4-5


「何しやがったぁああっ、このブタ野郎があっ、ぶっ殺してやるっ!!」

 シャーっという擦過音さっかおんと共に、少女の口から緑色の液体が吐き出された。


「危ない!」

 少年の身体を抱えリュカは少女から遠ざかるように飛びのく。

 吐き出された液体は、じゅっ、と音を立てて地面を溶かした。

「クソが……ブタ神父……殺してやる、ころして……」


 少女はそのまま、ぐったりと地面に四つん這いになって荒い息をしている。


「星愛!」

 妹に駆け寄ろうとする少年をリュカは強く制した。

「大丈夫。少し消耗しただけだろう。今は近付くな。妹の中の悪魔を制御した。少したてばおとなしくなる」


 リュカを振り切ろうとしていた少年の腕が、力無くだらりと下がった。


「……なんとかしたいんだ」

 少年はかすれた声で言った。

「だんだん、普通でいられる時間が減ってる。早く悪魔を追い出さないと……このままじゃ妹は死んでしまう。ぜんぜん食べないし、眠りも浅いんだ」


 悪魔は憑依した人間を弱らせるため、食事を摂らせない。四つん這いになって唸っている少女の身体は骨と皮ばかりだ。


「祓魔を頼みたいけど、祓魔師協会の窓口に行ったら、依頼金が無いなら祓魔は受けられないって断られた」

「だろうな。祓魔師協会だろうがフリーだろうが、この仕事は事前に金をもらうのが鉄則だからな」

「だから! 金を作るために働いてる」

「なるほど。だから学校に行ってないわけだ」

「他にどうしようもないだろっ」


 少年は怒ったように吐き捨てる。


「日々の生活のこともあるし、なかなか思うように金が貯まらない。俺たちみたいに親のいない子どもだけの家は、市場で買い物するにも足元見られたりするし……夜も働きたいけど、夜はこうやって悪魔が出てくるから妹の傍で見張ってなきゃならない。憑依されてるって知られたら、コロニーにいられなくなるから」


 少年はポケットから小さな四角い缶を出した。それは災害備蓄品のドロップで、『ゲヘナ開門』以降の混乱期、国からの配給品によく入っていた物だ。


「なぜだか、これを食べれば元に戻るんだけど……最近、ドロップを食べてもすぐには元に戻らないし、もうすぐドロップもなくなる」


 少年は大事そうに缶をポケットにしまった。からん、と小さく空虚な音がした。


「ドロップが無くなる前に祓魔が頼めたらって思ってた」


 つぶやくように、少年は言った。


「仕事で乗ってるゴミ収集車が国際祓魔研究所ってところのゴミを収集に行ったとき、たまたま見つけたんだ。搬入のために裏口に置いてあった聖花を……」

「なるほど、そういうことか。そりゃうまく警備の穴を突いたな。で、これがどういう代物か知ってるか?」


 少年は後ろめたそうにリュカから視線を逸らした。


「貴重な聖花だって、研究所の白衣を着た人たちが話しているのを聞いた。盗んだ後で調べて、ものすごく高く売れる聖花だって知った。でも、どこで売っていいのかわからないし、盗んだ物だからすぐに足が付くって思って……そしたら、あんたの祓魔事務所のホームページを見つけたんだ」

「金を作るための薬を作り、なおかつ、金ができてから祓魔も依頼できるところ。確かに、それがベストな依頼先だな」

「うん。あんたが薬を作ってくれたら、祓魔もちゃんと頼むつもりだった。薬がなきゃ、金もできない。もちろん金が無かったら何もできないんだって……嫌ってほど思い知らされてきたから、わかってる。でもあんたの祓魔事務所に頼む以外、良い方法が思いつかないんだ」


 ぎゅっと唇をかんだ少年にリュカは苦笑した。


「賢いんだかバカなんだか、わからん奴だな。こんな貴重品、初対面のオレに預けて。オレがネコババしちまったらどうするつもりだったんだ」

 言われたことに反論できず、少年は口を尖らせた。

「ああ俺はどうせバカだよ。でも、俺には相談できる人間もいないし自分でなんとかするしかないし」


 そこで言葉を切って、少年はでも、と言った。


「あのとき花壇であんたのこと見て、はっきり言って神父には見えなかったけど、なんていうか……うまく言えないけどあんたなら預けても大丈夫かなって、思ったんだ」


 怒ったように言って、少年はそっぽを向いた。


「それでやってくれるのかよ。どうなんだよ」

「正直、やりたくない」


 リュカの即答に少年の肩がぴくり、と動いた。


「言ったが、前払金はこの商売じゃ鉄則だし、子どもがらみは面倒くさいから嫌なんだ」

「……わかったよ。じゃあ返せよ、聖花」

「だが、金を回収しなくちゃならなくなった」


 リュカは少年の妹に近付いた。地面にぐったりと丸くなった体を起こすと、少女は微かな寝息をたてて眠っている。

 その青白い額に、何か印のような物が浮き出ていた。その六芒星ヘキサグラムをリュカは指さす。


「これは、悪魔封じの印だ。一時しのぎのものだが、それなりに効果はある。少なくとも三日間、星愛ちゃんの中の悪魔が外へ出てくる回数は減る。完全に封じることはできないが、食事や睡眠は摂れるようになる」

「本当か?!」

 顔を明るくした少年に、リュカは頷く。

「効果は保証する。ただし、これは料金の発生する立派な祓魔儀式の一つだ」

「え……」

「だから今すぐにでも10万ドラー払ってもらいたい」

「10万ドラー?! そんな大金持ってねえよ!」

「一包10万ドラーなんだろ? クリスタルローズの薬」

「えっ……」

「ここで君から身ぐるみ剥がして10万ドラー回収するより、薬を作ってその売上半分を報酬としてもらったほうが、どう考えてもお得だな」


 悪戯っぽく笑んだ神父を、少年はぽかんと見上げる。


「あんた……」

「オレはリュカ。おまえは?」


 少年は妹を抱きかかえ、リュカを見上げた。

「俺は陽人はるとっていう」


 少年は笑んでいた。笑うともっとイケメンだとローズに報告しよう、とリュカは密かに思った。

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