清楚姫とマンツーレッスン
波乱の1日が明け翌日、俺が出社すると、すでに出社している眞尋の姿が見えた。
自分の席に座る眞尋は、まだ始業前にも関わらず真剣な面持ちで資料に目を通していた。あの資料は、俺が昨日参考として渡した運営マニュアルだ。
俺が眞尋の隣、俺の席に着いても、眞尋は気づかずに黙々と資料を見ている。
そんな眞尋に俺は声かける。
「おはよう」
「わ、篠村くん。おはようございます」
少し驚いた様子を見せた眞尋と挨拶を交わす。
「まだ始業前なのに偉いな」
「いえ、私はイベント制作に関しては素人なので。こうしてしっかり勉強するのは当たり前です」
相変わらずしっかりしている。
始業まで少し時間があるので他愛もない話をした。昨日のことは吹っ切れたのか、元通りの様子だった。
「じゃあ早速、作業を始めようか」
時刻は9:00を少し過ぎた頃。社長の朝礼が終わり、俺は本格的な指導を始めることにした。
今回は、ここ大田区にあるラーメン屋を集めた食フェスがあり、その制作を任されている。
と言っても、企画の立ち上げは他の社員がある程度済ましてあるため、俺たちがやるのは運営マニュアルの作成だ。
「この運営マニュアルというのを作るんですね」
「そうだ。と言っても、運営マニュアルは結構特殊なんだ」
イベント制作及び運営において、この運営マニュアルというのは心臓とも言える大事なものだ。
特に運営面。イベント当日は我が社の社員以外の外部のスタッフがほとんどを占めるチームでの運営となる。
その際にスタッフたちに渡すのがこの運営マニュアル。イベントについての事細かな情報が書かれているため、この作成を怠ってはいけない。
「これは橘さんが作ってくれた概要書だ。これを元に運営マニュアルを作成するんだ」
企画の立ち上げ後、イベントについて確定した情報が大まかに記載されているのがこの概要書。
うちの会社ではペラ1(用紙1枚)で済ましてしまうことが大半だが、場合によっては冊子のようになっていたりもする。
その概要書を元にして、詳細を詰めていく。当日の来場者数などを仮定して、それに合わせた当日の設営方法や運営方法、動きなどを記載したものが運営マニュアル。
そこに実際の来場者数や、収支報告などを加えたものが、イベント終了後に作成する報告書。
同じ資料に情報が足されていって、それに伴い用途や名前が変わる不思議な資料、それが運営マニュアルだ。
ということを眞尋に説明していたのだが……なんかすごく見られている。
俺は資料を見ながら説明しているので眞尋の様子を直接見ているわけではないが、眞尋は資料ではなく俺を見ているような気がする。すごく視線を感じる。
度々眞尋の方を見てみるのだが、その度に眞尋は目を逸らし、資料を見ているフリをしている。バレてるぞ。
「なぁ、俺の顔に何か付いてるか?」
あまりにも気になるので尋ねてみると、眞尋はビクッと肩を弾ませ「えっ!?」と声をあげる。
「な、なんのことですか?」
いや。なんのことですか?って……
「ずっとこっち見てたろ?資料じゃなくて」
わかってるからな。そう思いながら問い詰めてみると、眞尋は顔を真っ赤にして白状した。
「す、すみません。真剣な表情をしている篠村さんについ見惚れてしまいました……」
「み、見惚れ……!?」
思わぬ返答に、今度は俺が驚かされた。
眞尋が、俺に見惚れてた……?聞き間違いか?
「そうです。部活の時もそうでしたが、真剣な顔をしている篠村くんはカッコいいです」
お、おう。聞き間違いじゃないようだ。まるで俺のことを好いてくれているような言い方だ。
……まさかな。
確かに、昨日の差し飲みの時の発言も含めると、そうとも捉えられるが、かと言ってそれを鵜呑みにするのは早計だろう。
何かはわからないが、きっと眞尋なりに何か別の意図があっての発言なんだろう。
「いえいえ。言葉の通りの意味ですよ」
「なっ!?」
こ、こいつ……俺の心の声を読んできた?
まさかエスパーなのか……?
動揺している俺を横目に「そんなんじゃないですよ」と笑いながら言う眞尋。また心を読まれた……
「篠村くん、顔に出やすいタイプなんですね。見てみて面白いです」
もうギブアップです……俺の心が持ちません。
たまらず俺は「ちょっとトイレ行ってくる」と言って席を立つ。
「ごゆっくり」と見送る眞尋は余裕そうに微笑んでいる。まるで俺の動揺を全てを見透かされているような表情だった。
トイレの洗面台で鏡を前に俺は頭を抱えた。
明らかに眞尋の様子がおかしい。
高校時代はお淑やかで落ち着いた印象だった眞尋だが、今日の眞尋は違う。
あれは清楚姫でもなんでもない。小悪魔だ。
「一体どういう風の吹き回しだ……?」
何が何だかさっぱりわからない。
昨日のことを受けてギクシャクするかとも予想されたが、彼女は吹っ切れた様子。そしてこの積極的な言葉の数々。
「言葉の通りの意味、か」
特に関わりのなかった高校時代から4年。再開して2日目にして、俺は大きな壁にぶちあたっている。
自惚れていいのか。いや、早まるな。
天使と悪魔が囁いている。
「ま、なんとかなるか」
思考を放棄して、俺は席へと戻ることにした。
なんとかなるなんて気楽な考えでいた俺だったが、その後小悪魔と化した眞尋にもっと翻弄されることになるなんて、この時は知る由もなかった。
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