沙織さんに言われると新鮮だよ。」

「へんたっ。」

「ふふっ、やっぱり沙織さんって面白い。でもそれ以上はストップ。」


 私の両手首を持って、つばささんは私の耳元に唇を寄せた。

 そしてそのまま耳元にキスをした。


「ちょ、ここお店よ!?何考えてるの。」

「大丈夫。ここ死角で見えないし。」

「そういう問題じゃないわ。」


 つばささんは私の手首を掴んだままゆっくりと離れた。


「今度はヘアスタイル、アップにしてね。」

「どうして?」

「その方がキスしやすいから。」

「は?」

「あと、沙織さんはアップの方が良く似合うから。」

「さっき下ろした方が良いって言わなかった?」

「言ったっけ?」

「とぼけるのね。まあ、下ろした方が良いって言った時のあなたの笑顔、あまりにも胡散臭かったから本心ではないと思っていたけれど。」

「おやおや、沙織さんもなかなかの観察力。もっと沙織さんと仲良くなりたくなっちゃった。」

「私は遠慮するわ。」


 つばささんは私の手首を指でなぞる。ピクっと体が揺れてしまった。


「ふふっ、沙織さんって天邪鬼だよね。本当はもっと私と仲良くなりたいと思ってるくせに。」

「………。」

「じゃ、そろそろ帰ろうか。送って行くよ。沙織さん。」

「一人で帰れるわ。」

「だーめ。家に着くまでがデートだからね。」



 そうやってまた手をつないできたつばささんと出口まで歩いていくのだった。





 おまけ


「そういえば、そろそろ『つばさ』って呼んでくれてもいいんだけど。」

「嫌よ。貴女だってさん付けしてるじゃない。」

「じゃあ、私が呼び捨てにしたら『つばさ』って呼んでくれる?」

「考えておくわ。」

「やった。じゃあ、次のデートではぜひともファーストネームで呼んでね。」


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