第3話 嫌ならもっと抵抗しないと(上)

「じゃあ、みんなばいばーい!」


 ハイカット!の号令がかかり、今日の収録が終了する。夏が近づいている今日は、ヒラヒラのクラゲをイメージした新曲『くらげさんマーチ』でエンディングを飾った。

 さて、この『くらげさんマーチ』の衣装だが…。巨大なくらげスカート…もとい、くらげの着ぐるみの頂上から私の上半身が生えているような奇妙な衣装だ。

とんでもないSF感が漂っている。もはやクラゲというより宇宙人と言った方が的確ではないだろうか。動く度に腰回りがゴウンゴウン動いて非常に踊りにくい。


しかしこの衣装、子どもたちには大人気で、みんな次々と私の巨大くらげスカートを触ったり、パンチしたり、タッチしてくる。微笑ましいと言えば微笑ましいのだが、今すぐにでも脱ぎたい衝動に駆られるのは何故だろう。


「お疲れ様でした。それでは私は着替えて来ますね。」


 さあ、着替えて帰ろう。このスカートでスタジオのドアに挟まらないか少し心配。


「あ、三守さん待って。」

「はい?」


 スタッフさんに呼び止められる。


「急だけど、今度のCDのジャケット撮影をそのまますることになったの。セットは組んであるから、今からスタジオ移動するよ。」

「えっと、移動はこのままの姿ですか?」

「うん。スタジオ移動っていっても、場所はフロア違いだから、すぐだしね。」

「えーっと…。」


 この恰好で、他の収録も入っているようなテレビ局内を歩けということでしょうか。


「じゃあ、私はちょっとこの辺を片付けてから追いかけるので先に向かってください。スタジオの場所はここです。」


 メモを渡されて、私はトンと背中を押された。えええ、ちょっと待って。一人でこの恰好で局内を歩けと!?しかもフロア違いってことはエレベーターに乗れと!?大丈夫?まずエレベーターに入る?この衣装。


「どうしたの?三守さん。少し時間が押してるから早く向かってね。」

「えっと、わ、分かりました。」


 スタッフさんに急かされて、もう分かったとしか返事が出来なかった。渋々私はこのでかい図体になる衣装のままスタジオへ向かった。えーと、まずはエレベーターに乗って。


 すれ違う人たちの視線が嫌でも集まる。まあ、このスタジオで子供向け番組の収録が行われていることは、局内の人ならほとんどが知っている。だから左程珍しい顔はされないのだけれど。ただ、衣装が派手なのと、奇抜なせいで注目を集めているだけで…。


「えーと、エレベーター。エレベーター。」


 何とかエレベーター前まで到着し、ボタンを押そうとするが…。


「嘘でしょ。」


 巨大なクラゲスカートが邪魔をしてボタンが押せない。出来るだけ腕を懸命に伸ばすが、あと少しのところでボタンに届かない。

 しょうがない。誰かに押して貰おう。キョロキョロと辺りを見渡すが、残念なことにエレベーター周辺にはタイミングが良いのか悪いのか人がいない。最悪だ。


「自分で押すしかないか…。んんーっ!」


 出来るだけ体を伸ばして、押そうと試みるが、残念ながら努力むなしく届かない。


 その時だった。


「良かったら押しますよ。上ですか?下ですか?」


 後ろから声を掛けてくれる人がいた。なんて優しいんだ。女神かな。


「ありがとうございます。」


 振り向くと、そこにいたのは。



「え。」



「久しぶりだね。真子ちゃん。」



 何故かそこにいたのは希さんだった。思わず目を見開く。どうしてこんなところに希さんが?ここテレビ局だよ?


「どどどどどどうしてここに希さんが?」

「うちの商品をテレビで紹介してもらったんだよ。ほら。」


 希さんの手にはお店のロゴが入った大きな紙袋が下げられていた。なるほど……って納得している場合じゃない。こんなトンチキな恰好な上に、エレベーターのボタン一つ押せない間抜けなところを見られるなんて。恥ずかしすぎる。ここはボタンだけ押してもらってさっさと退散しよう。


