第11話 行き先は私の家でいいよね?(下)

「………寝れない。」


 用意されている布団に転がってみるが、一向に眠気が来ない上に、腹部は軽い鈍痛。今日は散々だ。希さんは隣の部屋にいるはずだが、物音ひとつしない。何してるんだろう。


 徐にスマホを見てみると、時刻は午前二時を回っていた。希さん、もしかして私に気を使って隣の部屋で寝てるとか?

 私はゆっくりと立ち上がって、音を立てないように静かにドアを開けた。


 すると、目に入ったのは希さんの後ろ姿。彼女の目の前にあるのはパソコンだ。でもキーボードを打ち込むのではなく、希さんの手元にはタブレットのようなものがあった。何をしているんだろう。


 音を立てずに希さんの背後に近づく。希さんは気づいてない。すーっと希さんの真後ろまで行き、視線を落とせば希さんの手元で行われていたものが良く見えた。



 それは下着のデザイン画だった。可愛さと大人っぽさが両立していて、花を模した繊細なレース模様が上品さを醸し出している。


「綺麗…。」


 思わずポロリと口から零れてしまった言葉。その言葉にふと希さんが振り返った。


「あら?真子ちゃんいたの?気づかなかったなぁ。」

「すみません、勝手に見ちゃって。」

「んーん。いいよ。」

「下着のデザイン画ですか。」

「そう。」


 希さんはにっこり笑って私に隣に座るように促した。すとんと隣に腰を下ろす私に希さんは満足気な笑みを浮かべた。


「体の調子はどう?」

「まあまあです。」

「そっか。」

「下着の販売だけではなくデザインもされているんですか?」

「たまにね。」

「すごく…良いと思います。このデザインとっても可愛いです。」

「ありがとう。」

「何かこだわりとかはあるんですか?」

「んーそうだな。着やすくて脱ぎやすくて脱がせやすいデザインってところかな。」


 んん?ちょっとまって。三個目おかしくない?


「つまり真子ちゃんのためのデザインということかな。」


 うん、その回答もおかしいと思います。と心の中で盛大にツッコミを入れる。何て返事をしたらいいんだ。


「脱がせやすいっておかしくないですか?」

「どうして?」


 ふっと笑みを浮かべる希さん。またそんなわざとらしい顔をして。


「もういいです。」

「ふふっ怒らないで。」

「怒ってません。」

「じゃあ、拗ねないで。」

「拗ねてません。」

「はいはい。」

「返事は一回で充分です。」

「はーい、真子お姉さん。」

「その呼び方はやめてください。」

「じゃあ……。」


 希さんは私の耳元に口元を近づけて、艶っぽい声で囁いた。


「真子。」


 瞬時に顔が熱くなる。今なんて!?名前の呼び方が。いつもと違う。ぎゅっと心臓を掴まれるような感覚。そのあとに急に慌ただしく鳴り響く私の胸。まるで全速力で走った後のようだ。


「んー呼び捨てはやっぱりしっくりこないな。やっぱりいつも通り真子ちゃんでいこうっと。あれ?真子ちゃん。」


 あははっと希さんは笑っている。私は真っ赤になった顔を見られないようにそっぽむいた。そんな私を希さんはからかうように、言葉を続けた。


「こっち向いて?」

「嫌です。」

「じゃあ、いいや。」

「えっ。」


 思わず振り返ると、希さんはそのまま私の唇に自分の唇を重ねた。ふにっとした柔らかい感触。触れるだけの優しいキス。


「んっ。」


 希さんはそのまま私の頬を撫でる。くすぐったくて思わず目を細める。希さんの唇は名残惜しそうにゆっくりと私から離れた。


「押して駄目なら引いてみろ作戦成功。」

「もうっ。」

「うんうん、いつもの真子ちゃんだ。可愛い。」

「そんなことなっ…ふあっ。んっ…。」


 反論する前に希さんはもう一度唇を重ねた。今度はとろけるような深いキス。お腹の痛み何て吹き飛んでしまうような、体の底からぞくぞくと迫りくるようなキス。


 艶のある音が響く。ああ、恥ずかしい。でもどこかそれを求めている自分がいる。そのまま希さんは私の服に手を……入れないで、スッと両手で優しく肩を撫でた。いつもだったらそのまま流れるように夜を共にするのに、今日はそのままそれ以上をするわけでもなく、唇も私に触れている手もスッと離れた。


「あ…。」


 思わず名残惜しそうな声が出てしまった。


「ごめんね。布団に戻ろうか。」

「あの…。」

「真子ちゃん、おやすみ。ゆっくり体を休めてね。」


 そうやっていつものように笑う希さんの手は熱が籠っていた。きっと…いや、きっとじゃない。多分希さんは本来なら私に手を出すつもりだったんだろう。でもそれは私のせいで出来なくなったわけで、家に上がり込み、ベッドを使わせてもらい、気を使われる、ドンドンと頭の上から石を乗っけていくように罪悪感の重みが増す。


