名無し

 それから数日後。

「… うわっ⁉︎」

 ぬぅっと暗闇から浮かび上がるように、このあいだの女の子が現れた。

 夜、寝る前に火鉢の火を消して、その灰を捨てるために外に出たときだった。中腰で灰を掻き出していたあたしは驚いて尻もちをつく。

「あ、あんたか!びっくりした… 」

「ごめんなさい… 」

 月明かりに照らされた女の子は申し訳なさそうに言って、シン… とそれきり黙り込む。

「な、なんだよ… ?」

 あたしはまだバクバク言っている心臓を押さえて、

「なんか用かよ?こんな夜中に… 」

「ひかり… 」

「… え?」

「それがあなたの名前なの?」

「う、うんそうだけど。… あんたは?」

「え?」

 女の子が首を傾げる。

「あんたの名前。あたしの名前は知ってんだから、あんたのも教えてよ」

 すると女の子は悲しそうに目を伏せて、

「わからないわ… 」

「え?」

「私の名前、わからないの… 。もうずっと、誰も呼んでくれないから…」

「え。… そっかぁ」

 あたしはなんだかかわいそうになって、

「じゃあ、あたしがつけてあげるよ」

「え… ?」

「あんたの名前。そうだなぁ… ねぇ、あんたの目の色ってなんて言うの?」

「… これ?」

 女の子は自分の瞳を指差す。

「そう。あたし、色の名前ってよくわかんなくてさ」

 女の子は不思議そうにあたしを見つめ、

「藤色… よ」

「藤色、ね。じゃ、あんたはフジだ!」

「フジ… 」

 女の子はゆっくりとその名前をつぶやく。

 そして、にこり、と初めて笑顔を見せた。

「… うん。私は、フジ」

「じゃあそれで決まり!」

 あたしもニッと歯を見せて笑う。

「じゃ、あたしそろそろ家ん中戻んなきゃだから。またね、フジ!」

「うん… 。またね、ひかり」

 あたしは女の子『フジ』に手を振り、灯りの消えた家に入ろうとして、

(そういえば、フジは今日はどこに泊まるんだろう?泊まる場所、決まってるのかな?)

 急に気になって、フジのほうを振り返った。

「ねぇフジ、あんた今日泊まるところは… 」

 … しかし、藤色の瞳の女の子は、月光に溶けてしまったかのように消えてしまっていたのだった。

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