第9話  行き先は私の家で良いよね?(上)

「ごめん、お待たせ!」

「真子!」


 今日は大学時代の友達とご飯。この日を楽しむために今日も仕事を頑張ったと言っても過言ではない。


「久しぶりだね。絵里ちゃん。」

「私はあんまり久しぶりな感じがしないなあ。」

「どうして?」

「いつもテレビで見てるから。真子頑張ってるじゃん。この前の衣装もずんぐりむっくりで可愛かったよ。真子お姉さん!」

「もうっ。そういう絵里ちゃんはどう?確か今は中学校の音楽の先生だよね?」

「んー、まあ日々生徒と格闘中って感じ?」


 二人で笑い合いながら歩く道。薄暗くなりつつある町中は、次々と外灯が付き始めて夜の始まりを告げている。


「あ、私は明日休みなんだけど、真子は?」

「私もお休み。だから今日はのんびり語れるよ!」

「やった!」


 まるで学生のようにキャッキャと笑いながら歩く私たち。何だか大学時代に戻ったみたいだ。お互いの近況を報告し合いながら、適当に居酒屋へ入る。


「で、真子。今日はさ、真子に大事な話があるんだよね。」

「えーなあに?」


 注文した酎ハイを飲み、から揚げに手を付けようとした時だった。


「私ね、結婚することになったんだ。」


 はにかむ絵里ちゃん。ぽろりと箸から転げ落ちるから揚げ。


「えっ!?本当!?」

「うん。」

「おめでとう!相手はどんな人?」

「同じ学校の先生。」

「じゃあ、職場婚だ!おめでとう。わあ、絵里ちゃんが結婚かぁ。幸せになってね。」

「うん、ありがとう。」


 絵里ちゃんは幸せそうに微笑んだ。大学時代から優しくてしっかりものの絵里ちゃん。この柔らかい笑みを見ていると、素敵な相手なのだと想像が出来る。本当に幸せになってほしいな。


「ところで、真子は?私たちもう29だけど、良い人はいないの?」

「えー?今は仕事に夢中だからな。」

「とかいっちゃって。例えばあの歌のお兄さんは?テレビを見てる限りだと、仲良さそうだし、いい雰囲気とかならないの?」

「お兄さんは仕事仲間だから、恋愛って感じではないよ。あんまりプライベートな話もしないし、ほんと職場の同僚ですって感じ。」

「じゃあ、体操のお兄さんは?」

「それも歌のお兄さんと一緒。」


 絵里ちゃんは、夢がないなあなんて言いながら笑っていた。本当に私にとって彼らはただの仕事仲間って感じだし、必要以上に距離を縮めることもない。お兄さんたちのプライベートもそういえばあんまり知らないなあ。


「違うかー。」


 絵里ちゃんは頬杖を付きながら私を見た。


「何が?」

「今日久々に真子に会って思ったんだよね。少し雰囲気が違うなって。前はもっと幼いっていうか幼稚っていうか。絵本に出てくる純真無垢な少女みたいなイメージだったんだけどさ。」


 絵里ちゃん、褒めてるのか貶してるのか分かんないんですけど。とりあえずそのまま絵里ちゃんの話に耳を傾けた。


「今日会ったら前よりも少し大人っぽくなったというか…色気づいたって感じ?だからてっきりいい人でも出来たのかなと思ったんだよね。どうやら違ったみたいだけど。」


 あはは、なんて笑いながら絵里ちゃんはグラスに入っている酎ハイをコクンと音を立てて飲んだ。


「ねえ真子、じゃあさ真子の好みのタイプ教えてよ。」

「好み?」

「そう。まさか絵本の王子様~なんて言わないよね?」

「そんなわけないでしょ。……そうだな好みのタイプか…。」


 ふと頭を過るのは希さんだった。希さんの顔を想像するだけでポンと顔が火照ってくる。あの整った顔立ち、艶やかな唇、優しい声。触れる時の優しい手つき。そして何より傍にいるだけで満たされるあの空間――。思わず表情がふにゃりと綻んでしまう。いけない、私はブンブンと首を振ってグラスに入っているお酒を口に含んだ。


