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 東京シティ西ブロック新宿エリア歌舞伎町。

 あやしげな店も多いけれど、気楽に立ち寄れるBarや定食屋、ファーストフード店も多いこの街は、若者から夢や金を追いかける人、いろいろな人種が行き交うカオス。

 猥雑とも言えるこの町が、あたしは嫌いじゃない。


 悪魔絡みの事件で家や仕事を失った人々への炊き出しやフリーマーケットが開かれていると思えば、道の隅ではドラッグを売る商人がたむろする。


 妖しさと温かさが雑多に入り混じった町。それがここ歌舞伎町だ。


 そんな歌舞伎町のとある雑居ビルに、ちいさな雑貨店がある。


 打ちっぱなしのコンクリートに納まった木製の分厚い扉。それを開けると、軽やかなJazzと話し声、コーヒーの良い香りが漂ってくる。いつもの空気に、ホッと身体の力が抜ける気がする。


「いらっしゃい」


 元気にカウンターから顔を出したのは、どきっとするくらい魅力的な身体の起伏を持つ美女。


 長い赤い髪はスパイラルに波打ち、それを頭の高い位置で一つにまとめている。小さな顔の中にはそばかすが散っていて、澄んだ海のような大きな青い瞳はいつもいきいきと、それでいてどこか優しい。


「あら、生きてたのねリュカ」

「ごあいさつだなティナ。御所望の品を持ってきてやったのに」

「なにエラそうに言ってんの。商品を作ってるのはローズでしょ」


 半目でリュカを睨んでから、美女はあたしを見て顔をほころばせる。


「いつもありがとう、ローズ。あんたの香油は人気があるから、今じゃうちの看板商品よ」

「いえ、ティナさんにはいつも材料を仕入れていただいて、すごく助かってます」


 教会の裏の温室と庭で細々と薔薇を栽培しているけれど、香油を作るには大量の薔薇を必要とするため、自給自足には限界があるのが現実だ。

 そんなあたしに、ティナさんはいつも驚くほどの安さで薔薇の花弁を大量に調達してくれる。リュカ曰く、ティナさんにはいろんな所にツテがあるらしい。なんだかすごく納得できる。ティナさんは人やモノを引き寄せる引力を持っていると思う。

 決して愛想がいいとは言えないあたしにも、気持ちよく貴重な薔薇を分けてくれるんだ。

 その代わり、あたしはこうして定期的に、彼女の雑貨屋に商品を納めにくる。


「ねえローズ、よかったらあたしの知り合いが経営している香油精製所で働かない? ローズの技術と外見ならすぐに雇ってもらえるわ。お金持ちの顧客ばかりの精製所だから、技術と外見の揃っている技師は重宝されるのよ。お給料も大学病院の医師より高いって話だし、どう?」

「それは魅力的なお話ですね」


 ティナさんはあたしに湯気の上がるマグカップを渡しつつ、カウンターから身を乗り出す。


「でしょ? ローズみたいな有能な人材がこんなフラフラフリー祓魔師の助手なんてもったいないわよ。香油精製所が嫌なら、製薬会社はどう? ローズの腕ならすぐに研究員のイスを用意してもらえるわ」


 コーヒーの香りに酔いしれていたリュカが、急に渋面をつくった。

 

「おいティナ、誰がフラフラしてるんだ? それにオレの事務所から勝手に人材を引っこ抜くのはやめてくれ」

「だったらもうちょっとローズの待遇が良くなるようにあんたがちゃっちゃと働きなさいっ。かわいそうに、まだ14歳なのに学校にも行かずに生活費のために香油と薬を作って売ってるなんて……『マッチ売りの少女』ならぬ『薬売りの少女』じゃない!」

「う、それを言われると返す言葉が……あっ、でもだな、ローズが学校に行ってないのは本人の希望だぞ! だいたい、鎮痛剤や消炎剤や各種薬の作り方を熟知している中学生が学校に行く必要ないだろ?」

「その通りです。22歳の立派な大人のフリー祓魔師よりも漢字も書けますし英語と中国語とドイツ語とフランス語も話せますし帳簿も付けられますしね」


 あたしが言うと、う、とリュカが言葉に詰まる。ティナさんは豪快に笑った。


「ははっ、確かにね。リュカよりもぜんぜんハイスペックなスーパー中学生だわ。学校へ行く必要はないか。でも……つらくはない?」


 水色の海のような双眸が覗きこんでくる。姉のような、母のようなその優しい眼差しに、吸いこまれそうになる。

 いつもそう。この人は、いつも優しい。


「学校は、勉強だけってわけでもない。同じ年代の友だちとおしゃべりしたり、遊んだり、帰りにアイスクリームを食べたり……そういうことをしてみたくはない?」


 あたしはちょっと考えて、すぐににっこり笑みを返した。


「そういうのも素敵ですけど、今の生活もけっこう気に入ってます」

「そっか……ならいいけど。でも、何かやりたいことがあったらいつでも相談してね」


 ティナさんはサラっと言って笑った。爽やかな笑顔の中で、青い瞳が優しく和む。

 ティナさんは優しい。そして大人だ。そして美女だ。


 ただの美女じゃない。

 なんていうか……外見だけじゃない、本質の備わった美女。


 あたしはそんな彼女が大好きで……そして、ちょっぴり憎たらしく思っている。


 だってずるい。こんなに綺麗で優しくてセクシーな身体を持っていて大人だなんて。同じ女という生き物なのに、あたしとはなんという違いだろう。


 あたしが男だったら、絶対にこんな美女を放ってはおかない。


 隣のリュカをちら、と見上げる。

 リュカは相変わらず能天気で、何を考えているのかわからないけどニコニコしていて、あたしの気持ちなんてぜんぜんわかっていない様子で、カウンター越しにティナさんと世間話を始める。


 いつものことだけれど、この時間があたしは嫌いだった。


「ちょっと、外を散歩してきます」

「いってらっしゃい。路地には入らないようにね」


 これもいつものやり取りだ。商品を納めにきて、ティナさんとリュカが世間話を始めるとあたしはそれを合図に外へ出かける。

 歌舞伎町を歩くのはエキサイティングだし気分転換になるというものあるけれど、それだけじゃない。


 きっとリュカとティナさんは、二人で話したがっていると思うから。


 二人はかなり昔からの知り合いで、二人とも『聖騎士団』という組織にいた。  

 

『聖騎士団』は、人類を悪魔エイリアンから解放した『聖戦』という戦争を戦った、由緒あるキリスト教系組織らしい。

 今の国際祓魔師協会のキリスト教系幹部は、ほとんどがその『聖騎士団』出身者だということだ。


 でも、あたしは『聖戦』も『聖騎士団』も知らないし、過去のことを二人ともあまり話してくれない――というか話したくなさそうなので、詳しいことはわからない。


 わかるのは、リュカとティナさんの間には、あたしなんかには入っていけない深い絆があるということ。


 それがたまらなく切なくて、胸が苦しくなる。

 どうしてあたしには、何も話してくれないの、って二人を責めたくなる。


 そして、そんなふうに考えてしまう自分が惨めで大嫌いで、この場にいるのがいたたまれない。


 だからあたしは、いつも通り歌舞伎町の散策に出かけた。



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