4-6
「で、受けてきたんですか? 前払金もないのに?」
ローズは半目になっている。
「ほだされるなんて、リュカらしくないですね」
「ほだされたわけじゃない」
「じゃあ、なんなんですか」
「言っただろ。人生にはギャンブルも必要。それと……懐かしかったからかな」
「はあ? なんですか、それ。意味がわかりません」
「まあまあ、そう怒らずに。ローズだって、準備万端なんだろ」
夜は節電のために灯りを消しているラボ――教会居住エリアの奥にあるただの物置小屋を改造した建物だが――に、
「お願いしますよ、ドクター」
冗談めかして聖花の入ったカプセルポットをローテーブルの上に置いた。
「あ、あまり期待しないでくださいねっ」
ローズは顔を赤らめてそっぽを向く。
「期待はしてるさ。限られた機材と環境で最高の売上を、ってのがローズの信条だろ?」
「それはそうですけどっ。ここのラボの環境と材料でどんな薬が作れるかわかりませんしっ。あの人が言ったみたいに、50包まるまるできるとは限りませんしっ」
口調とは裏腹に、ローズはそわそわとカプセルポットを横目で見ている。
「あ、そうそう、あの少年の名は
漆黒のフリルブラウスの肘が、リュカの腹に一撃。悶えるリュカを睨んで、ローズはツンと顔を上げた。
「余計なお世話ですっ。くだらないこと言ってないでリュカはリュカの仕事してくださいっ」
◇
小さな額に刻印された奇妙な星をそっとなぞる。
悪魔に憑依されてから食べる物も食べられず、まとまった睡眠も取れなかった妹にとって、この眠りはどれほど癒しになることだろう。
安堵の息を吐いて、陽人は薄い毛布で小さな身体をしっかりくるんでやった。ここは沼が近く、地面にボロボロのシート一枚しか敷いていないテントの床は季節に関係なく冷える。
陽人は冬用の破れたジャンパーを着て、狭い床に横になった。
「よかった……」
薬を作ってもらえて、それを売って、祓魔のための金を作る。
やっと、やっとその算段が付いた。
絶望のどん底に落とされたあの日からずっと願ってきたことに、やっと近付ける。
両親が悪魔に喰われた日――あの晴れた日曜日、陽人は部活に行っていた。
本当は、部活になんか行くべきじゃなかったのだ。
あのとき、自分が家にいれば。あのとき、もっと早く家に帰宅していれば。
どうしようもない「IF」の後悔にずっと
あの日。
帰宅すると、リビングは血の海だった。
真っ赤に染まった床に座って、金色の目をした
なぜ悪魔が星愛を喰わずに憑依したのかはわからない。駆け付けたJSAFに星愛が憑依されたことを訴えたが、そのときには星愛は元に戻っていて、衰弱しているだけだと処置を受けた。憑依されたことは、取り合ってもらえなかった。
「君はショックを受けているんだ」
JSAF隊員は優しく、しかしきっぱりと拒絶をこめて言った。
「我々も忙しいからね。精神錯乱状態時の証言は取り合えないんだ。後日、妹さんがおかしくなった時にまた通報してくれるかい?」
陽人は絶望した。
JSAFに。世界に。
世の中にはJSAFや祓魔師や病院や学校や、弱い者が保護してもらえる権利が保証されているシステムがある。たらい回しにされた役所や児童相談所や祓魔関係の保護機関には必ず『いつでも弱者の味方です』と書かれたポスターが貼ってあった。
そんなのは全部嘘だ――陽人は大声で叫びたかった。
誰も助けてはくれない。
両親が悪魔に喰われたからといって、そんなことは珍しくもない。すでに児童相談所や祓魔師協会が運営する保護施設は満員で、陽人と星愛は家賃の払えないマンションを出て、コロニーを渡り歩くしかなかった。
ようやくこの武蔵野エリアのコロニーに落ち着いた頃には、星愛は夜になると必ず悪魔が顔を出すようになってしまっていた。
コロニーは花に囲まれた自然の要害だ。それが悪魔を制御もしているが、同時に憑依された星愛を苦しめた。
「大丈夫、兄ちゃんがぜったいに星愛から悪魔を追い出してやるからな」
悪魔に憑依されて以来、どんどん瘦せ細っていく腕を取って陽人は言った。
「兄ちゃん頑張るから。もう少し我慢できるか?」
星愛は大きな目に涙をいっぱい溜めてこくん、と一つ頷いた。その乾いた唇にそっとドロップを乗せてやると、星愛はうれしそうに食べた。悪魔に憑依されているときも、そうでないときも、家から持ち出したこのドロップだけは食べてくれた。
そのドロップも、もういくらも残っていない。
「でも大丈夫」
陽人はテントの破れ目を睨んで、呟いた。
「金さえ手に入れば、星愛を元に戻してやれる。そうしたら」
学校に戻って、ちゃんと勉強して、仕事に就いて。
働いて、盗んだ聖花の代金を返す。何年かかっても。
もちろんそれは大変なことだとわかっていたが、星愛が元に戻れば、そして両親が悪魔に喰われてしまう前の生活水準に近付ければ、どんな苦労でも耐えられる。
新たな決意を胸に、束の間の眠りにつこうとした――そのときだった。
「っ!」
テントの垂幕が開いたことに気付いたときは、仰向けに寝たままで床に押さえつけられていた。
必死でもがこうとするが、数人の屈強な男たちに押さえつけられてぴくりとも動けない。口元には布が当てられていて、声も上手く出せない。
目線だけ動かすと、テントの入り口に人影が立った。
「クリスタルローズはどこだ?」
「!」
(あいつらだ!)
訊ねた男も周囲の男たちも黒いフェイスマスクをしているが、声でわかった。
このところ、ずっと陽人を追ってきていた迷彩服の一団のボスらしき男。周囲の部下らしき男たちから「大佐」と呼ばれていた。黒髪を後ろに髪をなでつけた、大柄な男だ。
「静かに答えろ。大声を出したら即、殺す」
口元の布が緩められた。震えるな、と自分に言い聞かせたが歯の根が合わなかった。
「し、し知らない……ぐっ」
再び布が口元に当てられると同時に、脇腹を蹴られた。あまりの痛みに視界に火花が散る。
「もう一度聞く。クリスタルローズは、どこだ?」
泣きたくなんかないのに、目から涙がこぼれて耳を濡らす。布がゆるんだ。
「昼間の、教会に」
大声を出したくても擦れた声しか出なかった。俺バカだ。どうして言っちゃうんだよ。あの気の良い神父が、あの綺麗な女の子が襲われてしまう。
あの教会が襲われてクリスタルローズが奪われたら、計画もすべて台無しじゃないか。
もう一度脇腹を蹴られて、うずくまる。いつの間にか身体は自由になっていたが、背中から大佐に強く踏みつけられて動けない。
「良い子だ。神父と連絡はつくんだろう? 呼び出せ。クリスタルローズを持ってこさせるんだ。あの神父には借りがあるからなあ」
男たちのくつくつという嗤い声は、星愛の中にいる悪魔の嗤い声と似ていた。
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