「あれ?真子、今誰か想像したよね?」

「別にー?」

「いやいやいや顔赤いし。真子って昔から顔に出やすいよね。」

「もうっ、絵里ちゃん。今日は結婚祝いで奢るからこの話はおしまい!」

「えー。」

「続けるなら奢らないよ!」

「あははっ、じゃあお言葉に甘えてこの話はここまでにしようか!」


 それから絵里ちゃんと懐かしい話で盛り上がって、久しぶりに笑いの絶えない時間を過ごせた。


「じゃあ、真子。仕事忙しいと思うけど、体に気を付けて頑張ってね。」

「もちろん!絵里ちゃんも旦那さんと幸せになってね。」

「ありがとう。真子は電車だっけ?」

「そうだよ。絵里ちゃんは?」

「私は……。」


 絵里ちゃんのスマホが振動する。絵里ちゃんはスマホをみて嬉しそうに微笑んだ。


「彼が迎えに来てくれるみたい。時間も遅いし、真子も送って行こうか?」

「いいよいいよ!まだ電車あるし、ほら駅はすぐそこだから。」

「遠慮しなくていいんだよ?」

「ほんと大丈夫だよ!ほら、旦那さんが迎えに来てるんだったら早く行かないと!」


 私は絵里ちゃんの背中をトンと押した。絵里ちゃんは少し申し訳なさそうに笑った。


「じゃあ、真子また飲みに行こうね。」

「うん。」


 お互いに笑顔で手を振って分かれる。私は駅までトボトボ歩きながら、ふと足を止めてスマホに目を落とした。私のスマホには着信もメールも何もない。ただ時刻だけが表示されている。


 別に連絡する予定もないのにスッスとスマホを操作する。変わり映えのない液晶画面。さっきまであんなに楽しく飲んでいたのに、今は心に小さな隙間風が吹いているような…そんな感じがした。


「彼からの連絡かあ…。」


 無意識に私は希さんとのトーク画面を開いていた。ここ最近仕事が忙しかったのも会って数日間は会っていない。希さん元気にしてるかな。何だか無性に声が聞きたくなってきた。


 いやいや、待て。用もないのに電話するなんて…。


 じーっと見つめるトーク画面。希さんとのやりとり。…………。ああ、会いたい。声が聞きたい。お酒が入っているせいなのか、それとも絵里ちゃんの話を聞いたからなのか、今日は気持ちが抑えきれない。………ええい、出なかったらそれまでだ。


 私は通話ボタンを押した。体が熱い。ドキドキする。耳元でコール音が響く。


「もしもし?珍しいね。真子ちゃんから電話なんて。どうしたの?」


 で、出てしまった!希さんが電話に出たことによって急に冷静になってくる私。ああ、何で勢いに任せて電話してしまったんだ!


「いえ、その…特に要件はないのですが何となく電話しようかなーと思いまして。あ、お忙しかったら全然すぐに切りますので!あははっ、何で電話しちゃったんですかね。すみません、それでは失礼します。」

「待って。」


 私が通話を切る前に希さんが制止の声を掛けた。


「……真子ちゃん、今外?」

「はい。そうですが。」

「こんな遅い時間に?」

「友達と飲んでたんですよ。今から電車に乗って帰る予定です。」

「どの辺にいるの?」

「えーと。」


 私は現在地の最寄り駅の名前を伝えた。すると希さんから驚きの返事が返ってきた。


「迎えに行くからそこで待ってて。」

「いやいやいや、とんでもない!大丈夫ですよ!」

「駅の明るいところに居てね。それで、そこから動かないでね。」


 プツっと切れる電話。あ、返事をする前に電話が切られてしまった。どうしよう。希さんが来てくれる。申し訳ないのに、迷惑かけてしまったのに、会えることを喜んでしまっている自分がいる。