「ごめんなさい。私のせいで。」

「え?何が?」


 希さんはきょとんとした顔をしていた。


「本当はその…するつもりだったんですよね?せっかくの機会だったのに台無しにしちゃってごめんなさい。」

「へ?いや、確かにそれも考えたけど、それだけじゃないからね?」

「嘘つかなくても大丈夫ですよ。」

「嘘じゃないよ。……困った子だなあ。」


 ヤレヤレ、と希さんは立ち上がると、隣の部屋に行ってしまった。それからすぐに戻ってきて、私の背中にふわりと何かをかけた。柔らかい手触り…これは…ブランケットだ。


 そしてそのまま希さんは後ろからブランケット越しに私をぎゅっと優しく抱きしめた。温かい肌触りと、希さんの温もり。希さんは後ろから私を抱きしめたまま言葉を続けた。


「今日ね、真子ちゃんから電話がかかってきて嬉しかったんだよ。頼ってもらえてるって。一つも迷惑だなんて思わなかったよ。」


 そのまま希さんは私をあやすようにゆらゆらとゆっくり揺れた。


「付き合うって、やることだけじゃないでしょう?私は真子ちゃんと体だけの関係のつもりじゃないんだけど。一緒に話したり、出掛けたり、眠ったり、一緒にいるだけで幸せだと感じられれば私は充分。今こうやって真子ちゃんを抱きしめられてるだけで、私は何て幸せ者なんだろうって思ってるところだよ。」

「そんな…。」

「真子ちゃんはどう思う?」

「私も…希さんと同じです。」

「そっか。じゃあ、そうやって自分のせいって負い目に感じるのは無しね。」


 温かい希さんの声。心地よく抱きしめられるこの空間。自然とお腹の痛みも和らぐ。


「希さんってどうしてそんな優しいんですか。」

「真子ちゃんが好きだから。かな?」

「………。」

「あれ?泣いてる?」

「泣いてません。ちょっと生理で情緒不安定になってるだけです。」

「ふふっ私から見れば真子ちゃんって結構いつでも情緒不安定だけど。」

「ひどくないですか!?」

「でもそんなところも可愛いから大好き。気にし過ぎで繊細で優しすぎるんだよねー真子ちゃんは。」


 希さんは私の頭を軽く撫でた。毛布から香る希さんの香。香りだけでも落ち着いてしまうとは私は相当希さんという存在に安心感を覚えてしまっているようだ。


「眠くなってきた?」

「少しだけ。あ、でももう少しだけこうしていてもいいですか?」

「いいよ。あ、でもせっかくなので。」


 希さんは私の背後から隣に移動すると、私の肩を持って私を半回転させた。お互いが向き合う形になる。


「前から抱きしめてもいい?」


 とか言っておきながら私が、返事をする前に希さんは私を正面からぎゅっと抱きしめて、背中をトントンと優しくさすった。ただ抱きしめられているだけなのに。体を抱かれているわけでもないのに。こんなに満たされるのはどうしてだろう。

 

 ふと居酒屋で結婚の報告をしてくれた友人、絵里ちゃんの幸せそうな満たされた笑顔が頭に浮かんだ。幸せそうな花嫁…かあ。


「私が希さんのお嫁さんだったらなあ…。」


 思わず口からぽろりと零れてしまった言葉。

 背中をさすってくれていた希さんの手がピタリと止まった。


「はっ、すみません。ほら、友だちが結婚することになって…って車の中でお話したじゃないですか。それでふと希さんのお嫁さんになれたら…なんて考えてしまったわけで。すみません今の言葉は忘れてください。」

「忘れないよ。」


 希さんは私と目を合わせて真剣な眼差しを向けた。それからふっと笑った。


「忘れてください。」

「無理。今のプロポーズとして受け取っておくので。」

「はい?」

「前言撤回は不可なのでよろしく。」


 希さんはニッと悪戯な笑みを浮かべて、私の前髪を書き上げると、額にキスを落とした。キスをされた額から始まり顔全体が、体が、熱い。一気に私の身体は火照る。ぎゅっと疼く下腹部は、生理痛のせいなのかそれとも私がどきどきしているせいだからなのか分からない。


「どんなドレス着てもらおうかな。」

「そんな機会は訪れないので!ああもうっ。」

「分からないよー?ある日突然ウエディングドレスを着て私と並んで挙式を上げる日が来るかもしれないよ?」

「女同士ですよ!?そんなのあるわけ…。」

「ないとは言い切れないよ?」


 希さんは子供の様に楽しそうに笑っている。本当にこの人は…。私も眉をハの字にしてつられて笑ってしまった。


「よし、真子ちゃんの笑顔も見れたことだし、一緒にベッド行こうか。」

「希さんお仕事中だったのでは?」

「もう終わったよ。それに今日は真子ちゃんの隣から離れたくなくなったので。プロポーズもされちゃったし。」

「だからそれは!」

「はいはい、分かってるから。ベッド行こう?あ、もしかしてまたお姫様抱っこの方がよかった?」

「自分で歩けますから!」


 ベッドに移動して、二人で一つの布団に入る。希さんは私を抱き枕のように優しく抱きしめてくれた。ゆっくりと瞳を閉じる。しばらくして希さんの寝息が聞こえてきた。疲れてたのかな?そういえば、希さんの寝顔は久しぶりに見た気がする。相変わらず長い睫毛に綺麗な寝顔。


 そういえばさっき額にキスされたから…。


「おやすみなさい。」


 囁くよりもさらに小さい、ほとんど聞こえない声で呟いて、私は体を少しだけ伸ばして、希さんの額に触れるか触れないかのキスをした。起きてない…よね?希さんは表情を動かくことなく、すーすーと寝息をたてたままだ。


「お返しです。」


 それだけ呟くと、私は布団の中に顔を埋めた。






まさか希さんがこの時実は起きていて、顔を真っ赤にしていたなんて知らずに。


「……真子ちゃんって意外と大胆。」


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