妻
山向こうの村に嫁いでから、あたしは必死で色なしであることを隠した。
必死に人と話を合わせ、普通の人のフリをした。
そして、あたしがこの村にきてから二年が経ち、あたしは子どもを身ごもった。
悪阻の時期が過ぎ、徐々にお腹が膨らんできて、あとは無事に産まれてくるのを待つだけ… という段になって。
あたしは流行り病に侵された。
満月の夜、あたしは高熱に浮かされながら病床に臥せっていた。
家に夫はいない。
あたしが追い出したのだ。あんたまで病気になったら大変だから、と。
死ぬならひとりで死ぬつもりだった。額にじっとりと嫌な汗をかいて、しかし目を閉じても眠ることができず、そんなとき、不意に人の気配を感じた。
うっすらと目を開ける。
と、逆さまになったフジの顔が見えた。
「うわ… 」
(ついに幻覚が… こんなの見るなんて、あたしもうダメなのかも… )
懐かしい藤色の瞳が、烱々と光を放っている。
久しぶりに見た「色」。
あたしは、でも最期に見るのがこんな幻覚なら、結構幸せかもしれないと思った。
「… ひかり」
ついに幻聴まで。
「ひかり。これ、飲んで」
フジはあたしの枕元にお猪口を差し出した。
幻覚のフジは別れたときの十の姿ではなく、あたしと同じくらいの歳の女に成長していた。
「フジ… あんた、歳とんないんじゃなかったの… ?」
「いいから、飲んで」
フジはあたしの頭を軽く持ち上げると、不思議なことに、その幻覚はあたしに触れるのだった。あたしの口に無理やりお猪口を持っていった。
あたしは中のわずかに濁った水をごくんと飲み干し、「なにこれ… ?なんか、鉄っぽい味がするけど… ?」
「ただの水よ。私の血が入ってるけど」
「血⁉︎」
… 危うく全部吐き出しそうになった。
「な、なんなんだよこの幻覚… ⁉︎」
もしかして、あたしは狐にでも化かされているのだろうか?
「… 幻覚?」
フジが首を傾げる。
「違うわ。私はここにいる… 本物よ」
ぴた、とフジの両手があたしの頬を包んだ。
その途端、
「わっ… !」
窓から差し込む月光が、銀色の輝きを帯びた。
壁にかけた半纏にうっすらと燕脂の色が浮かび上がり、フジの着物も薄紫の色に染まる。
少女の頃に見た美しい世界が、再びこの目に蘇る。
「本当、だ… 」
フジだ。
フジが、きてくれたんだ。
バケモノになったあたしを照らす、一筋の色(ひかり)が。
「… もう、休んで」
フジの手があたしの目を覆う。
色(ひかり)の世界に蓋をされる。
「待って… !」
この世界をあたしから奪わないで!
「フジ… !」
もう少しだけ、あたしのそばにいて!
しかし、あたしの意識は唐突に襲ってきた睡魔に抗えず、泥のような眠りに沈んでいく。
… その翌日、あたしの病はころりと治っていた。そして、いつのまにか流行り病は村から立ち去り、そしてその冬、あたしは赤子を産んだ。
元気な産声を上げて生まれてきたその子は、輝くような藤色の目を持っていた。
おぎゃあおぎゃあと泣く我が子を抱いて、あたしも一緒にわんわん泣いた。
(この子はあたしの子だ… !あたしとフジの子なんだ… !)
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