4-7
「んあ?」
リュカは、耳元で鳴ったコール音に顔をしかめる。
「誰だよこんな夜中に……今ちょっと手が離せないっていうのに」
リュカは正面のウィンドウを睨んだまま呟く。
リュカの正面、執務卓の上にはキーボードの映像が映っていて、その上を凄まじい速さでリュカの指が動いていた。
クリスタルローズで製造した薬をすぐに売ることができる、闇サイトを探していたのだ。
直接売った方が足が付きにくいだろうが、インターネット経由でさばいたほうが速い。できれば今のうちに買い取り先を探して連絡をつけたかった。
「あの子の状態を考えると……今は一刻を争うからな」
あの
極度の摂食妨害に加え、睡眠まで支配されかけている。
あれでは悪魔に完全に乗っ取られるのが先か、幼い星愛の肉体が限界になるのが先か。
いずれにせよ事は急を要する。
コール音はまだ続いている。無視しようとも思ったが、なぜか胸がざわついた。視界斜め左を見れば、小さな通信ウィンドウにには『
「中学生の起きている時間じゃないだろうが」
軽口とは裏腹にリュカの胸はざわついた。
嫌な予感がする。
リュカはピアスを弾いた。
「陽人か。どうした?」
〈あー……ごめん、あ、あのさ。クリスタルローズ、やっぱ返してくんないかな〉
すぐに様子がおかしいのはわかった。周囲が静かすぎる。陽人の声が震えている。
リュカはしかし、世間話をするような調子で聞いた。
「今すぐか?」
〈う、うん〉
「わかった。じゃあ、さっきの場所で」
〈うん……〉
唐突に通話は切れた。最後まで映像はブラックアウトしたままだった。
昼間の男たちが脳裏に浮かぶ。迷彩服姿の彼らは、長らしき男も含めおそらく生粋の元軍人。リュカは舌打ちした。
「嫌な予感に限って当たるんだよな……くそっ、無事でいろよ」
リュカは
◇
半分の月が、黒い雲に見え隠れしている。
コロニーは数時間前に来た時よりさらに静まり返っていた。社会的インフラの限られるコロニーでは、夜になると人々は活動を止める。電池節約のため灯かりを消し、火事にならぬよう火を消せば自然の闇が人々を眠りに誘うのだった。
リュカが近付くと、陽人がテントから出てきた。
「お、おう」
端の切れた口で、陽人はぎこちなく笑う。
「来てくれたんだな」
「おまえが急いでいるみたいだったからな。持ってきたぞ、クリスタルローズ」
リュカが袋を少しずらして見せる。クリスタルローズは夜闇の中で、オーロラのようにその幻想的な姿を現した。
「さ、さんきゅ……」
「どうした? 受け取れ」
陽人がのろのろとリュカに近付いてきた。差し出した袋に手を掛けた瞬間、陽人は押し殺した声で言った。
「頼む、逃げてくれ!」
刹那、くぐもった銃声が闇を裂いた。
リュカは袋を持った陽人を抱えたのと同時に愛銃を抜いていた。
「サイレンサーとはますます軍隊っぽい!」
闇の中、一瞬で狙いを定めた『セラフ』の黒い銃身が火を噴く。
うっ、というくぐもった音と共にテントの後方で人影が倒れ、うめき声がした。
「わざと急所を外したな? やはり、ただの狩師ではなかったか」
テントから大柄な影が出てきた。
手に持ったハンドガンの銃口をこちらにぴたりと向いている。
「あんたとは二度と会いたくなかったけど。オレは平和主義者なんで、戦争ごっこは嫌いなんだ」
リュカも構えた『セラフ』で男の額ど真ん中を正確に狙っている。大佐はくくく、と笑った。
「そのシューティングの腕は惜しいな。そのガキをクリスタルローズごと渡せば、助けてやるぞ。ついでに我々のエージェントにスカウトもしよう」
「冗談は顔だけにしてくれよ」
「ふん、冗談だと思うか?」
大佐が合図をすると、テントから部下らしき迷彩服姿が何かを引きずって出てきた。