「そうなんですか。お疲れ様です。あ、ボタンは上の階でお願いします。助かりました。どうもありがとうございます。それでは失礼します。」


 私は流れるように早口言葉のように超特急で話す。希さんは何が面白いのかクスクス笑いながらエレベーターの上行きのボタンを押してくれた。

 エレベーターは左程混んでなかったようで、ボタンを押せばすぐに来てくれた。助かった。

エレベーターが開く。私は希さんに会釈をしてエレベーターに急いで乗り込もうとした時だった。


 ギュム


 え、ちょっと待って。嫌な予感。


 ギュムギュム


 嘘だと言ってくれ……。挟まった。それはもうピッタリと言っていいほど綺麗に。


「ええーと…真子ちゃん?」

「……なんでしょう。」

「押そうか?」

「……助かります。」


 恥ずかしすぎる。絶対後ろで希さん笑ってるに違いない。ああもう、何でこんなことに。


「行くよ、せーの。」


 合図に合わせてクラゲスカートを押される。私も出来るだけ体を前に押し出す。すると、スポンと軽快な音を立てるように何とかエレベーター内に入り込むことが出来た。


 私は何とかクルリと半回転し、希さんに頭を下げた。


「すみません。助かりました。ありがとうございます。」

「良いよー。全然。」


 希さんはニコニコ笑いながら、エレベーターに乗り込んできた。あれ?どうして。私がぎょっとした顔で希さんを見ると、彼女は当然かのように聞いた。


「何階?」

「えっと、7階です…じゃなくて、どうして?」

「え?だって今乗り込むのに挟まったってことは、出る時も挟まるでしょ?」


 あ、そうか。


 ゆっくりとエレベーターの扉が閉まる。上へ参ります、のアナウンスと同時にエレベーターは動き出す。ボタンの前にいる希さんとふと目が合った。


「真子ちゃん可愛いね。その衣装も。」

「可愛い?面白いの間違いじゃないですか。」

「可愛いよ。真子ちゃんなら何着ても可愛いね。」

「お世辞なら結構です。」

「お世辞じゃないんだけどな。」


 ふっと私に手を伸ばして、希さんは私の頬を撫でた。体の奥がぞくりとする。


「あっ。」


 ぴくっと肩が上がってしまう。


「ほら、可愛い。」


 希さんはクスクスと笑った。エレベーターという個室ではあるけれど、何してくれちゃってるんですかこの人は!


 希さんの手はそのまま私の顎に添えられて、そのまま希さんの顔が近づいてくる。駄目だ、ここはエレベーターの中で、もしドアが開いたりでもしたら。


「やっ、あのっ、希さんっ。」

「んんー?なあに?」

「やめてくださ…」

「嫌ならもっと抵抗しないと。」


 ふふっと笑う希さん。頭は何度も抵抗しろと指令をだすのに、体は一向に動こうとしない。されるがままの状態だ。近づいてくる唇、ああ駄目だ。私は思わずキュッと目を瞑った。



「………。」


 あれ、何も起きない。ゆっくり瞼を押し上げると、希さんはにっこり笑って私を見つめていた。どうして?


「そんなに物欲しそうな顔しちゃって。可愛い。」

「してません!」

「ふふっ。まあいいや。キスしたいのは山々なんだけど、残念ながらこれ以上君に近づけそうになくてね。」


 希さんは視線を落とす。真似して視線を落とすと、希さんと私の間。どっぷりとしたクラゲスカートが邪魔をしていた。これじゃ近づけない。何でだろう、安心するタイミングのはずなのに、どこかに残念がっている自分がいる。


『7階です』


 丁度エレベーターのアナウンスが目的地を告げた。


「あ、じゃあ、私この階なので。」

「了解。ちょっと待ってね。」


 希さんは急にしゃがみこんだ。そしてそのままクラゲスカートの下をくぐる。

狭いエレベーター内だ。希さんの持っている紙袋がほんの少しだけ私の太ももに擦れる。


「ひゃっ。」

「ん?ああ、ごめんね。少し掠っちゃったね。それとも触ってほしかった?」

「違います!」

「それは残念。」


 希さんはそのまま私の後ろへ移動した。そうか。押し出してくれるために移動しただけだったんだ。私はてっきり…って何考えてるの。ドキドキと胸が高鳴る。落ち着け私。


「真子ちゃんどうしたの?」

「なっなんでもありません!」

「ふーん。」

「……なんですか。」

「いや、なんでもないよ。」


 なんでちょっと上機嫌そうな声してるんですか。後ろにいるから顔はみえないけれど、何となくどんな顔してるかは想像がつく。


「じゃあ、押すよ。またエレベーターのドアに引っかかったら大変だからね。」

「………ご協力ありがとうございます。」


 何だろう。協力してくれてありがたいはずなのに、ありがたくない。

 そして希さんの協力あって、無事私は目的のフロアへたどり着くことが出来た。


「ありがとうございました。」

「いいよー。面白いものが見れたし。」

「なっ。」

「今日の仕事はそれで終わり?」

「ええ、まあ。多分。」

「そう。じゃあ、私このテレビ局の向かいのカフェで待ってるね。」

「は?」


 素で出た声。意味が分からない。希さんは綺麗な唇をクイっと上げて微笑んだ。


「じゃあね。可愛いクラゲちゃん。」

「あ、ちょっと、まっ。」


 言い切る前にエレベーターの扉が閉まってしまった。

 ちょっと、どういうことなの?頭が追い付かない。


「三守さん!早く早く。撮影始まりますよ!」


 撮影のスタッフが私を見つけて声を掛ける。


「あっ、はい。すみません。」

「急いでください。」

「今行きます。」


 ボヨンボヨンとクラゲスカートを揺らしながら私は撮影用のスタジオへ走って向かった。


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