 ほどなくして希さんは駅まで迎えに来てくれた。おなじみの車で。


「真子ちゃん。」

「希さん!」

「久しぶり。元気だった?」

「はい!元気です。」


 希さんに会えたのが嬉しくてついつい笑みが零れる。希さんはいつも通り優しく私の手を引いてくれた。


「……すみません。お迎えに呼んでしまって。ご迷惑でしたよね。」

「全然。むしろ真子ちゃんに会えて嬉しいし、もっと頼ってくれてもいいくらい。」


 ふふっと希さんは笑って私を車までエスコートしてくれた。優しい希さんの手、微笑み、ああ、一つ一つの仕草が…。


「真子ちゃん結構飲んだ?顔赤いよ。」

「今日はそんなに飲んでないですよ。」

「それもそうか。真子ちゃん飲みすぎると、もーっと積極的に絡んでくれるもんね。この前なんて、私が立派な大人だって証明しますって熱いキスをしてくれたし。」


 耳元で囁く希さん。


「ちょっ、希さん!?」

「まあ私としてはお酒が入ってなくても積極的に来てもらいたいところだけど。」

「ひゃっ。」


 チュッと小さな音を立てて、軽く耳元にキスをする希さん。耳元のせいでリップ音がやけに大きく聞こえる。反射的にピクっと上がる私の肩。まって、ここ外だから!周りの人に聞こえたんじゃないか、見られたんじゃないかって、心臓がバクバクと高鳴る。


「ののの希さん。こんなところで何してくれちゃってるんですか!」

「大丈夫。誰も見てないよ。さ、行こうか。」


 口角をクイっと僅かに上げる希さん。高鳴る胸を静まれ、静まれ、静まれ、と押さえながら助手席乗る。希さんは私の行動が面白いのか、それとも顔が面白いのか、クスクスと笑いながら運転席に乗ってシートベルトを付けた。


チラッと希さんの顔を見ると、私の視線にすぐに気づいた希さんは、ニヤっと笑った。


「なあに?そんな可愛い顔で見つめちゃって。」

「何でもありません!」


ああ、顔が熱い。私は手でパタパタと顔を仰いだ。


「窓開けようか?」

「だっ大丈夫です。」

「そう?あ、水買っておいたからそれ飲んでいいよ。」


 助手席にはペットボトルの水が置いてあった。薄っすら雫の汗をかいているペットボトル。きっと迎えに来る前に買ってきてくれたんだろう。


「ありがとうございます。なんかお手数おかけしてすみません。」

「今日は謝ってばっかりだね。真子ちゃん何かあった?」

「別に…何もないですよ。」


 赤信号。希さんはちらっと私の顔を見た。


「何もない顔ではないね。」

「………。」

「今日飲んでた友達と喧嘩でもした?」

「いえ、ただ友達の結婚が決まったので素直にお祝いをしてただけですよ。」

「へえ。それで真子ちゃんも結婚したくなったと。」

「それは違います!」


 信号が変わる。希さんは再び前を向いてアクセルを踏んだ。


「友達と話してて、良い人はいないの?とか、好みのタイプは?って話になったんですけどね、何かずっと希さんの顔が浮かんでしまって。それで無性に声が聞きたくなってしまって、勢いに任せて電話までしてしまって……思い返すと希さんに対する今日の自分の行動が自己中心的すぎるというか面倒な彼女みたいというか、なんか申し訳なさが膨らんで今に至るといいますか。」

「………。」


 希さんからの返事がない。チラッと希さんの顔を見ると、希さんは笑いを堪えていた。


「希さん?」

「ぷっ、あはははっ、真子ちゃん。今日はえらくストレートな言葉だね。ベロベロに寄ってる時とはまた違う積極性というか…いや、可愛いんだけど、やっぱり少し酔ってる?こう、絶妙に積極性とすみませんモードが入り乱れてるよ。」


 ハンドルを切りながら笑う希さん。


「笑わないでください!」

「ごめんごめん。ねえ、真子ちゃん。」

「何ですか。」

「明日は仕事?」

「休みです。」

「じゃあさ。」


 希さんはクスッ笑って、ひどく甘い声で放った。




「行き先は私の家で良いよね。」




 きゅっと締め付けられる胸。希さんを見ると、彼女の整った中に妖艶な笑みを浮かべている横顔が目に入る。ああ、なんて綺麗で、魅力的な…。


「真子ちゃん、いい?」

「………お宅にお邪魔してもいいんですか。」

「大歓迎。」


 車は目的地を希さんの家へと変更し、走り出した。

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