救世主の救世主
三鹿ショート
救世主の救世主
私にとって、彼女は救いの女神だった。
学業成績は優秀であり、身体能力も高く、道行く人々を振り返らせるほどの麗人だが、それらを鼻にかけることなく、物腰は柔らかだった。
憧れていた人間は異性のみならず同性も含んでいるが、その中でも私は、最も彼女を慕っているという自負がある。
何故なら、彼女は私をいじめから救ってくれたからだ。
殴られ、蹴られ、傷が絶えない日々を過ごす私に手を差し伸べてくれた彼女は、自身が傷つくことも厭わず、私に暴行を加える人間たちを説得し続けてくれた。
彼らは一度痛めつければ諦めると考えていたようだが、彼女はその美しい顔がどれだけ傷つこうとも、行動を止めることはなかった。
その根気が影響したのか、私は彼らから解放され、何の事件も起きない日常生活を送ることができるようになった。
彼女に会う度に、私は感謝の言葉を伝え続け、彼女はその度に、恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
彼女のような人間こそ、明るい未来が待っているに違いない。
そう思っていたが、現実は異なっていた。
***
学生という身分を失ってから、彼女と連絡を取ることがなくなっていた。
そのような中で自宅を掃除していたところ、学生時代を思い出す品々を目にしたためか、私は彼女と思い出話をしようと思い立ち、彼女に連絡することにした。
彼女の代わりに彼女の母親が対応したが、家を出て、遠い地域で生活しているということだった。
私から連絡があったことを伝えてほしいと頼んだが、それから一年ほどが経過しても、音沙汰が無かった。
そのことが気になったため、彼女の母親に何度も尋ねると、事情を話してくれた。
彼女は、自宅に引きこもっているらしい。
世間体のために家を出ていると周囲に話しているらしかったが、実際のところは、既に何年も外の世界と触れ合っていないようだった。
一体、彼女に何が起こったのか。
居ても立っても居られず、私は彼女の自宅へと向かった。
彼女の母親は娘の部屋の前まで私を案内すると、姿を消した。
私が扉を叩いて名乗ると、室内から大声が聞こえてきた。
「話すことは何もありません」
それからは、幾ら扉を叩いて呼びかけても、返事が無かった。
だが、私が諦めることはない。
何が原因で彼女が引きこもったのかは不明だが、その苦しみから彼女を救うことこそ、彼女に対する恩返しではないか。
そう決意すると、私は毎日のように、彼女の部屋を叩き、呼びかけ続けた。
最初は素っ気ない返事ばかりだったが、二週間ほどが経過した頃、彼女は会話をしてくれるようになった。
そうはいっても、私が一方的に話す内容に相槌を打つくらいのものだが、充分な進歩である。
やがて、彼女の方から話題を提供してくれるようになったものの、室内に入れてくれることはなかった。
しかし、私はそのことを指摘しなかった。
彼女なりの速度で、進んでいくべきなのだ。
***
「駅前に良い飲食店が出来ていた。何時の日か、きみにも紹介したいものだ」
半年が経過した頃、私がそのような言葉を発すると、
「今の私は、外を歩くことができるような状態ではないのです」
彼女は低い声を出した。
どう反応するべきか迷っていると、彼女は続けた。
「あなたも私の姿を見れば、納得することでしょう」
そう告げると、扉がわずかに開かれた。
入室の許可が出たということなのだろう、私は部屋に入ることを告げてから、進んでいく。
室内の女性が、彼女と同一人物だと思うことは出来なかった。
髪の毛は油脂が浮き、顔面は吹き出物だからけで、肥満が影響しているのか、頬や身体が大きく膨らんでいる。
また、室内には飲食物が散らばり、とても健康的な人間が住んでいる場所ではなかった。
私の視線からその感想を察したのだろう、彼女は自嘲の笑みを浮かべると、
「言ったでしょう。今の私は人間ではなく、怪物といった方が良いのです」
「何故、このようなことになったのか、訊いても構わないかい」
私の言葉に対して、彼女はどうでもよさそうに鼻を鳴らした。