「星愛!」
陽人が身を乘りだした。
「このガキはおまえの妹だな?」
大佐は寝ている星愛を爪先で軽く蹴った。
「このガキの頭が吹っ飛ぶ前に、クリスタルローズを渡してもらおうか」
「わかったっ、クリスタルローズは返すからっ、星愛には何もしないでくれっ」
陽人はリュカの腕を振り払った。
「陽人!」
「あと、この人にも何もしないでくれ。この人はただ、俺の依頼を受けようとしてくれただけなんだ! 何も悪くない。だから」
「わかったわかった、何もしないさ」
大佐はねっとりとした猫撫で声で言った。
「さあ、早くクリスタルローズを渡せ」
「陽人、よせ!」
「貴様は動くな、狩師!」
自分に向いた銃口と星愛に向けられた銃口を見て、リュカは視線だけで距離を測る。
陽人が瓶の入った袋を抱え、大佐に近付いた――。
「陽人! 伏せろ!」
その声に陽人は瞬時に反応、頭を引っこめたと同時に熱い風が脳天をかすめた。
テントの影から、黒い覆面とホルダージャケットの迷彩服数人が身を乘りだし発砲した。くぐもった銃声が次々と闇を叩く。
「リュカっ」
「動くな!」
リュカの声に必死で地面にへばりついた瞬間、大きな破裂音が鳴った。
陽人は視線を動かす。周囲に猛烈な煙が広がり始めていた。怒号が飛び交う。視界が煙で白くなりかけた時、温かい手が陽人の腕を取って立たせると、背中を強く推した。
「向こうの繁みまで走れ!」
煙で見えなくなっているが、ここで暮らす陽人にとっては周囲の景色は目をつぶってもわかる。テントの場所から少し離れた場所に大きな木があり、その下にはこんもりとしたツツジの繁みがある。
怒号と銃声が飛び交う中、背中を押されたその勢いのまま必死に走り、繁みに滑りこむ。
ツツジの隙間から覗けば、灰色の煙幕の中、黒い
「リュカ……俺って本当にバカだ……!」
陽人は瓶の入った袋を抱きしめ、声を震わせる。
自分は手を差し伸べてくれた彼を裏切ったのに、彼は今また、陽人を助けるために危地に立っている。
「俺にできること……できることは」
自分は弱い。無力な子どもだ。大人の男に
「ただ逃げるしか……いや、そうか!」
そう。自分にできるたった一つのこと。それは。
陽人は袋を大事そうに抱えなおす。
「クリスタルローズは絶対に俺が守る!」
攻撃はできなくても、この場を逃げきれれば聖花を守ることができる。
「クリスタルローズはリュカに託すんだ。金を作ってリュカへ倍以上にして返す。それから星愛の祓魔を正式にリュカに頼むんだ」
戦えない自分がのこのこと戻ってリュカの足手まといなるより、この場で陽人にしかできない仕事がある。クリスタルローズを守ってリュカの教会へ行こう。きっとリュカもそれを望んでいる――なぜだか、そう確信できた。
周囲を見回す。今のところ、誰にも見つかっていない。
ポケットに手をつっこむと、護身用に持ち歩いているバタフライナイフに触れた。取り出し、ぎこちなく振る。持っているだけで使ったことはなかった。踊るように飛び出した刃に少し驚き、再度振って刃を戻す。何かあったときは迷わずこれを使わなくては。
それともう一つ。
「こんな物、役に立つのかなあ」
丸いお手玉のような柔らかい玉。バタフライナイフを買った店で、これも護身用に役に立つからと勧められてしぶしぶ購入した物だ。一回で使い切りなので、もったいなくて今まで使ったことがない。今この時に使うためにとっておかれたのだ、きっと。
だって、逃げるチャンスはきっと一瞬だ。
それを見極めるために陽人はツツジの繁みの中で闇に目を凝らし、戦況をじっと見つめた。
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