「よくある話です。私は挫折したのですよ」
聞くところによると、合格は確実だとされていた大学の入学試験に落ちてしまい、彼女はすっかり自信を無くしてしまったようだ。
周囲の人間からすれば、それでも高い学力の人間ばかりが集まる大学へと進んだのだが、彼女は大学の門を通る度に、己の失敗を突きつけられているような錯覚に陥るようになってしまった。
それに引っ張られるように、小遣い稼ぎのために始めた仕事も失敗が頻発するようになり、彼女は自分を信ずることが出来なくなった。
問題の無い学校生活を送っていただけに、その衝撃は大きく、彼女は引きこもるという結果に至ってしまったのである。
彼女は笑い話のように語ったが、表情から察するに、話すだけでも辛いに違いない。
私は彼女の肩を掴むと、相手の顔を真っ直ぐに見つめながら、
「一度失敗しただけで、人生が台無しになることはない。今の状況が最低ならば、これからは良くなる一方ではないか」
目を丸くする彼女に、私は続けた。
「再び同じことに挑戦しろとは言わないが、きみさえやる気になれば、きっとよりよい未来が待っているに違いないのだ」
彼女は眉間に皺を寄せると、
「何を根拠に、そのようなことを」
「きみは私の人生を立て直してくれたではないか。一人の人間を救うということほど、立派なことはない。今のきみは、躓いただけだ。共に立ち上がり、新たな日常を目指そうではないか」
彼女は即座に言葉を返すことなく、私を見つめる。
やがて、何かを思考するかのように、視線を彼方此方へと向けた。
それから俯き、数分ほど無言を貫いてから、顔を上げた。
「やり直すことが、出来るでしょうか」
不安そうな声を出す彼女に、私は力強く頷いた。
「頼りにならないだろうが、私は味方である。味方が一人でも存在していれば、どのような世界でも生きていくことができると、私は思う」
私がそう告げると、彼女は目を潤ませ、首肯を返した。
***
それから我々は、部屋の掃除や外見を整えるための努力を重ねた。
生来の勤勉さが影響したのか、彼女が弱音を吐くことはなかった。
そんな生活を過ごす中、私は道端で、会うことを避けたかった人間と会ってしまった。
その人物とは、かつて私をいじめていた人間である。
だが、意外なことに、相手は突如として頭を下げると、
「あの頃は、申し訳なかった。やりたくてやったわけではないが、この手できみを傷つけてしまったことには変わりない」
言葉の意味が分からず、私は首を傾げた。
その様子を見て、相手は私が知らなかった事実を語り始めた。
***
彼女が美しい外見を取り戻すことが出来たため、それを祝おうと、私は彼女を飲食店に誘った。
営業用自動車に乗り、目的地へと向かう。
そこは、郊外に存在する、工場跡だった。
当然ながら、彼女は疑問を口にした。
「飲食店へ向かうのではなかったのですか」
その言葉に、私は答えた。
「ある意味で、この場所は飲食店だろう。ただし、料理はきみだが」
私が合図をすると同時に、物陰に隠れていた人々が姿を現した。
何が起きているのかまるで分かっていない彼女に、私は告げる。
「私は、事情を知ってしまったのだ。きみの差し金で、私がいじめられていたということを」
その言葉に、彼女は目を見開いた。
いわく、かつて私をいじめていた連中は、彼女に命令されてそのような行為に及んだらしい。
理由は、苦しんでいる人間を救うことで力を感じたいということだった。
それならば、相手は誰でも良いということだったらしい。
彼女に選ばれることがなければ、私は退屈だが傷つくことは無い学生生活を送ることができたはずだった。
それを、彼女の身勝手な理由で、奪われてしまったのだ。
許すことなど、できるはずもない。
彼女に向かって下卑た笑みを浮かべる人間たちと場所を入れ替わり、私は彼女が苦しむ様子を眺めることにした。
彼女が謝罪の言葉を叫んでいるが、どうでもいいことだ。
救世主の救世主 三鹿ショート @mijikashort
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